言語による幻術と、身近にある合意された知識と倫理のもと、それらに押しつぶされそうな自身に気づくことがある。それはもちろん幻術の中での出来事であり、現実も幻術の中での実際の感覚だ。しかし、その仕組みとパターンに気づくと、肩の荷が下りるような感覚を覚える。開き直る感情の解放とは全く違い、幻術の中に起きていた経験を表面化することはない。一時停止、操作ミス、自己保持を繰り返し幻術の中に留まろうとする意識は背後へと追いやられる。
幻術の中で感じていた作用も、自己を作り上げるシステムの中に一生涯組み込まれるものではあるが、自己を作り上げるシステム自体はは一生涯変わらない。自己の経験を表面化するのも、自己を作り上げるシステムであり、自己の経験を背景にするのも自己を作り上げるシステムである。しかし現在は、言語での出来事(実際には経験していない出来事)または、単語自体に強大な意味を与え目標と安定のために利用をしている。例えば「サラリーマン」「OL]というコード化だ・・・・つづく。
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