西脇完人@kentestuさんのツイート。
――西部氏自殺、西原教授事故死。なんかきな臭い。〔19:26 - 2018年1月22日 〕――
小田嶋隆 @tako_ashiさんが
――多摩川?〔15:48 - 2018年1月21日 〕――
とツイートされていた。
納得できんぞ
ということでしょう。
また、
Y.NOAH @YNOAH83さんが
こんなツイート。
――日の丸君が代不起立裁判で、良心の自由について、国家による日の丸君が代の強制がいかに人間の思想信条を蹂躙しているかについての素晴らしい鑑定書をお書きになられた早稲田大学の西原博史教授が、高速道路にて交通事故で急逝。大変痛ましい。謹んでお悔やみ申し上げます。〔19:22 - 2018年1月22日 〕――
<追記>
藤縄善朗 @y_fujinawaさんが
西部さんの江藤淳氏への追悼文を紹介しておられた
(同氏のツイート〔1:42 - 2018年1月23日 〕参照)。
☆ 追悼文URL:http://www.geocities.jp/sachoquijote3/archives3/I-Q1-mgz/I-Q1-mgz-1999-09-bungakukai.pdf
盛田隆二『焼け跡のハイヒール』祥伝社@product1954さんが
その江藤淳への追悼文「自死は精神の自然である」に触れておられた
(同氏のツイート〔2:08 - 2018年1月23日 〕参照)。
追悼文には
「生きていれば退廃する、退廃したくなければ死ぬ以外にない、という限界状態に氏ははまった。しかし、それは例外状態なんかではない。というより、退廃の危険をたえず身近に感じながら絶壁に沿ってひたすらに歩むしかない、というのが人間の生の基本形なのだ。その綱渡りを、あるいは尾根伝いを、続行する能力を失ったと疑いようもなく思われたとき、自死を選ぶのが精神の次元で言えば自然な死に方なのではないか」
とあった。
「退廃」という言葉を
どのようなニューアンスで使っておられるのだろう。
読んでいて、
「他者への依存」
という観念が脳裏に浮かんだ。
ならば、
退廃の上に退廃をしたらいいのではないか。
看取るものも看取られる者も
最後の瞬間まで時間を共有することで見えてくるものがあるのではないか――。
それが命の受け継ぎってものだろう。
頭がぼけて
自分の名前が辛うじて覚えていられる程度でも
思い出を
家族に残せることを考えると、
「退廃」の一語をもって
その作業を断ち切る狡さを思わずにいられない。
しかし、それはともかく
これを読んで、西部さんという人は、自殺しても不思議ではない人だと、
とりあえずは了解し得た。
――西部氏自殺、西原教授事故死。なんかきな臭い。〔19:26 - 2018年1月22日 〕――
小田嶋隆 @tako_ashiさんが
――多摩川?〔15:48 - 2018年1月21日 〕――
とツイートされていた。
納得できんぞ
ということでしょう。
また、
Y.NOAH @YNOAH83さんが
こんなツイート。
――日の丸君が代不起立裁判で、良心の自由について、国家による日の丸君が代の強制がいかに人間の思想信条を蹂躙しているかについての素晴らしい鑑定書をお書きになられた早稲田大学の西原博史教授が、高速道路にて交通事故で急逝。大変痛ましい。謹んでお悔やみ申し上げます。〔19:22 - 2018年1月22日 〕――
<追記>
藤縄善朗 @y_fujinawaさんが
西部さんの江藤淳氏への追悼文を紹介しておられた
(同氏のツイート〔1:42 - 2018年1月23日 〕参照)。
☆ 追悼文URL:http://www.geocities.jp/sachoquijote3/archives3/I-Q1-mgz/I-Q1-mgz-1999-09-bungakukai.pdf
盛田隆二『焼け跡のハイヒール』祥伝社@product1954さんが
その江藤淳への追悼文「自死は精神の自然である」に触れておられた
(同氏のツイート〔2:08 - 2018年1月23日 〕参照)。
追悼文には
「生きていれば退廃する、退廃したくなければ死ぬ以外にない、という限界状態に氏ははまった。しかし、それは例外状態なんかではない。というより、退廃の危険をたえず身近に感じながら絶壁に沿ってひたすらに歩むしかない、というのが人間の生の基本形なのだ。その綱渡りを、あるいは尾根伝いを、続行する能力を失ったと疑いようもなく思われたとき、自死を選ぶのが精神の次元で言えば自然な死に方なのではないか」
とあった。
「退廃」という言葉を
どのようなニューアンスで使っておられるのだろう。
読んでいて、
「他者への依存」
という観念が脳裏に浮かんだ。
ならば、
退廃の上に退廃をしたらいいのではないか。
看取るものも看取られる者も
最後の瞬間まで時間を共有することで見えてくるものがあるのではないか――。
それが命の受け継ぎってものだろう。
頭がぼけて
自分の名前が辛うじて覚えていられる程度でも
思い出を
家族に残せることを考えると、
「退廃」の一語をもって
その作業を断ち切る狡さを思わずにいられない。
しかし、それはともかく
これを読んで、西部さんという人は、自殺しても不思議ではない人だと、
とりあえずは了解し得た。
2018年1月23日未明 記
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