【田辺市内散策】 令和6年(2024)12月15日(日)晴れ
行 程:宿8:00--8:10紀伊田辺駅--8:15闘鶏神社--8:40蟻通神社--8:50道分け石(北新町道標)--道分け石(本町道標)---旧会津橋--9:15田辺城水門跡---9:20田辺湾---9:35田辺市立武道館(植芝盛平記念館)---10:00南方熊楠顕彰館11:00---11:30歴史民俗資料館---紀伊田辺駅13:37=(くろしお22号)=15:51新大阪16:18=(ひかり658号)=19:12東京19:32=(あさま627号)=20:18高崎20:39==20:53前橋 (JR17,200円)
歩行距離:10.9km
【田辺市】
本日は予備日、午前中田辺市内を散策し帰宅予定
紀伊田辺駅
駅前には田辺市で生まれた弁慶の大きな像がある
闘鶏神社 世界遺産
社殿は国指定重要文化財で社殿6棟は熊野本宮と同じ並び
*鬪雞神社に祈願し三山参詣に替えたとの伝承があることから熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の別宮的な存在でもあった(闘鶏神社HP)
南方熊楠の妻は闘鶏神社宮司の娘
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湛増と弁慶像
*源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当・湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。熊野水軍の加勢が合戦の勝敗に結びついたともいわれます。2羽の鶏像は本殿を見守っています。
若宮神社 闘鶏神社の境外社
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蟻通神社
地元では「御霊(ごりょう)さん」と呼ばれ親しまれており、湊(田辺市中心市街地)の地主神として尊崇されている。神社の由来は、らせん状に渦巻いたホラ貝に蟻を使って糸を通した故事から。
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道分け石(北新町道標) 左(赤色):くまの道(すぐは 大へち) 右(黄色):きみい寺
中辺路・大辺路の分岐点
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道分け石(本町道標) 左(赤色):きみい寺 右(黄色):くまの道
旧会津橋 熊野古道紀伊路
旧会津橋より会津川上流
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田辺城水門 田辺市指定文化財
*「明治3年(1870)田辺城は排城となり、遺構の多くは姿を消しましたが、埋門型の水門とそれに続く石垣が当時の面影を留めています。」
田辺湾
田辺市武道館周囲では弁慶市が開催されていた
*弁慶市は、1986年(昭和61年)より、毎月1回(第3日曜日)開催されている朝市です。この市は、江戸時代の中頃より、田辺市片町のお堀端に六斉市(ろくさいいち)という市が開かれていたときの 通称『弁慶市』を再現したものです。(田辺観光協会HP)
武道館前には合気道創設者植芝盛兵の銅像
【南方熊楠顕彰館】
南方熊楠(みなかた くまぐす)顕彰館 外観
奥に見える木造家屋が南方熊楠の邸宅
書斎 母屋とは別棟
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粘菌の新種「ミナカテルラ・ロンギフィラ(和名:ミナカタホコリ)」(Minakatella longifila 長糸南方粘菌)を発見した柿木
腐朽した木に付いて成熟するとされていた粘菌が生きた木にもつくこことに着目
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センダン
センダンは別名「楝(オウチ)」と呼ばれ、6月に薄紫の花を咲かせ、白い実がなる
熊楠が臨終の床で「天井に紫の花が咲いている」といったのはこの花のことだろうと言われている
「栴檀(センダン)は双葉より香し」のセンダンはは白檀のことで別種
*南方熊楠(1867-1941)は 14年に及ぶ海外留学を経て和歌山県の田辺町に居住。粘菌の研究の傍ら神社合祀反対運動や神島などの自然保護運動を精力的に行う。孫文(中国革命の父)、柳田國男(民俗学者)、土宜法竜(高野山真言宗管長)、徳川頼倫(紀州徳川家第15代当主。貴族院議員)らと親交があり、晩年は昭和天皇にご進講を行う。約20か国語を操りそれらの古語も理解していたといれている。
世界各地で発見、採集した地衣・菌類や、科学史、民俗学、人類学に関する英文論考を、『ネイチャー』と『ノーツ・アンド・クエリーズ(英語版)』に次々と寄稿し、生涯で『ネイチャー』誌に51本の論文が掲載されており、これは現在に至るまで単著での掲載本数の歴代最高記録となっている。
熊楠の生涯は「南方熊楠顕彰館」に詳しい
南方熊楠の業績に改めて感心させられ、今回はこれで帰路につく
知の巨人南方熊楠、柳田國男からは「日本人の可能性の極限」と称された
数ケ国語を操り論文を世界的科学雑誌に投稿
その内容は、天文学・生物学・人類学・民俗学・考古学等多分野に亘り
外国の有名な学者の論文の間違いまで指摘訂正させる
知識が広くて深く一つにまとまり切れない、計り知れない人物、未完の天才
牧野富太郎は、「大なる文学者でこそあったが、決して大なる植物学者ではなかった」と評する
水木しげるは、熊楠の生涯を漫画にし、叙勲の授章式に、昭和天皇に熊楠がご進講をした時のスタイルにあやかって燕尾服にシルクハットで出席している
昭和天皇は、在りし日の南方熊楠を偲んで「雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」を詠んでいる
残された膨大な資料を基に未完の天才南方熊楠の研究は続くそうです
熊野古道の旅は、自然や歴史を肌で感じる旅と思っていましたが意外な出会いもありました
参考1:歩く旅シリーズ 熊野古道を歩く 山と渓谷社
参考2:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考3:藤原定家の熊野御幸(ごこう):神坂次郎著 角川ソフィア文庫
参考4:熊野まんだら街道:神坂次郎著 新潮文庫
参考5:巨人伝:津本陽著 文芸春秋
参考6:猫楠 南方熊楠の生涯: 水木しげる著 (角川文庫)
参考7:未完の天才 南方熊楠: 志村 真幸著 (講談社現代新書) [ ]
参考8:南方熊楠顕彰館
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