ロシアとウクライナの位置
- 投稿者:李中
- 投稿日:2022年 2月26日(土)04時59分22秒
- 編集済
ロシアとウクライナの位置などについて
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場所と大きさを聞かれたので、ここに残させて頂きます。。
寒い夜に、国境を超える子供の画像を見ていると居た堪れない、、露軍は早期に撤収撤退し、
もうこれ以上、死人や怪我人が出ないことを祈るばかり。。
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撤収する ถอนกำลัง /thɔ̌ɔn kamlaŋ
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M; 【旧ソビエト連邦から独立した国々(ソビエトの崩壊) 】
ソビエト連邦の崩壊(ソビエトれんぽうのほうかい、露: распад CCCP)では、1991年12月のソビエト連邦共産党解散を受けた全ての連邦構成共和国の主権国家としての独立、ならびに同年12月25日のソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された出来事について述べる。
1917年11月7日のロシア革命(十月革命)からロシア内戦を経て★1922年12月30日に成立したソビエト連邦は、★69年後の1991年12月25日に崩壊した。 同日、ソビエト連邦に比して規模が小さいロシア連邦が成立した。かつてのソビエト連邦を構成した国々は、それぞれが独立国として別々の外交政策を採り始めた。
1 ソビエト連邦が解体され、CISという緩やかな国家同盟へと変容した。
2 ロシアの歴史を見ても、現在まで続くロシア連邦は、ソビエト連邦成立以前のロシア帝国の後継国家として、自国の起源
を定義しており、一党独裁については明確に否定した上で自由選挙を行う共和制多党制国家となった。正式な国旗や軍旗な
どはロシア帝国時代の物を採用している。
3 アメリカ合衆国が名実共に唯一の超大国となり、アメリカ単独覇権の時代が始まった。
4 共産主義大国が、中華人民共和国に交代した。
5 核兵器という究極兵器を持つ国家が、軍事的に衰えないまま潰れた。世界最強の軍事大国が軍事力以外の要因で潰れるの
はあり得なかった出来事であり、これは国際政治学でのパワーポリティクス(現実主義)への批判を招いた(ハード・パ
ワーからソフト・パワーへの移行)。
ソ連崩壊は、これら五つの意味を持つ。1989年から1992年までは、東欧の脱共産化、東西ドイツの統一、そしてソ連崩壊というように、冷戦が終わると同時に「世界地図が塗り替わった時代」であった。そして、東側陣営の盟主であり超大国でもあったソ連の崩壊はそれを象徴する大事件でもある。
社会主義の実現を信じていた西側諸国(自由主義国)内のソ連型社会主義政党や政治学者は、イデオロギー論争に敗北し、冷戦時代にソ連共産党から受けていた資金提供の実態が、ロシア連邦政府による情報公開によって暴露された。 ソ連型社会主義とは一線を画するユーロコミュニズム政党だったイタリア共産党も解党して左翼民主党に鞍替えを余儀なくされ、日本共産党名誉議長だった野坂参三は、1930年代のソ連滞在当時に、同志の山本懸蔵を密告した事実が判明、満100歳を超えていながら除名された。
しかし、中華人民共和国やキューバなど、ソ連以外にも社会主義国が存在するにも拘わらず、★西側諸国は「ソ連崩壊=共産主義の絶滅」と錯覚してしまった。これが、別の社会主義国である中国の台頭を許す結果に繋がった(ただし中国はソ連と異なり改革開放政策で市場経済を導入していた)。 冷戦後期においても、米国が中国と結んでソ連に対抗する政策を取っていたこと、文化大革命などの影響で中国の経済が非常に立ち遅れていたために、後に中国が経済的、軍事的に影響力を増し、米国の脅威となり得るほどまでに台頭するという予測は世界中でもほぼなされていなかった。(「新冷戦」も参照
独立国家共同体の設立
反ゴルバチョフを掲げる国家非常事態委員会などの守旧派による8月クーデター失敗後、ソビエト連邦は求心力を急激に低下し★ウクライナ・ソビエト社会主義共和国がソビエト連邦からの離脱を国民投票で決定し、12月8日に急遽行われたロシア共和国、白ロシア、ウクライナの代表者による秘密会議においてベロヴェーシ合意が宣言され、★3ヶ国のソビエト連邦からの離脱と欧州共同体(EC)と同レベルの共同体の創設が確認された。
その後の12月21日、★ロシアを始めとした12共和国が、ソビエト連邦に代わる新しい枠組みとして独立国家共同体(CIS)の設立を宣言するアルマ・アタ宣言に調印したことで、明確にソビエト連邦の消滅が宣告された。日本のマスメディアには、この1991年12月21日をソビエト連邦の消滅と見なす見解がある。
こうした中で、12月25日19時の会見で、ミハイル・ゴルバチョフはソビエト連邦大統領の辞任を表明し、辞任と同時にクレムリンに掲げられていたソビエト連邦の「鎌と鎚の赤旗」の国旗も降ろされ、これに代わってロシア連邦の「白・青・赤の三色旗」の国旗が揚げられた。 翌日12月26日にはソ連最高会議共和国会議でソ連の消滅が確認された。
構成共和国の主権宣言・独立宣言
構成共和国 主権宣言 国号変更 独立宣言 独立承認
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エストニア・ソビエト社会主義共和国 1988年11月16日 1990年5月8日:エストニア共和国 1991年8月20日 1991年9月6日
リトアニア・ソビエト社会主義共和国 1989年5月26日 1990年3月11日:リトアニア共和国 1990年3月11日
ラトビア・ソビエト社会主義共和国 1989年7月28日 1990年5月4日:ラトビア共和国 1990年5月4日
グルジア・ソビエト社会主義共和国 1990年5月26日 1990年11月14日:グルジア共和国 1991年4月9日 1991年12月26日
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 1990年6月12日 1991年12月25日:ロシア連邦 1991年12月12日
ウズベク・ソビエト社会主義共和国 1990年6月20日 1991年8月31日: ウズベキスタン共和国 1991年8月31日
モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国 1990年6月23日 1991年5月23日:モルドバ共和国 1991年8月27日
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 1990年7月16日 1991年8月24日:ウクライナ共和国 1991年8月24日
白ロシア・ソビエト社会主義共和国 1990年7月27日 1991年9月19日:ベラルーシ共和国 1991年12月10日
トルクメン・ソビエト社会主義共和国 1990年8月22日 1991年10月27日:トルクメニスタン 1991年10月27日
アルメニア・ソビエト社会主義共和国 1990年8月23日 1990年8月23日:アルメニア共和国 1991年9月21日
タジク・ソビエト社会主義共和国 1990年8月24日 1991年8月31日:タジキスタン共和国 1991年9月9日
カザフ・ソビエト社会主義共和国 1990年10月25日 1991年12月10日:カザフスタン共和国 1991年12月16日
キルギス・ソビエト社会主義共和国 1990年12月15日 1991年2月5日:キルギスタン共和国 1991年8月31日
レガシー 「ソビエト連邦への郷愁」も参照
2013年に行われた調査によると、ソビエト連邦の崩壊について、アルメニアでは、「有益だった」と答えた人は全体の12%、「有害だった」と答えた人は全体の66%であった。 キルギスでは、それぞれ16%、61%であった。 ソ連崩壊以来、レバダセンターが毎年行っている世論調査では、2012年を除いて、ロシア国民の50%以上が「ソ連崩壊を後悔している」と答えており、2018年の調査では、66%に及んだ。 ロシアにおいては、若年層よりも高齢者層の方がソ連を懐かしむ傾向にあった。★ウクライナで2005年2月に行われた同様の世論調査では、回答者の50%がソ連の崩壊を「後悔している」と答えた。しかし、2016年に行われた調査では、ソ連崩壊を「後悔している」ウクライナ人は35%にとどまり、50%はこれを後悔していないと答えた。2016年1月25日、ロシアの大統領ウラジーミル・プーチンは、「レーニンと、彼が個々の共和国の政治的分権を唱えたことがソ連崩壊に繋がった」と述べた。
ソ連崩壊に伴う経済的な結びつきの崩壊により、ポストソビエト諸国や旧東側諸国では、世界恐慌よりもさらに深刻な経済危機と生活水準の壊滅的な低下が発生した。 1988年から1989年、1993年から1995年の間に貧困と経済的不平等が急増し、旧社会主義国全体でジニ係数が平均9ポイント上昇した。 1998年にロシアが金融危機に見舞われる前でさえ、ロシアのGDPは1990年代初頭の半分であった。 冷戦終結後の数十年間で、★西側諸国に加わる道を歩んでいるのは、旧連邦構成国のうち5~6カ国のみであって、ほとんどの国は遅れをとり、中には社会主義体制崩壊前の状態まで回復するのに50年以上かかる国もあるという。 経済学者のスティーブン・ローズフィールドが2001年に行った調査によると、1990年から1998年までにロシアで340万人の早期死亡が発生しており、その原因の一部はワシントン・コンセンサスに伴う「ショック療法」にあるとしている。
国際連合への加盟
1991年12月24日、ロシアの大統領エリツィンは、安全保障理事会をはじめとする国連機関での★ソ連の地位は、独立国家共同体の11カ国の支持を得てロシア連邦が継承した旨を国際連合事務総長に伝えた。
白ロシア・ソビエト社会主義共和国とウクライナ・ソビエト社会主義共和国は、既に1945年10月24日にソ連と共に原加盟国として国連に加盟していた。 ★独立を宣言したウクライナ・ソビエト社会主義共和国は1991年8月24日に「ウクライナ」と改称し、白ロシア・ソビエト社会主義共和国は1991年9月19日に「ベラルーシ」と改称したことを国連に報告した。
その他、★12の独立国が全て国連に加盟した。
1991年9月17日:エストニア、ラトビア、リトアニア
1992年3月2日 : アルメニア、アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、トルクメニスタン、ウ
ズベキスタン
1992年7月31日: グルジア(現ジョージア)
(Wiki)
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初版202220226 まだまだバイク移動するには寒い季節、、泣
ーM項追記など同日、、
②国政関連
麻生派 第三派閥に 4人が退会で
③経済関連
ロのウクライナ侵攻 ガソリン更なる値上がり 懸念 > こういうのって民間レベルで提訴できないのだろうか?
❷国際情勢
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④コロナ関連
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⑤北京五輪関連
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⑥ 去年の出生数 過去最少84万人
⑦ 森友巡る記録不開示 国の賠償 確定
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(画像 ・上) ウクライナの世界地図上の位置 /資源について
(画像 ・中) ウクライナの隣国 /旅行の友Zentech
(画像 ・下) ロシアのウクライナ侵攻 /新潮社ファーサイト
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