【切目駅~紀伊田辺】 令和6年(2024)12月13日(金)晴/曇り
行 程:紀伊田辺駅5:30-==(420円)==5:49切目駅5:55--6:18切目中山王子--7:33岩代王子--8:30千里王子--9:15南部峠の石仏--紀州梅干館--10:10三鍋王子--10:44鹿島神社--12:00芳養王子--芳養一里塚--13:30出立王子--14:00高山寺14:40--14:45宿
歩行距離:23.8km (渡辺浜・八軒家より累計204.3km)
午後天気が崩れそうなので紀伊田辺駅を一番列車出発
真っ暗闇の切目駅に着く
鉄道を潜り改札口と反対方向へ抜けると蛍光色に光る南部町マスコットカエルの道標があった
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65 切目中山王子 切目駅から1.1km
足痛を治してくれる「足の宮」も合祀されている
付近に野犬が生息しているらしく「野犬に餌を与えないで」の張り紙があった
暗闇でゴソゴソ音がしていたので身構えながら先を急いだ
田辺湾方面を望む 明るければ海も良く見えるだろう
榎峠が解らないまま、暗闇の土道を進む
紅葉が見頃の山肌の上は別荘地の様 (ビラタウン紀ノ郷)というらしい
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徳本上人名号碑 紀伊路で何度も見かける 切目駅から3.3km
付近に大きなソテツがありここでも南国を感じる
碑の前に白と紫の花が供えられているが付近の温室で栽培されている「スターチス」という花
日が昇ってくると周囲には多くのビニールハウスが現れた
よく見れば付近の農地は殆どビニールハウスで中には紫の花
和歌山は作付面積・出荷量共に全国一のスターチスの産地だそうだ
【日高郡みなべ町】
みなべ町のマンホールは梅の花と実のデザイン
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岩代(有間皇子)結びの松 (県指定史跡)
*孝徳天皇の皇子 有間皇子が、謀反の罪に問われ、護送される途次、岩代で松の枝を引き結んで歌を詠み、岩代の神に自分の平安の無事を祈りました。しかし、有間皇子はその後途中の藤白坂で絞殺された
この先踏切を渡り、海岸に出たところに岩代王子がある
干潮の様なのでここから海岸の砂浜を歩く
千里の浜 県指定名勝天然記念物
アカウミガメの産卵地
5月下旬から8月上旬に産卵にくるそうなのでこの時期立ち入らない方が良いのだろうか
地図どうりに来るとここで鉄道を潜り千里の浜に出る
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67 千里王子 切目駅から8.1km
スタンプは「千里の浜」と浜で産卵するウミガメのデザイン
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千里王子に隣接する 千里観音
元は千里王子と一緒だったが明治7年の神仏分離令で分かれた
土道を歩く
鉄路を潜り右へ
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梅林を歩く、地面の青いネットは木に掛けるのではなく地面に張り実を受けるらしい
*手摘みする青梅とは異なり、完熟梅は自然に落下したものを収穫する。地面にネットを敷きつめているのは、実が落下した際に表面を傷つけないためだ。THE ROOTS OF SHUN (September / BACK NUMBER 2022)
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南部峠石造地蔵 切目駅から9.3km
骨接ぎに霊験があらたかであると伝えられ、別名「骨つぎ地蔵」とも呼ばれている
それらしい道が続く
ウミガメのマンホール発見 旧南部町のマンホール
紀州 梅干館 にて工場見学
様々な味付けの梅干しがあったが試食だけで荷物になるので(高くて手が出ない)購入せず退出
南部川を国道42号線南部大橋で渡り、上流側に歩くと対岸に梅干館が見える、
旧道は梅干館辺りから渡し船か何かあったのだろう
旧道らしい道と弁柄塗に虫かご窓の旧家
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丹川地蔵と大イチョウ
イチョウは樹齢300年、胸高周囲4.3m、樹高25m
不明なマンホール
「稲穂と凧、べに花」をデザインした千葉県長生郡長南町の農業集排水のマンホールらしいが
何でここにあるのか?
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鹿島神社 切目駅から13.4km
一時、三鍋王子が合祀されていた
【田辺市】
田辺市のマンホールは市の花ウメ、海、旧田辺市の木マツをデザイン
井原観音
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69 芳養王子(はやおうじ) 切目駅から17.8km
芳養大神社へ合祀されている
スタンプは王子がある芳養大神社が海のそばにある様子をデザイン
ポップな感じのJR芳養駅
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駅前のこちらの店で昼食、麻婆豆腐丼と餃子で800円と超リーズナブル
芳養一里塚跡 切目駅から18.5km
一里塚地蔵尊と青面金剛が祀ってある
牛の鼻聖徳地蔵
地名は、牛の鼻に似た岩穴があったことに由来。刑場があったとも
天神崎方面
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潮垢離浜跡 切目駅から20.6km
*潮垢離(しおごり)とは、浜で海水を浴びて穢れを払う儀式のこと。ここまで海辺をたどってきた紀伊路ですが、田辺からは山中を進む中辺路へと入るため、熊野の聖域に入る前のこの浜での潮垢離は重要なものとされていました
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70 出立王子 県指定史跡 切目駅から18.5km
田辺王子とも呼ばれる。八立稲荷神社に合祀
ここまでが紀伊路、この先は中辺路
階段奥に八立稲荷神社(やたちねじんじゃ)
八幡・出立・稲神社を合祀
会津川沿いに高山寺へ向かう
正南面山高山寺(真言宗) 切目駅から22.2km
聖徳太子の草創、弘法大師が中興したとされるお寺で『弘法さん』の名で親しまれており
弘法大師自作の像や会津川の渕に自からの影を写して刻んだと伝えられる像が安置されているという
弁天堂
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南方熊楠の墓 植芝盛平の墓
熊楠の墓は思ったよりこじんまりしているが田辺湾の方を見ている
*高山寺に隣接してあった糸田の猿神社(さるがみのやしろ)から熊楠は数多くの隠花植物を採集しましたが、明治41年(1908年)に合祀されて神木も伐採され、そのことが熊楠が神社合祀反対運動に立ち上がるきっかけとなりました。(み熊野ねっと)
高山寺と街を結ぶ会津川に架かる弘法橋
本日二泊目の宿
本日は浜辺を歩いたり高台から海を眺めたりのコース
歩いているときはあまり気になりませんでしたが
写真を見ていると青空が広がっていたらどんなに気持ちが良かったろうと思える
この思いの差は何なのだろう?
おそらく日記のつもりで書いているブログもやはり多分に人に見せることを意識していからなのだろう
かといって赤裸々に自分の思いを書きなぐる日記にするわけにはいかない
どうも中途半端で方向性に悩む今日この頃です
(ですます調とである体が入り混じるのも中途半端である)
参考1:歩く旅シリーズ 熊野古道を歩く 山と渓谷社
参考2:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考3:藤原定家の熊野御幸(ごこう):神坂次郎著 角川ソフィア文庫
参考4:熊野まんだら街道:神坂次郎著 新潮文庫
参考5:歴史街道ウオーキングマップ::大阪府都市整備部
参考6:熊野古道紀伊路::和歌山県観光連盟
参考7:み熊野ねっと::自称「熊野の伝道者 てつ」さんのHP、熊野本宮氏子総代
参考8:Pentiumさんのヤマレコ::現存する王子だけでなく、合祀された神社や元あった場所など隈なく歩いている
参考9:日本マンホール蓋学会::各地のマンホールについて詳述している
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