お前が表現するプライドや個性は、お前が自身を決定づける自己への執着だよ。
自己を脅かす事の多さを表現してるにすぎないんだ。
自己の決定は選択権を得た成長であるかもしれないが、
「心」の成熟は止まってしまうんだ。
結局は選択という、変えることの許せない自己への執着を覚えたにすぎないんだ。
そして自己への執着は、自身が大切なものに気付くときは
たいていのことが終わっているんだ。皮肉なものだ・・・・・。
「だって」「でも」は、自分を説明したいがための選択したものの表面でしかない。
お前を知ろうとしている者は、その選択の過程と本心を見ているものだ。
お前が説明したい部分とは違うところを感じ取っている。
「だって」「でも」を発する前の出来事をもう一度考えてみなさい。
その中には、お前を脅かすものを取り除く手掛かりがきっとあるはずです。
それは、お前を補ってくれる何かです。
これが本来のコミュニケーションなんだよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます