タイ語板  5枚目~!!  

あれってそれって何隻あったっけ ~ 青函連絡船の船の数

あれってそれって何隻あったっけ ~ 青函連絡船の船の数(廃止時)

 

   確実ではないですが、              『12 隻』だと思う、、

 前板の補足です、、車は数台しか積めず、、甲板に乗せられたこともありました。。その後、船がどうなったか、、や

「洞爺丸」は台風で沈んだのが有名ですが、他にも天災で沈んだ船がなかったかどうかなども、、

  津軽海峡往復の航路は確か左側通行だった筈、、  東日本フェリーにも乗ったけれど、それらに比べると(船によって大きさはまちまちだったけれど、)小型で、台風接近時などの悪天の時は結構揺れた記憶があります、、

 引退船はどれもが同世代、、            廃止されたのが昭和58年(1988年)だから、もう35年前になるのか、、、

--                        乗る (船) ลง (เรือ)  ※「降りる」は<クング>

 

ーーーーーーー                  M:【青函連絡船(セイカンレンラクセン) 】とは

 かつて青森県青森市の青森駅と北海道函館市の函館駅との間で運航されていた、日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の航路(鉄道連絡船)である。 

 実際の距離は61海里※、営業キロ上の距離は★113.0km、貨物営業キロ程300kmであった。      ※1カイリ = 1.852km                     陸岸から最も離れる津軽海峡中央部でも20海里以内のため、就航船の航行資格は沿海区域であった。

国鉄・JR以外の組織が青森港 - 函館港間に運航する航路は「津軽海峡フェリー」「青函フェリー」を、帝国鉄道庁(国鉄)による連絡船就航以前の沿革については「青函航路」を参照。
   ※車両甲板(青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸展示)
   ※十和田丸(二代目)のシンボルマーク

★イギリスで建造された当時最新鋭の蒸気タービン船比羅夫丸型★2隻を擁して、国鉄直営航路として★1908年(明治41年)に開設されて以来、本州と北海道の鉄道を連絡する基幹ルートとして、客貨双方の輸送を担って来た。 1925年(大正14年)には、日本初となる大型車載客船 翔鳳丸型4隻による ★鉄道車両航送を開始し、貨物輸送効率の画期的な向上を達成した。

しかし第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)における空襲と、1954年(昭和29年)の★洞爺丸台風では、多くの尊い人命と連絡船を失い、そこからの復興に努めながら、その後の日本の高度経済成長を支える大動脈として、当時の最先端技術を駆使した連絡船を多数就航させた。 1972年(昭和47年)には、★1日最大30往復もの運航をする最盛期を迎えたが、この頃から開設され始めた➊長距離フェリー航路の影響、➋日本航空のジャンボジェット就航などによる国鉄運賃に対する航空運賃の相対的低下、1973年(昭和48年)秋の➌第1次オイルショックに続く景気低迷、更には、度重なる➍労働争議による「国鉄離れ」もあって、1970年代後半(昭和50年代)以降は、旅客、貨物とも急激に減少し、減船、減便を重ねながら、1988年(昭和63年)3月13日の➎青函トンネル開業まで、この基幹ルート維持の使命を全うした。

 運航区間は全期間を通して、青森と函館間であったが、1944年(昭和19年)から1984年(昭和59年)までは函館港内有川埠頭の貨物専用岸壁も使用された。 また、青森側でも、1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけての短期間、★夏泊半島東側の小湊にLST改装貨車渡船用の桟橋を急造し、上記の有川埠頭との間にLST改装貨車渡船航路が開設されていたことがあった。また、夏期を中心とした連絡船による航路外の港への周遊運航は、1926年(大正15年)以来、 終航まで、1936年(昭和11年)から1947年(昭和22年)の輸送力不足と戦争、混乱の時代を除いて度々実施された。  

開業  1908年(明治41年)3月7日
民営化 1987年(昭和62年)4月1日
廃止  1988年(昭和63年)3月13日(通常運航の終了)
    1988年(昭和63年)9月19日(正式廃止)
運営者 帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道(国鉄)→北海道旅客鉄道(JR北海道)(Wiki)

 

ーーーーーーーーーーーー                M2:【青函連絡船 就航船(就航順) 】

戦災沈没:▼  台風・火災(戦火を除く)・事故等で座礁・沈没;◆ (数字は通番)                     移籍:▶  復帰:◀                  沈没後再浮上再生;▲                    係留・停留:◇  就航・解傭・解体:■

Ⅰ 1908年 - 1923年                日本初の蒸気タービン船を導入して運行を開始。    (1)新製配属

    A 貨客船 比羅夫丸型

➊ 比羅夫丸                        1908年(明治41年)3月7日、就航。1924年(大正13年)10月15日、終航。同年11月14日、大阪商船に賃貸。1929年(昭和4年)7月8日、大阪商船に売却▶。

 ➋    田村丸                           1908年(明治41年)4月4日、就航。1924年(大正13年)12月11日、終航。一時復航後、1929年(昭和4年)7月8日、大阪商船に売却▶。

    B 艀

 ➊    車運丸                        艀型(無動力)貨車航送船。1914年(大正3年)12月、就航。1927年(昭和2年)6月8日、終航■。

    C 貨物船

  ➊    蛟龍丸                        1916年(大正5年)、傭船。1918年(大正7年)、解傭■。

  ➋    白神丸                         木造貨物船。1918年(大正7年)6月18日、就航。1925年(大正14年)7月、係船◇。

 ➌   竜飛丸                        木造貨物船。1918年(大正7年)10月16日、就航。1926年(大正15年)4月、係船◇。

➍    第一快運丸                    経理局保有の石炭輸送船。1919年(大正8年)4月、就航。1925年(大正14年)9月、係船◇。

➎    第二快運丸                       経理局保有の石炭輸送船。1919年(大正8年)4月、就航。1925年(大正14年)9月、係船◇。

