〔資料〕
「『忘災』の原発列島 組織いじりでまた延命? 国はなぜ『もんじゅ』にこだわるのか」
毎日新聞:東京朝刊(2015年12月4日)
☆ 記事URL:http://mainichi.jp/articles/20151204/dde/012/040/008000c?fm=mnm
原子力規制委員会が、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を運営する日本原子力研究開発機構に「レッドカード」を突き付けている。半年後をめどに代わる運営主体を見つけるよう、機構を所管する文部科学省に迫っているのだ。打開策はなさそうに見えるのだが、国はなぜ「夢の原子炉」にこだわるのか。【葛西大博】
「電力会社が(運営を)引き受けるのは大変難しい」
電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は11月20日の記者会見で、もんじゅの引き取りを拒む意向を示した。もんじゅが研究開発段階であることや、電力会社は通常の原発とは違う高速増殖炉の技術的知見を持っていないことが主な理由。会長の発言はいわば大手電力会社の「総意」なので、原発を持つ9電力がもんじゅの担い手になる可能性はほぼ消えたといえる。では、八木氏は誰が運営を担うべきだと考えているのか。答えは「国の領域」だった。
もんじゅを中核施設とする核燃料サイクルを推進してきた政府にとって厳しい勧告になったのは間違いない。それでも、菅義偉官房長官は勧告が出された11月13日の記者会見で核燃料サイクル政策を推進する方針を強調した。「国民の信頼を得る最後の機会と思うので、勧告を重く受け止めて文科省をはじめとして関係機関で真摯(しんし)に対応を検討する」
当事者の文科省は、有識者会合を今月中旬にも設置し、新しい運営主体を検討する。今月2日には、馳浩文科相がもんじゅを視察、福井県の西川一誠知事らと面会した。馳文科相は「専門家の意見や立地自治体の率直な声も聞きながら、検討を進めていく」などと述べた。政府は精力的に動いているようだが、新しい運営主体を示す期限は来年夏ごろで、あまり時間はない。示せない場合は廃炉を含めた抜本的見直しが迫られ、核燃料サイクル政策が頓挫することになりかねない。
ここで核燃料サイクルの図を見てほしい。再処理工場で原発の使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出し、ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工して、高速増殖炉で使う。そうすれば、消費した以上の核燃料を生み出せる−−。もんじゅは「夢の原子炉」との期待を背負い1994年に運転を始めたが、95年12月に冷却材の液体ナトリウム漏れによる火災事故を起こした。2010年に運転を再開するも、3カ月後に燃料を交換する機器が炉内に落下する事故を起こし、再び運転を停止。稼働したのはわずか250日間なのに、これまでの事業費は約1兆円に膨らんだ。それでも政府は延命を諦めない。
そうであれば、政府は新たな運営主体をどのように設立しようと考えているのか。
民主党の平野博文衆院議員は、民主党政権時代に文科相を務めた経験を踏まえてこう語る。「もんじゅの運営を海外に売り飛ばすわけにはいかない。原子力機構は20年近くもんじゅを扱ってきて成果を上げられなかったが、スペシャリストで構成された組織でなければ運営できない以上、機構からもんじゅに特化させた組織を分離させ、受け皿を作るしかないでしょう」
この見方に「ちょっと待ってほしい。組織の分離は、動燃に逆戻りするのと同じ」と批判するのが、脱原発を訴えているNPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表だ。
動燃とは「動力炉・核燃料開発事業団」の略称で、原子力機構の前身になる。事故の隠蔽(いんぺい)工作や虚偽報告が発覚し、批判を浴びたのだが、名称変更や他の組織との統合を経て事実上、旧動燃の組織は生き残った。それが再び、今回の勧告を契機に動燃復活につながる見方が出ているのだ。
原発の維持を目的に電力会社や中央官庁などが築いた「原子力ムラ」のやり方を熟知する伴さんは、もんじゅ存続策をこう推測する。「原子力機構の上に別法人を作り、その法人がもんじゅの運営を担うことにすれば勧告はクリアする可能性はあります。ただ、実態は機構の人間に任せるはず」
