元少年Aと称する人物のホームページが出たとき、
これは、
「なりすまし」だ
と思った。
文章のタッチが他人事だったからだ。
しかし、多くの人は、
信じた、
このホームページが
本物の元少年Aの手になる、と
(拙稿「「元少年Aのホームページ」について」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/678f74157f6b00b9f2cfb80a7e97dade)。
この事件の背景には
安倍政権の腐敗があると言ってよい。
すなわち、
目晦ましに丁度いいわけだ。
だからこのホームページの製作者は、
ネトウヨだと思う。
他人の「人格をパクる」
というのは
何とも彼ららしい仕業だ。
「絶歌」
という駄本にしろ、
このホームページでの宣伝文句と言い、
軽薄さがにじみ出ている。
もっとも、
僕のように「元少年A」を
なりすましと
考えない人が多くいるのは、
上に述べた通り、承知している。
その人たちには、万が一、
自分の想定が間違っていた場合のこと、
考えて欲しい。
人違いだとしたら、
本物の「元少年A」に
取り返しのつかない不利益を与えたことになる。
その場合、
償いはできるのか?
できないだろ?
だとしたら、
していることは殺人と同じだということ、
気づいて欲しい。
自称、「元少年A」が
被る被害のことは考えていない。
「絶歌」という
自著の売り上げを上げてお小遣いが欲しい。
第二に、
本物の「元少年A」は、
人格を盗まれても仕方ない悪事をした、
つまりは、本人責任だと
考えている。
そしてそのような無神経な人の登場によって、
犯罪者に人権は無用とする
リンチ肯定派によって、
メディアによって実名と顔写真が暴露されたとのことだ。
そんなことされたら
本人の生活が成り立たなくということが
想像つかなかったのだろうか。
産経という
ネトウヨの広報紙がその残酷な思い付きの正当化を
こんな風に伝えている。
「(元少年Aの)氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象であり、現在進行形の事件の論評材料となる」と。
上掲ブログ記事において、
僕は、
「本人だと信じて欲しければ実名を名乗れ」
と記した。
そうなんだよ、
名を名乗るか、名乗らないか、
その判断は、
本人に委ねられるべきと思う。
そういう事情を一切無視する「公衆の正当な関心」て、
一体、何だろう。
自分は覆面を被りながら、
特定の
誰かを自分の思い込みのまま
処刑してよいとする
リンチを
よしとする思考そのものじゃないか。
そうやって、
無意味に人を追いやることによって、
「事件」を生み出す
土壌が現在進行形で作り上げられている。
最初の
一押しは、
「元少年A」というのは
モンスターである
という思い込みからでっち上げられた
自伝本「絶歌」によってなされた。
そして二押しは、
その駄本の売り上げのため製作された
ホームページによって。
さて、
こっからがマスコミ諸子の出番だ。
転がる流れができたので、
後はお任せとばかりに暴き屋が
ハイエナのごとく
集まった。
他人を
血祭りにあげて喜ぶ習性は、
まさに
「元少年A」が少年だった頃の
価値観に標準を合わすのと変わらないのではないか。
第3者が
できることはさほど多くない。
大切なのは、
正しく因果を知り、
決然と袂を別つことだと思う。
〔資料〕
「週刊ポスト、神戸児童殺傷事件の元少年Aの実名掲載 「公衆の正当な関心の対象だ」」
産経ニュース(2015.9.14 07:41)
☆ 記事URL:http://www.sankei.com/affairs/news/150914/afr1509140003-n1.html
神戸市で平成9年に起きた連続児童殺傷事件に関して、14日発行・発売の「週刊ポスト」(小学館)が、加害男性の元少年Aの当時の顔写真と、実名を明らかにしたとする記事を掲載していることが同日分かった。
記事は、元少年Aが事件を起こすまでの経緯や現在の心境をつづった手記を出版したことなどに触れ、その内容について犯罪学者らによる分析を載せている。
掲載した理由は「(元少年Aの)氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象であり、現在進行形の事件の論評材料となる」と記した。
元少年Aは14歳だった平成9年に神戸市須磨区で小学生5人を襲い、4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=と6年の土師淳君=同(11)=を殺害したなどとして兵庫県警に逮捕され、17年に医療少年院を本退院した。
これは、
「なりすまし」だ
と思った。
文章のタッチが他人事だったからだ。
しかし、多くの人は、
信じた、
このホームページが
本物の元少年Aの手になる、と
(拙稿「「元少年Aのホームページ」について」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/678f74157f6b00b9f2cfb80a7e97dade)。
この事件の背景には
安倍政権の腐敗があると言ってよい。
すなわち、
目晦ましに丁度いいわけだ。
だからこのホームページの製作者は、
ネトウヨだと思う。
他人の「人格をパクる」
というのは
何とも彼ららしい仕業だ。
「絶歌」
という駄本にしろ、
このホームページでの宣伝文句と言い、
軽薄さがにじみ出ている。
もっとも、
僕のように「元少年A」を
なりすましと
考えない人が多くいるのは、
上に述べた通り、承知している。
その人たちには、万が一、
自分の想定が間違っていた場合のこと、
考えて欲しい。
人違いだとしたら、
本物の「元少年A」に
取り返しのつかない不利益を与えたことになる。
その場合、
償いはできるのか?
