上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

鎌倉街道上道を歩く その3 (道の駅はなぞのから武蔵嵐山駅)

2023年03月10日 | 街道を歩く

 鎌倉街道は信濃、越後、陸奥方面から鎌倉へ通じた道で鎌倉幕府の御家人らが鎌倉へ向かう道として発展したが、今では道路改修・圃場整備・宅地造成など様々な事業で往時の姿が残っているところは少ないそうだ。
 鎌倉から上州へ向かう上道(カミミチ・カミツミチ、上の道)、下野へ向かう中道(中の道)、常陸へ向かう下道(下の道)が有名であるが、我が上州から鎌倉への上道を歩いてみることにした。『いざ鎌倉へ!』




【3日目 埼玉県】 2023年3月8日(水)快晴
 歩行距離:丹荘駅~寄居駅 27.9km(累計54.7km) 
 行  程:自宅5:00===6:20道の駅はなぞの6:25---07:41普光寺---07:53塚田三嶋神社08:02---08:29高蔵寺08:33---08:39今市地蔵堂08:40---09:35諏訪神社奉祀跡09:36---10:45宝成寺---11:20菅谷神社---11:43武蔵嵐山駅11:54==12:17鉢形駅---12:35ラーメン青野13:00---道の駅はなぞの
   武蔵嵐山=鉢形駅運賃317円 醤油ラーメン890円




 

 早朝「道の駅はなぞの」へ着くとエンジンを吹かしたままのトラックと
 車中泊の人も何組かおりほぼ満車状態
 空いている隙間を見つけ駐車し出発



 日の出とともに、荒川沿いの鎌倉街道を太陽に向かってほぼ真東に進む




 川沿いに石造・石仏群
 多聞天と刻んだ石板や薬師如来と思われる石仏、墓石なども雑然と置かれている



 荒川に架かる花園大橋、これを渡る



 花園大橋から上流側

 下流側

 道の駅から1.2km 6:45


 「赤浜の渡し」があった所の獅子岩
 下流に関越自動車道の橋が架かる荒川の屈曲した所近くに
 もう一つの渡河地点「山王の渡し」がある



 獅子岩から200m程進むと坂になり坂上に鎌倉街道の表示がある
 ここを解説版の下へ真っ直ぐ下ると「山王の渡し」と「川越岩」があるのだろう


 獅子岩からの登りが山王坂というらしい



 残された鎌倉街道も沿線は今なお開発が進んでおり
 左手はアイリスオオヤマの物流倉庫が建設中

道の駅から4.9km 7:35

 大悲山普光寺(天台宗)





 普光寺の東端を鎌倉街道が通っていた
 北側の杉林の中に掘り割った遺構が残っているが北側の入口が判らず通り過ごしてしまった




 付近の畑等から出土した板碑や石塔
 鎌倉街道往来中、病没した行路者を供養したと思われるものなどがある


道の駅から6.1km 8:00

普光寺から約1kmにある塚田三島神社

1392年に奉納された鰐口(県指定文化財)と書かれている


鰐口があるかと覗いてみると鈴が下がっていた
盗難にあわぬようどこかに保存されているのだろう


神社裏には自慢のヤブツバキの大木がある





道の駅から7.2km 8:15 薬師堂があり
脇には二十二夜塔・百万遍供養塔・百観音供養塔などがある
寛政2年(1790年)と書かれている



道の駅から8km 8:30 宝珠山高蔵寺(天台宗)


立派な鍾馗さん

左:二十三夜塔 右:二十二夜塔 
二十二夜の本尊は如意輪観音、二十三夜は勢至菩薩?



8:40 8.4km 今市地蔵堂 上記宝珠山高蔵寺が管理している


珍しい木造で大きい地蔵菩薩は珍しいらしい
提灯には「一体地蔵尊と書かれている」、嘗て6体(六地蔵)あったものが一体になってしまった謂れからか?




8:55 四ツ山城址・四津山神社への分岐
後ろのコンモリした所が神社だろうか? 少し遠いので行かずに先へ進む



草に埋もれる馬頭観音 400年も前のものらしい



9:07 10.2km 墓地に座り地蔵2体 
後ろに庚申塔等が沢山あるが付近の物を集めたのだろうか




小川町伊勢根というところにくると鎌倉街道が残された掘割遺構がある
入口は雑木林の中の道だが


出口は民家の中庭のようなところ


鎌倉側から来るとこんな感じで、他人の家に入っていく様で侵入して良いものやら迷う




小川町は鎌倉街道を示す道標や案内板が辻々に建っており判りやすい





鎌倉街道 左の建物が大貴山普済寺(曹洞宗)



田圃の中を進み、前方のガードレールのある道を上がる複雑なルート
曲がり角には標柱があり迷うことは無い
鎌倉街道はここを曲がらず、今は田圃の中を真っ直ぐ崖に向かって行き次の解説板のある所と結んだ様だ




馬頭観音と解説版
馬頭観音の後ろを真っ直ぐに林の中へ進んでいた遺構があり前記の標柱に繋がる




9:35 11.5km 諏訪神社奉祀跡 右の細道が鎌倉街道




馬頭観音と今が盛りの梅の花




八和田村道路原標



奈良梨交差点 八和田神社入口
「鎌倉街道を歩く」(高橋光幸著)では鎌倉街道は、ここから宝成寺まで県道296号の西の様だが
道がよくわからないので、ここから県道296号(菅谷寄居線)を歩く


県道沿いの石塔

庚申塔

大黒天

庚申塔


10:32 15.3km
灯篭「雨降山」(丹沢山地の大山1252mでアメフリヤマ・アブリサンとも呼ばれた)
メモ:大山講は江戸時代に流行った大山詣り、最盛期には70万人が参詣したという



 大谷山宝成寺(曹洞宗)




11:20 18km  菅谷神社



菅谷神社前の瓢箪池と厳島神社



東武東上線武蔵嵐山駅
11:54発小川町行、小川町12:01着 12:03発寄居行


隣の小川町駅までは伏線で新しい電車


小川町で乗り換え鉢形駅までは単線で旧型の電車



12:17鉢形駅着




玉淀橋手前にあった手焼きせんべいの店で煎餅を購入し
ここで醤油ラーメン(890円)を食べる 太麺



玉淀橋から上流 
橋を渡り、小前田の鎌倉街道へ戻る




お茶々が井戸
鎌倉街道沿いにあった茶店の枯渇したことがないという井戸。「於茶々」という看板娘がいたそうな
中を覗くと今も水面が見える
看板娘のその後の伝承は無いのだろうか?


そして、車を置いた「道の駅はなぞの」へ帰着
朝居たトラックは全ていなくなっていた 





 小川町教育委員会は鎌倉街道保存と活用に力を入れているらしく
 沿線には、街道を示す標柱や説明版が多く設置されていました
 前後の町では地図を見ながらも道迷いがありましたが小川町は歩きやすかった
 時代により土地の利用方法が変わって行くのは仕方がないことですが
 残っているものを上手に活用出来ればより豊かになると思います


 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります






地図



次の資料を参考にしています
 鎌倉街道を歩く(保存と活用のいま)   高橋光幸著  さきたま出版会:鎌倉街道上道の案内書
 旧鎌倉街道探索の旅 Ⅰ 上道・山ノ道編 芳賀善次郎著 さきたま出版会:鎌倉街道のバイブル
  五街道の旅:五街道はじめ脇往還・歴史街道など地図付きで詳しいホームページ 
 「隠居の思ひつ記」:迷道院高崎(めいどいんたかさき)さんの軽快で詳細なブログ
上野国交替実録帳を読む(千年前の県政白書) 前澤和之著  みやま文庫:群馬を知る事典みやま文庫から


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