核廃絶のための
旗手でした。
安らかにお眠りください。
合掌
※ 追記:下記〔資料〕に紹介した毎日新聞のサイトを訪問すれば、動画があり、谷口さんの肉声が聞けます。同サイトに飛ぶには、記事URLとして掲げたURLをクリックすればOKです。毎日新聞の記事が削除されていない限り、アクセスが可能なはずです。遺言と言ってい良い同氏のメッセージを収められた動画です。是非、ご視聴なさってください。
〔資料〕
「谷口稜曄さん死去 間際まで核廃絶願い 背中の傷で告発」
毎日新聞(2017年8月30日 22時03分)
☆ 記事URL:https://mainichi.jp/articles/20170831/k00/00m/040/118000c
長崎の被爆者運動の象徴的存在だった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の谷口稜曄(すみてる)さん(88)が30日、亡くなった。長崎原爆で背中一面を焼かれた自らの写真を示し、国内外で核兵器の恐ろしさを繰り返し訴えてきた谷口さん。念願だった核兵器禁止条約が7月に国連で採択されたことを喜びながらも、進展が見えない核兵器廃絶の行方を死の直前まで気にかけていた。
谷口さんが会長を務めていた長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(76)と柿田富美枝事務局長(63)は29日夕、谷口さんを見舞うため、長崎市内の入院先を訪れたばかりだった。横山さんが、9月中旬に米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の署名式が開かれることを伝え、「一緒にニューヨークに行こうね」と話しかけると、谷口さんは2度うなずいたという。
30日朝、家族から訃報を聞いた2人が谷口さんの自宅を訪ねると、谷口さんは穏やかな表情をしていた。市内にある同協議会の事務所で取材に応じた横山さんは「命の間際まで、核兵器廃絶を願う執念があった」と目に涙を浮かべ、柿田さんは「まだ、この事務所にふらっと来そうな気がする。亡くなったことが信じられない」と話した。
谷口さんは「核実験に抗議する長崎市民の会」の代表も務め、世界で核実験がある度に長崎市内の平和祈念像前で座り込んだ。同会世話人で被爆者の山川剛さん(80)は昨年9月の北朝鮮の核実験への座り込みの際のことを振り返り「体調不良をおして参加してくれた。『核廃絶のために活動を続けていかなければならない』という決意を述べたあいさつが印象に残る」と話す。【浅野翔太郎、浅野孝仁、加藤小夜】
活動をリード 日本被団協事務局長の木戸季市さん(77)=岐阜市=は「谷口さんは、自分たち以外に被爆者をつくってはいけないと一貫して訴え私たちをリードしてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ」と語った。
事務局長を今年6月まで計20年間務めた代表委員の田中熙巳さん(85)=埼玉県新座市=も「谷口さんは入退院を繰り返しながらも、最後までちゃんと行動を続けてこられた。執念だった。本当によく頑張られたと思う」と悼んだ。【福島祥】
旗手でした。
安らかにお眠りください。
合掌
※ 追記:下記〔資料〕に紹介した毎日新聞のサイトを訪問すれば、動画があり、谷口さんの肉声が聞けます。同サイトに飛ぶには、記事URLとして掲げたURLをクリックすればOKです。毎日新聞の記事が削除されていない限り、アクセスが可能なはずです。遺言と言ってい良い同氏のメッセージを収められた動画です。是非、ご視聴なさってください。
〔資料〕
「谷口稜曄さん死去 間際まで核廃絶願い 背中の傷で告発」
毎日新聞(2017年8月30日 22時03分)
☆ 記事URL:https://mainichi.jp/articles/20170831/k00/00m/040/118000c
長崎の被爆者運動の象徴的存在だった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の谷口稜曄(すみてる)さん(88)が30日、亡くなった。長崎原爆で背中一面を焼かれた自らの写真を示し、国内外で核兵器の恐ろしさを繰り返し訴えてきた谷口さん。念願だった核兵器禁止条約が7月に国連で採択されたことを喜びながらも、進展が見えない核兵器廃絶の行方を死の直前まで気にかけていた。
谷口さんが会長を務めていた長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(76)と柿田富美枝事務局長(63)は29日夕、谷口さんを見舞うため、長崎市内の入院先を訪れたばかりだった。横山さんが、9月中旬に米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の署名式が開かれることを伝え、「一緒にニューヨークに行こうね」と話しかけると、谷口さんは2度うなずいたという。
30日朝、家族から訃報を聞いた2人が谷口さんの自宅を訪ねると、谷口さんは穏やかな表情をしていた。市内にある同協議会の事務所で取材に応じた横山さんは「命の間際まで、核兵器廃絶を願う執念があった」と目に涙を浮かべ、柿田さんは「まだ、この事務所にふらっと来そうな気がする。亡くなったことが信じられない」と話した。
谷口さんは「核実験に抗議する長崎市民の会」の代表も務め、世界で核実験がある度に長崎市内の平和祈念像前で座り込んだ。同会世話人で被爆者の山川剛さん(80)は昨年9月の北朝鮮の核実験への座り込みの際のことを振り返り「体調不良をおして参加してくれた。『核廃絶のために活動を続けていかなければならない』という決意を述べたあいさつが印象に残る」と話す。【浅野翔太郎、浅野孝仁、加藤小夜】
活動をリード 日本被団協事務局長の木戸季市さん(77)=岐阜市=は「谷口さんは、自分たち以外に被爆者をつくってはいけないと一貫して訴え私たちをリードしてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ」と語った。
事務局長を今年6月まで計20年間務めた代表委員の田中熙巳さん(85)=埼玉県新座市=も「谷口さんは入退院を繰り返しながらも、最後までちゃんと行動を続けてこられた。執念だった。本当によく頑張られたと思う」と悼んだ。【福島祥】
あれほどの重傷を負ったのに、よく生き延びて下さいました。と申し上げたいです。
そして自らの被爆体験を身体を張って尽力された事、出来そうでなかなか出来ない事だと思います。
長年、御尽力された事に感謝を。
そして御冥福を御祈り申し上げます。
核使用も、ましてや戦争も、二度と起きないよう国民の一人として努力していきますと誓って…
このほど出来た条約名は!!
核を持ってない国が核を持っている国を取り囲まなくてはならない、と谷口すみてる様はおっしゃってます。
日本は被爆国です・・・
御冥福をお祈り致します。