(2)航路転属

 A    貨客船

➌    壱岐丸(三菱長崎)                       元関釜・稚泊連絡船。1922年(大正11年)10月、青函航路に就航。1924年(大正13年)7月、稚泊航路に転属。1932年(昭和7年)、大阪商船に売却▶(樺太丸)。1945年(昭和20年)7月25日、青函航路復帰◀。1947年(昭和22年)9月、傭船終了■。

 

Ⅱ 1924年 - 1945年7月
   ※日本初の車載客船「翔鳳丸」(1924年就航) ※含有画像はHPからご参照ください。以下同じ

 1925年(大正14年)8月から★車両航送を開始した。さらに1942年(昭和17年)以降は戦時下の鉄道貨物輸送の増加に対応するためW型戦時標準船が急ピッチで建造された。 しかし、1945年(昭和20年)、青森湾は米海軍艦載機の攻撃を受け、7月14日に「翔鳳丸」「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、8月10日には 「亜庭丸」が★撃沈され、131人が亡くなった。 さらに7月14日と15日には津軽海峡と函館湾にも攻撃があり(津軽海峡では「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が沈没)、乗員乗客424人が亡くなり、青函連絡船は★一時全滅となった。 ★終戦直後稼働できたのは第七・第八青函丸の2隻のみであった。 戦災から60年目にあたる2005年(平成17年)7月14日、青森港に「青函連絡船戦災の碑」が建立された。

(1)新製配属

    A 車載客船 翔鳳丸型              ➊     翔鳳丸(浦賀)                       1924年(大正13年)5月21日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼1。青函航路初の★車両渡船。

➋     津軽丸(初代)                        1924年(大正13年)10月11日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼2。

➌    松前丸(初代)                        1924年(大正13年)11月11日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲炎上座礁▼3。

 ➍    飛鸞丸                            1924年(大正13年)12月30日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼4。

    B 貨車航送船 青函丸戦前型

➊     第一青函丸                          貨車航送船の第一船。1926年(大正15年)12月12日、就航。1945年(昭和20年)7月15日、空襲沈没▼5。

➋    第二青函丸                            1930年(昭和5年)9月1日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼6。

➋    第三青函丸(浦賀)                1939年(昭和14年)11月25日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼7。

➌    第四青函丸(浦賀)                       W型戦時標準船の原型。1943年(昭和18年)3月6日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼8。

    C 貨車航送船 W型戦時標準船

➊    第五青函丸(浦賀)                       1944年(昭和19年)1月14日、就航。1945年(昭和20年)3月6日、強風により青森港北防波堤に接触して沈没◆1。

➋    第六青函丸(浦賀)                       1944年(昭和19年)3月19日、就航。1945年(昭和20年)7月14日、空襲沈没▼9。1947年(昭和22年)2月2日、★浮揚復航し車載客船化△。 1964年(昭和39年)5月3日、終航。同年8月、三菱商事に売却▶。

➌    第七青函丸(浦賀)                       1944年(昭和19年)7月20日、就航。1947年(昭和22年)9月、デッキハウスを造設し車載客船化。1964年(昭和39年)12月31日、終航。1965年(昭和40年)8月、三井物産に売却▶。

➍    第八青函丸(浦賀)               1944年(昭和19年)11月22日、就航。1946年(昭和21年)4月30日、デッキハウスを造設し車載客船化。1964年(昭和39年)11月30日、終航。1965年(昭和40年)1月、日綿実業に売却▶。

➎ 第九青函丸(浦賀)                       1945年(昭和20年)2月15日、竣工。同年2月27日、函館へ回航中に勝浦沖で米潜水艦を警戒して座礁◆2。★一度も営業就航することなく沈没▼。

➏    第十青函丸(浦賀)                        1945年(昭和20年)6月1日、就航。同年7月14日、空襲沈没▼10。

 (2)航路転属

    A 貨物船

 ➊   新羅丸                             元・関釜連絡船。1942年(昭和17年)6月10日、転属就航。1945年(昭和20年)5月25日、触雷沈没▼11。

    B 貨客船

➊    亜庭丸                            元・稚泊連絡船。1945年(昭和20年)7月23日、転属就航。1945年(昭和20年)8月10日、空襲沈没▼12。

 

Ⅱ 1945年8月 - 1947年              戦災による輸送力不足を補うため休止状態の関釜航路・稚泊航路から連絡船を転属させると共に、貨車航送船にも客室(デッキハウス)が造設された。 戦争中に着工していた戦時標準船3隻が就航。

(1)航路転属

    A 客船

 ➊   景福丸                             元・関釜連絡船。1945年(昭和20年)8月20日、転属就航。1949年(昭和24年)7月30日、終航。1950年(昭和25年)1月25日から1956年(昭和31年)まで、函館桟橋脇で★海上ホテルとして営業◇(運営は鉄道弘済会▶)。1958年(昭和33年)10月、解体■。

➋    昌慶丸                              元・関釜連絡船。1947年(昭和22年)9月23日、転属就航。1948年(昭和23年)10月10日、終航。洞爺丸事故後、★乗組員訓練船として函館港に繋留◇。

    B 貨物船

 ➊ 壱岐丸(第2代目)                       元・関釜連絡船。1945年(昭和20年)8月24日、転属就航。1948年(昭和23年)6月5日、終航。1950年(昭和25年)3月1日、★国家賠償として朝鮮郵船へ譲渡▶。

    C 貨客船

➊ 宗谷丸                            元・稚泊連絡船。1945年(昭和20年)11月29日、転属就航。1952年(昭和27年)9月、広島鉄道管理局へ転属▶。1954年(昭和29年)10月14日 - 12月24日、洞爺丸事故に伴う代替措置として青函航路に再就航◀。

(2)新製配属

    D 貨車航送船 W型戦時標準船

➊ 第十一青函丸                          1945年(昭和20年)10月9日、就航。1946年(昭和21年)9月、客室を造設し車載客船化。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没◆。

 ➋   第十二青函丸                          1946年(昭和21年)5月15日就航。建造中にデッキハウスを造設し、車載客船として竣工したが、1957年(昭和32年)6月に撤去し、貨車航送船化。1965年(昭和40年)7月2日終航。同年9月10日、三井物産に売却▶。

