「そのとき歴史は動いた」というNHKの番組で、徳川の四天王と言われた武将の生
き方をどう思うかを新社会人に問うていた。
その中で、一つ気になった新社会人のコメントがあった。
曰く、自己主張と自己顕示は違う。その武将は、自己顕示欲に基づいて行動した。
だから私は支持しえない云々。
問題となった武将は、井伊直政だ。関が原の戦いで福島正則を差し置いて先鋒を
務めた。それが軍令違反なため、上のような非難を招いたわけだ。
しかし、一軍の将になっても自ら先陣に立って戦う姿勢は大切と思う。そこで、上の
指摘にどう反論すべきか考えてみた。
「自分が捨て駒にならなければ、戦に勝てない」という判断がきっと井伊直政の心に
あったろう。家康にはそれを見抜く眼があったから、直政を軍令違反に問わなかった
のだと思う。自己顕示欲と「捨て駒」志向は明らかに、概念が矛盾する。これで、反
論として、十分ではないか。そうでもないかな。
さて、この問題を考えていて、日本人の自己主張の下手さ加減を思わずにいられな
かった。他人事ではない。僕も下手だ。下手だから、この際、という気持ちがある。
得意になりたい・・・
円城寺美希さん(PHP5月号「『ノー』と言うべきときはしっかり『ノー』と言う」)によると、
「ノー」は相手を尊重している証だとのことだ。そうかもしれない。相手は真意を知りたい
のだ。参考までに、同氏が挙げていらっしゃる相手の申し出を拒否するコツを紹介する。
まずは、相手の申し出を素直に喜ぶ。次に、別の提案を、事実・理由を告げてすると良い
そうだ。それでノーの気持ちは伝わる、と。
「ポイントは、相手に共感することです」とあった。
大分前に書いた僕のブログ記事、「マイブーム」のこと思い出した。そこで言ったのは、
「腹を立てる前に顔を立てろ」という精神で介護するということだった。これって、何事か
を断るときにも役に立つんだ!
ちょっと修正して「首を横に振る前に、顔を立てろ」という具合に変形すれば。
共感を押し立てての自己主張という言い方が近いのかな。
き方をどう思うかを新社会人に問うていた。
その中で、一つ気になった新社会人のコメントがあった。
曰く、自己主張と自己顕示は違う。その武将は、自己顕示欲に基づいて行動した。
だから私は支持しえない云々。
問題となった武将は、井伊直政だ。関が原の戦いで福島正則を差し置いて先鋒を
務めた。それが軍令違反なため、上のような非難を招いたわけだ。
しかし、一軍の将になっても自ら先陣に立って戦う姿勢は大切と思う。そこで、上の
指摘にどう反論すべきか考えてみた。
「自分が捨て駒にならなければ、戦に勝てない」という判断がきっと井伊直政の心に
あったろう。家康にはそれを見抜く眼があったから、直政を軍令違反に問わなかった
のだと思う。自己顕示欲と「捨て駒」志向は明らかに、概念が矛盾する。これで、反
論として、十分ではないか。そうでもないかな。
さて、この問題を考えていて、日本人の自己主張の下手さ加減を思わずにいられな
かった。他人事ではない。僕も下手だ。下手だから、この際、という気持ちがある。
得意になりたい・・・
円城寺美希さん(PHP5月号「『ノー』と言うべきときはしっかり『ノー』と言う」)によると、
「ノー」は相手を尊重している証だとのことだ。そうかもしれない。相手は真意を知りたい
のだ。参考までに、同氏が挙げていらっしゃる相手の申し出を拒否するコツを紹介する。
まずは、相手の申し出を素直に喜ぶ。次に、別の提案を、事実・理由を告げてすると良い
そうだ。それでノーの気持ちは伝わる、と。
「ポイントは、相手に共感することです」とあった。
大分前に書いた僕のブログ記事、「マイブーム」のこと思い出した。そこで言ったのは、
「腹を立てる前に顔を立てろ」という精神で介護するということだった。これって、何事か
を断るときにも役に立つんだ!
ちょっと修正して「首を横に振る前に、顔を立てろ」という具合に変形すれば。
共感を押し立てての自己主張という言い方が近いのかな。
僕ってね、調子に乗るタイプです。
ありがとうございます!
年をとっていくと「童帰りをする」と言われますけれども、私がディサービスに行っていて年配の人達と介護するヘルパーさんの様子を見ていると、まるで子育てしているような感じを感じさせられてしまいます。
ただ、身なりが大きいか小さいかの違いでしょうか。
そうですね。介護って、子育てと似たところがあると思います。