【1日目 武蔵国】 令和6年(2024)10月11日(金)晴
歩行距離:江戸日本橋~調布駅 26.8km
行 程:前橋駅5:31==(1980+1550円)==8:00東京駅 - 08:18 日本橋 - 09:16 桜田門 - 09:24 附属水準点(附属点)丁 - 09:32 三宅坂 - 10:02 四ツ谷見附址 10:12 - 10:52 新宿御苑 大木戸門 - 10:57 新宿御苑前 -11:08青梅街道追分--- 11:16 新宿駅(南口) - 11:30初台付近昼食12:10--- 12:43笹塚の一里塚--14:04富吉屋源三本陣跡---14:13下高井戸の一里塚---14:33武蔵屋本陣跡--16:22仙川の一里塚--16:00馬橋--17:27 調布駅==東府中駅----マロウドイン東京泊(素泊5250円)
甲州街道は当初、甲州海道と呼ばれたが、海を通っていないという理由から正徳六年(1761)幕府道中奉行は甲州道中と定めた。日本橋から八王子・甲府を経て下諏訪で中山道に合流する約220キロ(53里余)の街道で、現在の国道20号線にほぼ相当する道。
甲州道中は江戸城に危難が及んだ際、江戸城半蔵門から甲州道中に脱出し、甲府城に入り、富士川の舟で駿府に至る路とした。徳川幕府にとっては戦略上重要な街道で、参勤交代の大名は高島、高遠、飯田の三藩だけに限られ、他は幕府に献上される「お茶壷道中」だけで、「宇治の茶」は中山道を通り下諏訪宿から甲州道中に入った。
【江戸日本橋】
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日本橋の道路中央には日本国道路元標が埋め込まれている
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一石橋
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親柱の傍らに安政四年(1857)建立の一石橋迷子しらせ石標
探す人は「尋ね人の特徴を書いた紙」を左の窪みに、見つけた人は「特徴を書いた紙」を右の窪みに貼り付け、知らせた
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和田倉濠のコブハクチョウは70年前から飼育されている
反対側に東京駅
馬場先濠
桜田門
反対側は警視庁
国会議事堂
官庁街や国会議事堂に何度か訪れたことがあるが位置関係が初めて理解できた
隼(はやぶさ)町の一里塚 日本橋から1里 歩行距離4.8km
国会議事堂先に国立劇場・最高裁判所があるが、このあたりが日本橋から一里
一里塚は当初から無かったとの説もある
四谷見附跡(四谷門跡) 10:10 歩行距離6.3km
四ツ谷駅前の植え込みに記念碑があるが分かりにくい
臨済宗瑞渓山祥山寺と忍者地蔵
祥山寺は伊賀衆の菩提寺で、忍者地蔵は伊賀組忍者供養塔
【内藤新宿】 10:50 歩行距離8.3km
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四谷4丁目交差点ここに四谷大木戸があった
後ろの建物は水道局の営業所
玉川上水水番所の跡で、玉川上水の「水道碑記」、裏に四谷大木戸跡碑が立っている。
東京都の花「ソメイヨシノ」、木「イチョウ」、鳥「ユリカモメ」がデザインされたマンホール蓋
新宿三丁目交差点手前に追分だんご本舗
新宿三丁目交差点が青梅街道追分 11:08 歩行距離9.3km
このあたりが追分の一里塚 日本橋より2里
直進方向が青梅街道 甲州道中は左折
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子育て地蔵 貞享三年(1686)造立
青面金剛像庚申塔や南無妙法蓮華経題目碑
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牛窪地蔵尊 正徳元年(1711)造立
地蔵堂の前には文化三年(1806)新町商人達が建立した道供養碑
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笹塚の一里塚 日本橋から3里 12:43 歩行距離13.7km
往時は笹に覆われた塚があったそうだが現在は生垣に覆われ見逃しそうになる
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元禄13年(1700)に建てられた庚申塔 御堂も建てられ300年間守られている
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玉川上水に架橋されていた代田橋跡
玉川上水は、江戸市の水不足を補うため多摩川から玉川兄弟により羽村から四谷大木戸まで掘られた水路
築地本願寺和田掘廟所
関東大震災後築地本願寺別院として創建された