    E 貨車航送船 石狩丸型(H型戦時標準船)

➊ 石狩丸(初代)                     1946年(昭和21年)7月23日、就航。デッキハウスを設置した車載客船として竣工したが、1958年(昭和33年)7月に撤去し、貨車航送船化。1965年(昭和40年)9月30日、終航。同年11月27日、三菱商事に売却▶。

 

Ⅲ 1948年 - 1953年               1946年にGHQが建造を許可した客貨船4隻・貨物船4隻が急ピッチで建造された。 設計期間短縮のため戦時標準船の設計を踏襲している。

(1) 貨車航送船

    A 石狩丸型

  ➊ 十勝丸(初代)                1948年(昭和23年)4月7日、就航。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没◆3。1956年(昭和31年)8月31日、★浮揚復航△。1970年(昭和45年)3月31日、終航。同年8月28日、佐野安商事に売却▶。 青函航路に★最後まで残ったタービン船だった。

➋ 渡島丸(初代)                        1948年(昭和23年)7月26日、就航。1965年(昭和40年)8月31日、終航。同年11月19日、久保忠義に売却▶。    1950年(昭和25年)9月、洞爺丸と同時に★日本の商船初のレーダーを取り付け。

    B 北見丸型

➊北見丸                             1948年(昭和23年)2月27日、就航。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没◆4。

 ➋ 日高丸(初代)                       1948年(昭和23年)10月22日、就航。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没◆5。 1956年(昭和31年)4月1日、★浮揚復航△。1969年(昭和44年)9月20日、終航。1970年(昭和45年)2月18日、共和商会に売却▶。

 C 車載客船 洞爺丸型

➊ 洞爺丸                             1947年(昭和22年)11月21日、就航。1954年(昭和29年)9月26日、台風沈没◆6。 ※有名な「洞爺丸台風」

➋ 羊蹄丸(初代)                         1948年(昭和23年)5月1日、就航。1965年(昭和40年)6月20日、終航。同年10月21日、三菱商事に売却▶。

➌ 摩周丸(初代)                         1948年(昭和23年)8月27日、就航。1964年(昭和39年)10月26日、終航。1966年(昭和41年)1月25日、久保忠義に売却▶。

➍ 大雪丸(初代)                         1948年(昭和23年)11月27日、就航。 1964年(昭和39年)8月31日、終航。1966年(昭和41年)2月9日、三洋商事を通じてギリシャに売却▶されカーフェリーに改造。1991年(平成3年)12月6日、アドリア海で沈没◆。

 

Ⅳ 1954年 - 1960年                   1954年(昭和29年)の洞爺丸事故で喪失した3隻の代船が建造された。 ★船尾扉を設けるなど事故を教訓に設計が改められている。 以降の新造船は★全てディーゼル船。 青函航路初のディーゼル船である「初代檜山丸」(1955年就航)。本船には船尾扉は装備されておらず、車両甲板船尾両舷に多数の排水口が設けられた。

(1)航路転属

    A 客船                          ➊ 徳寿丸(客船)                        元・関釜連絡船。1954年(昭和29年)10月1日、洞爺丸の代船として転属し、旅客便に限定就航。1957年(昭和)8月31日、終航。青函航路撤退後下関に係留。1961年(昭和34年)6月16日、老朽船として三井商事に売却▶・解体■。

(2)新製配属

    B 貨車航送船 檜山丸型

➊ 檜山丸(初代)                        1955年(昭和30年)9月就航、1976年7月終航。1977年7月、日商岩井に売却▶。     1954年(昭和29年)の洞爺丸台風で喪失した船の代船として建造された第1船。青函航路初のディーゼル機関。以後建造船はすべてディーゼル機関。

➋ 空知丸(初代)                        1955年(昭和30年)9月18日、就航。1976年(昭和51年)2月27日、終航■。    洞爺丸台風で失った船の代船。

    C 車載客船                        ➊ 十和田丸(初代)→石狩丸(2代)(新三菱重工業神戸)                               1957年(昭和32年)10月1日、十和田丸(初代)として就航。 洞爺丸の代船として活躍し、1966年(昭和41年)10月1日、十和田丸(初代)として終航後、石狩丸(2代)と改称。 その後、車両渡船へ改造され1967年(昭和42年)5月6日、再就航。 1977年(昭和52年)3月18日、石狩丸(2代)として終航。 同年7月21日、共和商会に売却▶。

 

Ⅴ 1961年以降
   ※船の科学館で保存されていた「羊蹄丸」(1965年就航)」

 A 車載客船 津軽丸型              ➊ 津軽丸(2代)(浦賀重工)              1964年5月10日就。青函航路初の★自動化第1船。 客船ながら、これまでの貨車航送船よりも多い★48両の貨車を積載する大型船。 出力が従来船の2倍以上となったほか、低速時に船首を左右に回頭できるバウスラスターやスクリュープロペラのピッチ角度を可変式とした可変ピッチプロペラを採用し、運航時間も在来船の4時間30分から★3時間50分に短縮され「☆海の新幹線」といわれた。 以後建造された客貨船はすべて津軽丸型。1982年(昭和57年)3月4日、下り5便で運航終了。 同年12月24日、東京の大久保商店(大久保尚志)に売却▶。1983年(昭和58年)3月25日、北朝鮮に転売▶。 1987年(昭和62年)3月、サウジアラビアの船舶会社に売却▶され、メッカ巡礼船となったが、1996年(平成8年)、納付金滞納によりエジプト政府に差し押さえ🔴られた。 1998年(平成10年)5月21日、係留中に火災が発生し、同年12月14日にスエズで解体■された。 函館桟橋跡地に津軽丸の錨があるが、売却の際に取り外された本物であるという説と、各船の予備錨のひとつであるという説がある。

➋  八甲田丸                          1964年(昭和39年)8月12日、就航。1988年(昭和63年)3月13日、下り7便(青森側最終便)として運航終了。現在、青森駅北側の旧桟橋に係留◇され、「☆メモリアルシップ八甲田丸」として見学可能。 ☆自力航行は不可能な「係留船」である。

