結果は結果。
今日は今日。
今は今。
その度に変化し成長をするのなら
世界は常にあわただしく、常識なんてものは存在しないだろう。
それでも存在し知るものがこの世界にはある。
それを人は「秩序」と呼ぶ。
しかし「秩序」も時の流れに流され角を削る。
それを変化と呼び、変化に合わせるように人は適応しようとする。
その適応の仕方は、攪乱を受け入れることから始まり、攪乱を正当化する行為が「秩序」となり
それを経験として記憶に残すことにより常識に変える。
しかし、それらが一瞬で起こる出来事を、非常識、反社会的、無秩序と呼ぶ。
時間の規制に縛られる者は、自身の経験の中での理解に執着してしまうものだ。
多種多様な経験への執着の中では人はわがままなものだ。
「常識とは、単体の執着心というわがままである」
わがままは、執着そのものだとわかるだろ・・・・・。
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