この別法人化案とも呼べる案は、青森県六ケ所村に建設されている使用済み核燃料の再処理工場の運営見直し案として議論されている。この工場も核燃料サイクルの中核だが、もんじゅ同様に「劣等生」。トラブル続きで完成時期は23回も延期され、18年度上期の稼働を目指す。建設費は既に当初の3倍の2・2兆円までに拡大している。
これでは当然、この工場の事業主体となる、電力会社が共同出資した日本原燃の負担は重くなる。そこで、日本原燃を所管する経済産業省は、国が監督する認可法人を新たに設立し、新法人が日本原燃に再処理事業を委託する−−という案を検討している。国が関与を強めれば、電力会社の撤退を防ぎ、核燃料サイクル政策を継続させることができると考えているのだ。
同様の枠組みをもんじゅに当てはめれば、もんじゅ存続は可能と政府は考えているというのが、伴さんの見立てだ。その上で「機構の上にもんじゅを運営する組織を作っても、結局は屋上屋を架すようなことでうまくいくとは思えない」と批判する。
核燃料サイクルという「錦の御旗」
もんじゅを廃炉にする−−という思い切った決断はあり得ないのだろうか。
平野氏は「六ケ所村の再処理工場をどうするかをはじめ、核燃料サイクルを含めた日本の原子力政策全体を見直さない限り、もんじゅだけの廃炉という選択肢はあり得ないだろう。ただ、日本のエネルギー政策は今、大きな岐路に立っていることは間違いない」と見ている。
そもそも民主党政権では、12年9月にエネルギー政策のかじを切り、「30年代の原発稼働ゼロ」を打ち出した。その一方で「核燃サイクル政策の維持」という政策は続けた。この狙いについて平野氏は「もんじゅは増殖炉という概念を捨て、原発から出るプルトニウムを燃やして廃棄物処理を加速させる研究機関に切り替えようとした」と打ち明ける。
もんじゅに新たな道を歩ませようと模索したのだが、民主党政権は崩壊。再び政権を奪った自民党の安倍晋三政権は「原発ゼロ」を撤回し、核燃料サイクル政策を手放そうとはしない。
核燃料サイクル政策を検証していくと既に破綻しているように思えるのだが、それでも政府が維持したいと考える動機を知りたくなった。
米原発会社「ゼネラル・エレクトリック」で18年間、原発技術者として働いていた原子力コンサルタントの佐藤暁さんが解説する。
「原発の運転が可能なのは、将来、使用済み核燃料を再処理して高速増殖炉で使い、核燃料サイクルを回していくという前提があるからです。核のゴミの最終処分場のめどが立たない中、もんじゅが駄目になってサイクルが破綻すると、原発の稼働も危ぶまれる。だから政府は何とかして、もんじゅが続いている状態にすることが必要なのです」
佐藤さんは「当事者は、事故が相次いだもんじゅを動かしたくないのが本音でしょうね」とも口にした。それなのに20年の年月を重ねてもストップできないのはなぜか。
その要因については、師弟制度や先輩、後輩の関係があると語る。「日本では企業や学問の分野でも、先輩の言うことはつべこべ言わずに従えという雰囲気があり、議論することさえ嫌がる風潮がある。それが結局、安全文化の未熟さにつながってしまうわけです」。日本人の気質が、核燃料サイクル政策の推進に「ノー」と言えない土壌を作っているというのだ。
伴さんは日本の官僚機構に焦点を当てる。「一度方向が決まると、止めるという判断を下すことが難しくなる政策構造です。もんじゅ担当の役人はせいぜい2、3年で交代するので、自分の担当時に『見直す』という逆向きの政策判断はしたくない。それがズルズルと続けてきた原因なのです」
原発のコスト計算を専門とする立命館大教授の大島堅一さん(環境経済学)は「もんじゅは運転停止しているのに維持費だけで年間200億円かかっています。またもんじゅを動かせば何らかの事故は起きると予想されるので、誰も動かしたくないはず。でも『核燃料サイクル』という錦の御旗(みはた)は下ろせないのです」と語る。
核燃料サイクル政策は成功しないと分かっていても、この国は巨額を投じて、破れた夢を追い続けている。
核燃料サイクル政策をめぐる主な動き
1955年 原子力基本法が成立
56年 原子力委員会が発足。原子力開発利用長期計画に核燃料サイクル確立を明記
67年 動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発足
85年 高速増殖原型炉「もんじゅ」の本体工事着手
94年 もんじゅの運転開始
95年 もんじゅナトリウム漏れ火災事故