➌ 松前丸(2代)                        1964年(昭和39年)12月1日、就航。 津軽丸と本船は他船と甲板補機などの機器の違いが多かったことが早期に引退となった理由とされる。 1982年(昭和57年)11月12日、下り21便で運航終了。1983年(昭和58年)11月、山岸和郎に売却▶。 1984年(昭和59年)、北朝鮮に転売▶。数年間元山港に係留◇されていたが解体■された。

➍ 大雪丸(2代)                        1965年(昭和40年)5月16日、就航。1988年(昭和63年)1月6日、検査期限により航路廃止よりやや早く終航した(下り171便函館着6時25分)。 ★札幌五輪の聖火輸送船。売却▶後、長崎港でホテルシップ「☆VICTORIA」として使用◇されたが、2005年(平成17年)12月20日営業終了。2008年(平成20年)5月2日、中国の船舶会社が買収▶し、福建省▶に回航、その後の詳細は不明。

➎ 摩周丸(2代)                          1965年(昭和40年)6月30日、就航。 1988年(昭和63年)3月13日、下り5便として運航終了。現在、★函館駅近くの「☆函館市青函連絡船記念館摩周丸」として見学可。八甲田丸と同様、係留船◇である。

➏ 羊蹄丸(2代)                          1965年(昭和40年)8月5日、就航。1988年(昭和63年)3月13日、上り22便(★函館側最終便)として運航終了(青森到着後、夜半に函館に回航)。同年の暫定運航でも使用された。 終航後は日本海事科学振興財団▶が取得。 1992年(平成4年)5月に★ジェノヴァ国際博覧会 日本館パビリオン◇として使用後、1996年(平成8年)3月から2011年(平成23年)9月まで東京港に係留◇されて☆船の科学館別館「フローティングパビリオン羊蹄丸」として展示公開された。 2012年(平成24年)3月に★新居浜東港◇へ回航、一般公開後、解体■。

➐  十和田丸(2代)                        1966年(昭和41年)11月1日、就航。 1988年(昭和63年)3月13日、上り20便として運航終了(★青森到着後、夜半に函館に回航)。同年の復活運航でも使用された。    ★「津軽丸」型では最も新しく、1981年(昭和56年)に、横揺れを軽減するフィンスタビライザーが装着された。 羊蹄丸などとともに、★周遊船として夏期を中心に航路外運航にも活躍した。 売却▶後、1990年(平成2年)3月に☆クルーズ客船「ジャパニーズドリーム」となり、同年6月には函館及び青森に寄港し、里帰りを果たした。 その後、1995年(平成7年)からはフィリピン▶のマクタン島に☆ホテルシップとして係船◇されていたが、2008年(平成20年)にバングラデシュで解体■された。

   ※唯一最後まで残った貨車航送船 2代目「空知丸」(1976年就航) 

 B 貨車航送船 渡島丸型

➊    渡島丸(2代)(貨車55両)                  1969年(昭和44年)10月1日、就航、1978年(昭和53年)9月30日、終航。1984年(昭和59年)8月、住友商事に売却▶後、函館どっくで解体■。 在籍したうちの6年半は使用されずに係船されていた。なお、解体直前に★摩周丸火災事故の現場検証で船橋部分の燃焼実験が行われた。

➋ 日高丸(2代)(貨車55両)                     1970年(昭和45年)4月5日、就航。1984年(昭和59年)1月31日、終航。 1987年(昭和62年)に売却▶され、後に韓国で解体■。1980年(昭和55年)10月から1982年(昭和57年)3月まで係船◇。

➌    十勝丸(2代)(貨車55両)                1970年(昭和45年)6月30日、就航。 1984年1月終航。1987年売却▶、台湾にて解体■。

➍  空知丸(2代目) (貨車55両)                  1976年(昭和51年)4月5日、就航。 ★空知丸以降に建造された3隻は、渡島丸とは各部の仕様が異なる。 1988年(昭和63年)3月12日、終航。   売却▶後1991年(平成3年)に石狩丸(3代)と同じギリシャの海運会社「ポセイドンライン」に転売▶された。そこで客室新設改造をされ、地中海航路で活躍したが、その後航路休止にともない2004年(平成16年)以降係船◇され、韓国の会社へ転売▶、 さらに2006年(平成18年)に係船のまま転売▶されパナマ船籍となる。2011年(平成23年)、トルコの会社に売却▶された。2012年(平成24年)1月初旬にイスタンブール近郊のドックに移動。その後、同年7月に解体■された。

➍ 檜山丸(2代)(貨車55両)                 1976年(昭和51年)8月5日、就航。1982年(昭和57年)に「津軽丸」型のうち、老朽化が進み、かつ他船との仕様の差異が大きかった「津軽丸」と「松前丸」2隻が廃船となり、その代替として石狩丸とともに車載客船に改造され、同年10月1日に再度就航。1988年3月13日。終航。売却▶後改造工事を経て1989年から「☆少年の船協会21世紀号」となり、青少年研修船として短期間使用されたが、その後シンガポール▶を経てインドネシアへ転売▶された。 フェリーとして運航されていたが、2009年(平成21年)5月31日、出火炎上し沈没◆した。

➎ 石狩丸(3代)(貨車55両)                  1977年(昭和52年)5月6日、就航。1981年(昭和56年)12月31日、終航。1982年(昭和57年)に「檜山丸」とともに車載客船に改造され、同年3月31日から就航。★「石狩丸」「檜山丸」はグリーン船室・寝台・食堂がなく、運用が甲便に限定されていた。1988年(昭和63年)3月13日、終航。同年11月、酒本商事に売却▶後、香港▶、キプロス▶を経てギリシャ▶へ転売され、空知丸と同じ地中海航路で活躍した。 その後も2005年まで現役で活躍したが、2006年にインドで解体■された。

 