できないだろ?
だとしたら、
していることは殺人と同じだということ、
気づいて欲しい。
自称、「元少年A」が
被る被害のことは考えていない。
「絶歌」という
自著の売り上げを上げてお小遣いが欲しい。
第二に、
本物の「元少年A」は、
人格を盗まれても仕方ない悪事をした、
つまりは、本人責任だと
考えている。
そしてそのような無神経な人の登場によって、
犯罪者に人権は無用とする
リンチ肯定派によって、
メディアによって実名と顔写真が暴露されたとのことだ。
そんなことされたら
本人の生活が成り立たなくということが
想像つかなかったのだろうか。
産経という
ネトウヨの広報紙がその残酷な思い付きの正当化を
こんな風に伝えている。
「(元少年Aの)氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象であり、現在進行形の事件の論評材料となる」と。
上掲ブログ記事において、
僕は、
「本人だと信じて欲しければ実名を名乗れ」
と記した。
そうなんだよ、
名を名乗るか、名乗らないか、
その判断は、
本人に委ねられるべきと思う。
そういう事情を一切無視する「公衆の正当な関心」て、
一体、何だろう。
自分は覆面を被りながら、
特定の
誰かを自分の思い込みのまま
処刑してよいとする
リンチを
よしとする思考そのものじゃないか。
そうやって、
無意味に人を追いやることによって、
「事件」を生み出す
土壌が現在進行形で作り上げられている。
最初の
一押しは、
「元少年A」というのは
モンスターである
という思い込みからでっち上げられた
自伝本「絶歌」によってなされた。
そして二押しは、
その駄本の売り上げのため製作された
ホームページによって。
さて、
こっからがマスコミ諸子の出番だ。
転がる流れができたので、
後はお任せとばかりに暴き屋が
ハイエナのごとく
集まった。
他人を
血祭りにあげて喜ぶ習性は、
まさに
「元少年A」が少年だった頃の
価値観に標準を合わすのと変わらないのではないか。
第3者が
できることはさほど多くない。
大切なのは、
正しく因果を知り、
決然と袂を別つことだと思う。
〔資料〕
「週刊ポスト、神戸児童殺傷事件の元少年Aの実名掲載 「公衆の正当な関心の対象だ」」
産経ニュース(2015.9.14 07:41)
☆ 記事URL:http://www.sankei.com/affairs/news/150914/afr1509140003-n1.html
神戸市で平成9年に起きた連続児童殺傷事件に関して、14日発行・発売の「週刊ポスト」(小学館)が、加害男性の元少年Aの当時の顔写真と、実名を明らかにしたとする記事を掲載していることが同日分かった。
記事は、元少年Aが事件を起こすまでの経緯や現在の心境をつづった手記を出版したことなどに触れ、その内容について犯罪学者らによる分析を載せている。
掲載した理由は「(元少年Aの)氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象であり、現在進行形の事件の論評材料となる」と記した。
元少年Aは14歳だった平成9年に神戸市須磨区で小学生5人を襲い、4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=と6年の土師淳君=同(11)=を殺害したなどとして兵庫県警に逮捕され、17年に医療少年院を本退院した。
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