付近には関東大震災後移転してきた浄土真宗派の寺がいくつかある
浄土真宗本願寺派三宝山真教寺
【下高井戸】13:55 歩行距離17.4km
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日蓮系叡昌山宗源寺 と 宗源寺前交番
不動堂は、修験道の本覚院のものだったが、明治44年(1911)に本覚院が宗源寺に合併されて、不動堂をここに移した。不動堂はかつて高台にあったため高井堂と呼ばれ、高井戸の地名の由来となったという説がある
このあたりに本陣があったようだ
首都高速4号新宿線の下、鎌倉街道入口
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下高井戸の一里塚 日本橋より4里 14:13 歩行距離18.2km
【上高井戸】 14:33 歩行距離19.0km
上北沢四丁目交差点 この辺りから上高井戸宿
交番先が武蔵屋本陣跡らしい
井之頭辨財天道道標 「是ヨリ一里半」
井の頭公園ある弁財天への道
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曹洞宗萬年山長泉寺
西国巡礼33観音が安置され、鹿野派の絵師が描いた板絵着色西国巡礼図は杉並区指定有形民俗文化財
大橋場の跡
烏山用水に架橋されていた「武州千歳村大橋場跡」 と記された親柱と下山地蔵尊(明和8年・1771)
この地蔵は身代わり地蔵尊・出世地蔵尊とも呼ばれた。青面金剛像庚申塔は元禄十三年(1700)の建立
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疲れたのでここでお茶 コーヒー&ケーキ1000円 15:20~16:00
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里程標 明治政府が測量し新しく明治三年(1870)建立の新一里塚
「内藤新宿より三里」と刻まれている
仙川
百日紅(さるすべり)をデザインした調布市のマンホール
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仙川一里塚跡 日本橋より5里 16:22 歩行距離22.7km
仙川駅入口交差点のセブンイレブン前にある
キューピーマヨネーズ仙川工場(マヨテラス)
木製の輪が恐竜の骨格宜しく並んで見えるのはマヨネーズのチューブの形
工場見学や料理体験などできるらしい
薬師如来坐像
手入れはされているが左の地蔵菩薩は首が無い
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妙円地蔵 市指定民俗資料
妙円は金子村の新助に嫁いだが、失明してしまい、出家して寿量妙円と名乗った。以後、村人のために路傍で鉦をたたいては念仏を唱え、集まった浄財でこの地蔵菩薩像を作った。
深大寺案内地蔵
直進が甲州街道 深大寺は左折し2.5km程先
【布田五宿(国領)】 16:20 日本橋から歩行距離25.0km
野川 上流を馬橋から見る
祠内に青面金剛像庚申塔 寛政十年(1798)建立
ここで日没時間(17:12)となったので調布駅へ向かい、宿のある東府中駅へ
東府中駅近くの「三宝食堂」で夕食、「ニンニクの芽と肉炒め」ライス・味噌汁で920円
御飯は新米、安くて美味しかった
山歩きは脚が心配なので五街道の残り甲州道中へ挑戦
しかし、アスファルト道は路面が硬く
10月なのに照り返しも暑く20km程歩くで疲れ果ててしまいました
甲州道中、今のところ都市化されて往時の面影も少ない
甲州街道に面した店のオーナーですらこの道が諏訪まで続く五街道甲州道中であることを知らなかった
地図
参考1:「ちゃんと歩ける甲州街道 甲州道中四十四次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク :上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:きままに歩く :現地解説版など詳細な写真が豊富
参考5:街道歩き旅
参考6:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考7:レファレンス協同データベース(レファ協):国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、レファレンス(調べものの相談)のデータベース
(PS)四国霊場(最終編)を公開しました。今回はこんぴらさん・満濃池など観光主体、最後は山上参拝66番「雲辺寺」で締めです。
秋とは言え日中は陽射しも厳しく、アスファルト舗装路を歩くのには厳しいものがあり、未だ山歩きの方が楽な気もします
涼しくなるころには、日のでは遅く日没は早くなるので悩みどころです