(3)支援船舶
 D 補助汽船
➊ 補助汽船ふくうら丸              主にタグボートとして連絡船の離着岸時に船体の曳き出し・推進作業を行うほか、錨地停泊中の連絡船への交代乗員の送迎、航路標識整備、港内清掃などに従事した。狭い水域での作業のため、戦前の早い時期から推進器にフォイトシュナイダープロペラを採用しており、後のひうら丸形にはダックペラも採用された。

➋ 玄洋丸 - 56総トン。1908年3月 - 6月青森港に配備。
➌    祝丸 - 14総トン。1908年5月 - 6月青森港に配備。
➍    青森丸 - 木造船、17総トン・全長13.1m・幅3.0m・深さ1.6m・乗組員6名・旅客42名・速力7.6ノット・50馬力。1908年5月進水、横浜船渠建造。青函航路初の新造補助汽船として1908年5月青森港に配備、1916年5月函館港へ転属、1939年5月係船、1940年7月戸畑港へ転属▶。津輕丸とともに1・2等乗客の岸壁から船までの連絡輸送も実施。
➎    津輕丸 - 木造船、37.4総トン・全長18.4m・幅3.8m・深さ1.9m・乗組員10名・旅客31名・速力8ノット。1908年4月進水、横浜船渠建造。6月に青森港に配属、1924年11月には「合浦丸」に改名、1926年6月稚内港へ転属▶。
➏    辨天丸 - 室蘭港から1908年11月函館港へ配属、1915年4月室蘭港へ転属。
➐    牛若丸 - 木造船、34.3総トン・全長17.8m・幅3.8m・深さ1.9m・乗組員7名・旅客44名・速力8.6ノット・出力106馬力。1910年7月進水、石川島造船所建造。8月函館港に配属、稚内港へ転属▶の後再度函館港へ戻り◀1951年9月売却▶。
➑ 湯島丸 - 木造船、36.5総トン・全長18.2m・幅3.8m・深さ2.0m・乗組員8名・旅客119名・速力8.4ノット・出力137馬力。1913年6月進水、三原万之助建造。7月青森港配属、1923年4月稚内港▶、1925年5月函館港◀、1944年3月室蘭港▶、1946年4月函館港◀へ転属の後1951年9月売却▶。
➒    静丸 - 木造船、41.4総トン・全長18.8m・幅4.0m・深さ2.0m・乗組員8名・旅客129名・速力9ノット・出力205馬力。1913年9月進水、範多竜太郎建造。11月函館港配属、1923年3月青森港転属、1949年7月係船◇の後1951年9月売却▶。
➓ 今若丸 - 木造船、17総トン・全長13.7m・幅3.3m・深さ1.6m・乗組員6名・旅客44名・速力7.8ノット・出力51馬力。1915年2月進水、函館船渠建造。函館港配属、1925年8月手宮へ転属▶。
⓫ あさむし - 木造船、7総トン・全長10.2m・幅2.4m・深さ1.0m・乗組員4名・旅客11名・速力8.1ノット。1913年3月進水、函館船渠建造。発動機船として4月に青森港に配属、1917年6月隅田川港へ転属▶。
⓬ おとわか - 木造船、7総トン・全長10.1m・幅2.5m・深さ1.0m・乗組員4名・旅客20名・速力8.1ノット。1913年3月進水、函館船渠建造。発動機船として4月に青森港に配属、1919年8月隅田川港へ転属▶。
⓭ 橋立丸 - 木造船、48.1総トン・全長22.8m・幅4.1m・深さ2.1m・旅客70名・速力11ノット・出力153馬力。1904年10月進水、範田鉄工所建造。
⓮ 宮島丸 - 木造船、30総トン。1913年4月に下関港から函館港に転属、翌年6月青森港へ転属し1924年12月に公用廃止■。
⓯ 松島丸 - 1918年3月 - 5月用船、車運丸曳航船として青森港に配属。
⓰ 大島丸 - 180総トン、鋼船。車運丸曳航船として用船。1918年5月 - 10月・1919年4月 - 6月・6月 - 7月・8月 - 12月・1920年3月 - 5月に函館港、1920年1月 - 7月に青森港に配属。
⓱ 開運丸 - 木造船、29総トン。1920年1月 - 7月・1924年4月 - 7月用船、青森港に配属。
⓲ 桜島丸 - 鋼船、135.63総トン・全長28.9m・幅6.2m・深さ3.3m・速力9.9ノット・出力367馬力。1915年11月進水、播磨造船所建造。車運丸曳航船として1920年8月函館港に配属、1928年9月青森港、1932年稚内港▶へ転属。
⓳ 細江丸 - 木造船、28.2総トン・全長16.7m・幅3.6m・深さ2.1m・乗組員6名・旅客57名・速力9ノット・出力102馬力。1905年10月進水、小野清吉建造。1920年8月下関港から青森港に転属。
⓴    珠島丸 - 木造船、28.1総トン・全長16.6m・幅3.7m・深さ1.9m・乗組員6名・旅客69名・速力7.7ノット・出力108馬力。1902年10月進水、範多竜太郎建造。1920年9月宇高航路から青森港へ配属、翌年6月敦賀港▶へ転属。
2➊    茂浦丸 - 鋼船、81.4総トン・全長20.7m・幅5.4m・深さ2.9m・乗組員12名・旅客11名・速力9.6ノット・出力384馬力。1921年7月進水、函館船渠建造。青森港に配属、1947年11月小樽港▶へ転属。
 2➋   七飯丸 - 鋼船、90.0総トン・全長22.8m・幅5.9m・深さ2.8m・乗組員12名・旅客56名・速力10.6ノット・出力429馬力。1923年2月進水、浅野造船所建造。3月函館港配属、1956年4月係船の後7月売却▶。
2➌    尾花丸 - 鋼船、90.0総トン・全長22.8m・幅5.9m・深さ2.9m・乗組員12名・旅客56名・速力10.4ノット・出力429馬力。1923年2月進水、浅野造船所建造。3月函館港配属、1947年9月小樽港▶へ転属。
2➍    大栄丸 - 31総トン、木造船。1923年9月 - 1924年3月用船、函館港に配属。
2➎    第二竹崎丸 - 木造船、28.3総トン・全長17.5m・幅3.9m・深さ2.3m・乗組員6名・旅客54名・速力8.8ノット・出力100馬力。1913年6月進水、松下造船鉄工所建造。釜山港から1924年5月函館港に配属、1932年8月小樽港▶へ転属。
2➏    洛東丸 - 鋼船、81.4総トン・全長20.7m・幅5.4m・深さ2.9m・乗組員13名・旅客11名・速力8.8ノット・出力412馬力。1921年7月進水、函館船渠建造。釜山港から1924年5月青森港へ配属、1947年12月小樽港▶へ転属。
2➐    第三橋立丸 - 鋼船、131.4総トン・全長30.4m・幅5.4m・深さ3.0m・旅客479名・速力9.6ノット・出力290馬力。1910年10月進水、浦賀船渠建造。宇高航路から1931年に青森港へ平俗、1937年に宇高航路▶へ転属。
2➑    豊浦丸 - 鋼船、101.4総トン・全長23.1m・幅6.1m・深さ2.9m・乗組員10名・旅客96名・速力9.5ノット・出力499馬力。1914年5月進水、大阪鉄工所建造。釜山港から1938年3月に青森港へ配属、1954年7月函館港へ転属、1958年3月売却▶。
2➒    第八鐵榮丸 - 鋼船、139.6総トン・全長25.5m・幅6.7m・深さ3.3m・乗組員8名・速力11.7ノット・出力768馬力。1943年2月進水、函館船渠室蘭工場建造。1944年1月函館港に配属、1958年4月室蘭港▶へ転属。
3➓    第六鐵榮丸 - 鋼船、159.7総トン・全長26.0m・幅7.0m・深さ3.3m・乗組員8名・速力11.7ノット・出力777馬力。1942年7月進水、播磨造船所建造。1944年3月函館港配属、1967年8月係船◇の後10月売却▶。
3➊ 第五鐵榮丸 - 鋼船、159.7総トン・全長26.0m・幅7.0m・深さ3.3m・乗組員8名・速力11.6ノット・出力728馬力。1942年7月進水、播磨造船所建造。1944年9月函館港配属、1969年1月係船◇、4月売却▶。
3➋ 建泰丸 - 鋼船、295.7総トン・全長35.5m・幅8.2m・深さ4.8m・旅客33名・速力10ノット・出力1000馬力。1935年7月進水、上海合興機器造船所建造。小荷物専用船から救難船に変更の上1946年3月函館港配属、8月船舶運営会▶へ転属。
3➌ 利尻丸 - 鋼船、140.2総トン・全長24.4m・幅6.4m・深さ3.0m・乗組員9名・旅客246名・速力9.8ノット・出力460馬力。1924年10月進水、浦賀船渠建造。稚内港▶から1946年7月小湊港▶へ配属、1948年10月函館港◀へ転属、1967年4月係船◇、8月売却▶。
3➍ 曙丸(あけぼの) - 鋼船、296総トン・全長44.5m・幅6.7m・深さ3.5m・速力8ノット・出力800馬力。1940年進水、石川島造船所建造。1946年7月RTO専用船として函館港配属、1947年12月復員局▶へ転属。
3➎ 橘丸 - 木造船、123.9総トン・全長23.8m・幅6.3m・深さ2.7m・乗組員10名。1936年12月進水、周陽造船所建造。下関港から1946年11月函館港配属。
3➏ 第九鐵榮丸 - 鋼船、158.7総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・速力10.5ノット・出力567馬力。1946年12月進水、日本鋼管鶴見工場建造。1947年4月函館港配属、12月青森港へ転属、1967年4月係船◇、8月売却▶。
3➐ 第十鐵榮丸 - 鋼船、158.8総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・速力10.8ノット・出力829馬力。1947年2月進水、日本鋼管鶴見工場建造。1947年7月青森港配属、1969年3月係船◇、4月売却▶。
3➑ 満恒丸 - 木造船、87.7総トン・全長26.1m・幅5.5m・深さ2.5m・乗組員8名・速力6.5ノット・出力327馬力。1921年6月進水、藤永田造船所建造。室蘭港から1947年9月函館港配属、1949年7月係船◇、1951年9月売却▶。
3➒ えさし丸 - 鋼船、162.1総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・旅客130名・速力11.1ノット・出力800馬力。1947年5月進水、鶴見造船所建造。10月函館港配属、1969年2月係船◇、7月売却▶。
4➓ おいわけ丸 - 鋼船、162.1総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・旅客130名・速力10.5ノット・出力800馬力。1947年8月進水、鶴見造船所建造。12月函館港配属、1969年2月売却▶、7月売却▶。
4➊ かつとし丸(初代)- 鋼船、162.1総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・旅客130名・速力10.6ノット・出力800馬力。1947年9月進水、鶴見造船所建造。1948年1月函館港配属、1968年2月係船◇、4月売却▶。
4➋ しらかみ丸(初代) - 鋼船、162.1総トン・全長26.0m・幅7.2m・深さ3.5m・乗組員10名・旅客130名・速力10.7ノット・出力800馬力。1947年11月進水、鶴見造船所建造。1948年3月青森港配属、1969年1月係船◇、4月売却▶。
4➌ 第十五萬壽丸 - 鋼船、61.1総トン・全長20.8m・幅5.2m・深さ2.6m・乗組員8名・旅客85名・速力10ノット・出力210馬力。1942年6月進水、函館船渠建造。室蘭工事区から1948年8月函館港に配属、1958年5月係船◇、7月売却▶。
4➍ 第四鐵榮丸 - 鋼船、159.7総トン・全長27.0m・幅7.1m・深さ3.3m・乗組員7名・旅客92名・速力12ノット・出力966馬力。1938年12月進水、鶴見造船所建造。広島港から1954年7月青森港配属、1961年6月函館港・1967年7月青森港転属、1978年6月売却▶。
4➎ 第三鐵榮丸 - 鋼船、159.7総トン・全長27.0m・幅7.1m・深さ3.3m・乗組員7名・旅客82名・速力12ノット・出力952馬力。1938年12月進水、鶴見造船所建造。広島港から1956年6月函館港に配属、1978年6月売却▶。
4➏ 第七鐵榮丸 - 鋼船、159.7総トン・全長26.0m・幅7.0m・深さ3.3m・乗組員8名・速力11.7ノット・出力748馬力。1942年8月進水、播磨造船所建造。宇高航路から1959年4月函館港配属、1960年10月広島港▶転属。
4➐ えさん丸 - 鋼船、183.0総トン・全長23.2m・幅8.0m・深さ3.8m・乗組員6名・旅客75名・速力11.4ノット・出力1640馬力。1967年4月進水、函館ドック建造。函館港配属、1984年5月売却▶。
4➑ たっぴ丸- 鋼船、182.8総トン・全長23.2m・幅8.0m・深さ3.8m・乗組員6名・旅客75名・速力12ノット・出力1640馬力。1968年2月進水、函館ドック建造。3月函館港配属、1968年11月青森港へ転属。
4➒ ひうら丸- 235総トン・全長30m・幅8.4m・深さ3.8m・乗組員5名・旅客定員75名・速力12ノット・出力2000馬力。1978年3月進水、函館ドック建造。6月函館港に配属。
5➓ ふくうら丸 - 235総トン・全長30m・幅8.4m・深さ3.8m・乗組員5名・旅客定員75名・速力12ノット・出力2000馬力。1978年3月進水、函館ドック建造。6月青森港に配属。
5➊ しらかみ丸(2代)- 180.4総トン・全長23.2m・幅8.0m・深さ3.8m・乗組員5名・旅客75名・速力12ノット・出力1640馬力。1968年12月進水、日魯造船建造。1969年1月函館港配属。
5➋ かつとし丸(2代)188.2総トン・全長23.2m・幅8.0m・深さ3.8m・乗組員5名・旅客75名・速力12.1ノット・出力1640馬力。1968年11月進水、函東工業建造。12月に函館港配属。

 E 綱取自動艇
   ※石狩丸 (2代)の船首で作業する綱取自動艇はるかぜ                        着岸作業時に係留索を連絡船から岸壁に渡す作業を行う小型艇。 ★バウスラスターを持たない十和田丸 (初代)以前の連絡船の入港時に使用された。補助汽船と同様に狭水域での作業に従事するため、フォイトシュナイダープロペラを採用していた。 「自動艇」とは、自動車に類する★内燃機関を動力とする艇の意で、自動制御等とは関係しない。

 ➊まつかぜ - 6.1総トン・全長8.0m・幅2.79m・深さ1.2m・定員5名・速力5.5ノット・出力50馬力。1953年2月進水、浦賀船渠建造。当初函館港に配備、1961年4月青森港転属、1971年4月沈没▼し引き上げ△の後8月末売却▶。
➋うめかぜ- 6.9総トン・長さ7.8m・幅2.8m・深さ1.3m・定員5名・速力7ノット、出力85馬力。1956年2月進水、浦賀船渠建造。青森港に配備、1979年2月売却▶。
➌たけかぜ - 6.9総トン・長さ7.8m・幅2.8m・深さ1.3m・定員5名・速力7ノット、出力85馬力。1956年2月進水、浦賀船渠建造。函館港に配備、1979年2月売却▶。
➍はるかぜ - 7.9総トン・長さ8.1m・幅2.8m・深さ1.4m・定員5名・速力6.9ノット・出力100馬力。1959年11月進水、三菱重工業長崎造船所建造。函館港に配備、1979年2月売却▶。
➎しらさぎ - 6.0総トン・長さ7.7m・幅2.4m・深さ1.3m・定員5名・速力6.9ノット・出力100馬力。1954年1月四国船渠建造、宇高航路より転属し1954年11月から1961年11月・1962年5月から1971年6月まで函館港、1961年11月から1962年5月・1971年6月から1978年6月廃棄■まで青森港に配備。

 F 自動艇

➊    ともえ ‐木造船、4.3総トン・長さ9.1m・幅1.9m・深さ0.9m・定員1名・速力7ノット・20馬力。1920年7月進水、墨田川造船所建造。函館港に配備、1936年11月室蘭港へ転属▶。
➋    みゆき - 9.7総トン・全長11.6m・幅2.6m・深さ1.2m・乗組員3名・乗客26名・速力12ノット・出力55馬力。1936年10月進水、横浜ヨット工作建造。函館港に配備、1958年9月広島港▶へ転属。
➌    ちどり - 9.7総トン・全長9.4m・幅1.9m・深さ1.0m・定員1名・速力7ノット。1922年3月進水、墨田川造船所建造。1947年10月RTOから函館港へ配備。
➍    かもめ - 4.7総トン・全長8.4m・幅1.9m・深さ0.9m・乗組員1名・乗客12名・速力7ノット。1918年4月進水、高橋新八建造。1947年10月RTOから函館港へ配備。
➎    みさき - 8.7総トン・全長11.9m・幅2.3m・深さ1.1m・乗組員3名・乗客13名、出力90馬力。1937年4月進水、泉原造船建造。1960年8月広島港から函館港へ配備、1968年6月広島港▶へ転属。 (Wiki)

 

 

 

ーーー                           初版20230414 昨日、夕方5時を回ると肌寒く、6時過ぎには風が出て薄い上着は来ていたが寒かった、、年寄りにはキツイ(泣  相変わらず昼は暑い寒暖差のあった1日、、

ー時節項追記同日深夜未明 13木の内容中心      ①黄砂 再び16日 西から飛来予想       ②幕僚長 領域に落下予測「戦後初」   ▷日本のEEZに中国の飛行禁止区域 一部含まれる 松野官房、中国当局に説明申し入れ  > 肝心なことは何故に今、なのか。ヘリ墜落があったからでは駄目だと思うのだが、、   ▷75歳以上保険料引き上げ 衆院 通過   ▷内閣支持率 再び3割台 回復  > …だからと云ってもまだまだ低水準かと、、   ▷ガ氏 パスポート 失効       ➋疑惑巡り ト氏 元腹心を提訴   ▶衛星破壊実験 G7外相 反対へ   ▶ヘンリー王子 国王載冠式 参加へ       ③公取委 みずほ証券を注意 株式巡り   ▷SBG アリババ株大半 売却へ ~報道  > この会社、5G電波塔発注の時もそうだったけれどどことなく中国寄りかと、、   ▷東電値上げ 公聴会で反対 相次ぐ   ▷空飛ぶ車 個人売買2億円 ~愛知「スカイドライブ社」  > 2人乗り電動機「SD-05」。最大航続距離10㎞で、最高速100㎞、飛行時間は5-10分。納期は2025年以降で、大阪万博での輸送を目標とし、ベトナム企業とは最大100機の覚書も締結済みとのこと。ちょっとショボイがいよいよ、近未来モノで定番だった夢が実現です!   ▷出社や経費 自由 永谷園が「専任」復活       ➌チャットGPT 伊が月内の対策 要求   ▶AI訓練の著作巡り 米で 集団提訴       ④新規感染全国10,064人(先週同一曜日比+550) 重症63(前日比+1) 死者16   ▷東京1181人 13日連続前週同一曜日 上回る  > 都の専門家、感染拡大「始まっている」の指摘も、、 何もしないだろうな、またも、、   ▷広島県 オミクロン株派生型「XBB・1・5」 初確認  > 12水は新規260人   ▷新型コロナ「みなし入院」給付金 5/7終了へ 生保大手各社が発表       ➍中国 マスク着用義務 撤廃へ       ⑤レスリング藤浪朱理※ 119連勝  ※三重県出身の19歳、日体大所属。53kg級。。  > 多くが引退していますから、どんどん出てきて欲しいものかと、、  ▷WBCチケット 不正転売疑い 逮捕   ▷Jリーグ 26年までに 秋春制移行か       ⑥HTBのクルーズ船 客転落 重体   ▷騒音異臭、日本語通じない ヤード自動車解体現場に 住民困惑 千葉市若葉区       ⑦体重692gで出生 困難超え 小学生に  > こういう子にファンドみたいのがあったら是非祝福してあげたいな、、       ⑧秋篠宮殿下 大阪万博 名誉総裁に   ▷大阪万博 前売り券は11月 販売  > この手のイベントやスポーツチケット、、ちゃんと公平に不正なく捌けるようなシステムを開発する会社って現れないものなのだろうか?(世界中需要はあると思うのだが)       ⑨巨・坂本 再びスタメン 外れる   ▷WBC組 離脱ドミノ 止まらず  > Rソックス・吉田が右太腿裏の張りで欠場、、ヤ・山田は下半身にアクシデント。西武・山川の末梢、同西武・源田の開催中の骨折も記憶に新しいところ、、  ▷西純1勝1敗に 湯浅に5S目   ▷阪神 首位タイに 巨人戦2勝1敗で勝ち越し   🔴昨日13木のNPB結果 ≪セ≫神4-1巨▷巨人 またエラーで追加点を与える  > バッテリ間でサイン違いもあったり、基本を間違えるとこうなりますね、、 ▷阪神・佐藤 スタメン外れる ▷佐藤の代わりに入った渡辺諒 移籍後初決勝…となる本塁打に守備でもファインプレー > 本塁打は2年振りだとか、、 ▷阪神・ノイジー 先制弾 二試合連続本塁打 ▷巨人12安打も 1点の拙攻 > 併殺が目立ちました ▷巨・オコエ 猛打賞 一昨日に続いて今季2回目 ▷阪神 オーダー大きく変更 3番に渡辺、5番ノイジー 梅野6番に上げ 7,8番に板山、木浪を先発   ≪パ≫ロ0-2西〔県立大宮〕       ➒千賀 2連勝も心境は 「全然ダメ」   ▶大谷 今季初 出番なし   ▶鈴木誠也 マイナー戦で今季初 本塁打   ▶エ軍 連日の判定に選手もファンも 我慢限界 ウィード見逃し三振に不満あらわ   🔴昨日のMLB結果≪ア≫NY4-3ガーディアンズ WS1-3ツインズ アスレチックス8-4オリオールズ RS7-9レイズ タイガース3-4ブルージェイズ ロイヤルズ10-1レンジャーズ  ≪ナ≫パドレス2-5メッツ カージナルス7‐4ロッキーズ ブリュワーズ3-7DB マーリンズ3-2フィリーズ レッズ4-5ブレーブス ドジャース10-5ジャイアンツ  ≪イ≫アストロズ7-0パイレーツ マリナーズ5-2カブス ナショナルズ2-3エンゼルス       ⑩

ー                       (画像・1) 羊蹄丸。  /JR北海道

 

(画像・2上) 十和田丸の甲板にある自動車搭載スペース。 う~ん、、こんなんだったかなぁ。 もっと小さかったような記憶もありますが、、  勿論、車載型の大型船もありました。。←記憶        (画像・2下) 乗車させると「サイドブレーキをかけ、ギヤを入れるように指示」され、、車輪には三角形の木枠で固定がされていました。。  この画像、どの船のだろう? どの車も、古い…    上/クルーズマン  下/Chaptnet

 

(画像・3) 摩周丸の屋外スペースは12台。 「遊歩甲板自動車搭載区画」と云うのですね  /摩周丸

 

(画像・4) 松前丸  /山田君の世界

 

(画像・5) 青函連絡船のイラスト。 ロゴも懐かしい。。 もう令和の今ではネットサーフしても中々画像も見つかりませんね。。   /アメブロ

 

(画像・6) これは基調かも。 写真  /メルカリ

 

(画像・7) 洞爺丸と1954年の台風遭難の時の様子。 この時、5隻も沈んだのですね。 捜索活動も難しくて難航した、とありました   /Tw

 

(画像・8) 新居浜に羊蹄丸が来る、のチラシ。 上記に依ると、この後解体されたとの事。          そうそう、すべての船には右上のイルカのロゴもあったなぁ、、それぞれの船が違ったロゴだった記憶も、、    /アメブロ

 

ー                          (画像・)/(画像・)/

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