98年 動燃が核燃料サイクル開発機構へ改組
2005年 核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所が統合し、日本原子力研究開発機構誕生
10年 もんじゅ運転再開、核燃料交換装置が炉内に落下する事故
11年 東京電力福島第1原発事故
12年 民主党政権が「30年代原発ゼロ」と「核燃料サイクル推進」を打ち出す
14年 安倍政権が原発再稼働と核燃料サイクル推進のエネルギー基本計画決定
15年 原子力規制委員会が文部科学相に原子力機構の変更を勧告
「『忘災』の原発列島 組織いじりでまた延命? 国はなぜ『もんじゅ』にこだわるのか」
毎日新聞:東京朝刊(2015年12月4日)
☆ 記事URL:http://mainichi.jp/articles/20151204/dde/012/040/008000c?fm=mnm
原子力規制委員会が、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を運営する日本原子力研究開発機構に「レッドカード」を突き付けている。半年後をめどに代わる運営主体を見つけるよう、機構を所管する文部科学省に迫っているのだ。打開策はなさそうに見えるのだが、国はなぜ「夢の原子炉」にこだわるのか。【葛西大博】
「電力会社が(運営を)引き受けるのは大変難しい」
電気事業連合会の八木誠会長(関西電力社長)は11月20日の記者会見で、もんじゅの引き取りを拒む意向を示した。もんじゅが研究開発段階であることや、電力会社は通常の原発とは違う高速増殖炉の技術的知見を持っていないことが主な理由。会長の発言はいわば大手電力会社の「総意」なので、原発を持つ9電力がもんじゅの担い手になる可能性はほぼ消えたといえる。では、八木氏は誰が運営を担うべきだと考えているのか。答えは「国の領域」だった。
もんじゅを中核施設とする核燃料サイクルを推進してきた政府にとって厳しい勧告になったのは間違いない。それでも、菅義偉官房長官は勧告が出された11月13日の記者会見で核燃料サイクル政策を推進する方針を強調した。「国民の信頼を得る最後の機会と思うので、勧告を重く受け止めて文科省をはじめとして関係機関で真摯(しんし)に対応を検討する」
当事者の文科省は、有識者会合を今月中旬にも設置し、新しい運営主体を検討する。今月2日には、馳浩文科相がもんじゅを視察、福井県の西川一誠知事らと面会した。馳文科相は「専門家の意見や立地自治体の率直な声も聞きながら、検討を進めていく」などと述べた。政府は精力的に動いているようだが、新しい運営主体を示す期限は来年夏ごろで、あまり時間はない。示せない場合は廃炉を含めた抜本的見直しが迫られ、核燃料サイクル政策が頓挫することになりかねない。
ここで核燃料サイクルの図を見てほしい。再処理工場で原発の使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出し、ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料に加工して、高速増殖炉で使う。そうすれば、消費した以上の核燃料を生み出せる−−。もんじゅは「夢の原子炉」との期待を背負い1994年に運転を始めたが、95年12月に冷却材の液体ナトリウム漏れによる火災事故を起こした。2010年に運転を再開するも、3カ月後に燃料を交換する機器が炉内に落下する事故を起こし、再び運転を停止。稼働したのはわずか250日間なのに、これまでの事業費は約1兆円に膨らんだ。それでも政府は延命を諦めない。
そうであれば、政府は新たな運営主体をどのように設立しようと考えているのか。
民主党の平野博文衆院議員は、民主党政権時代に文科相を務めた経験を踏まえてこう語る。「もんじゅの運営を海外に売り飛ばすわけにはいかない。原子力機構は20年近くもんじゅを扱ってきて成果を上げられなかったが、スペシャリストで構成された組織でなければ運営できない以上、機構からもんじゅに特化させた組織を分離させ、受け皿を作るしかないでしょう」
この見方に「ちょっと待ってほしい。組織の分離は、動燃に逆戻りするのと同じ」と批判するのが、脱原発を訴えているNPO法人原子力資料情報室の伴英幸共同代表だ。
動燃とは「動力炉・核燃料開発事業団」の略称で、原子力機構の前身になる。事故の隠蔽(いんぺい)工作や虚偽報告が発覚し、批判を浴びたのだが、名称変更や他の組織との統合を経て事実上、旧動燃の組織は生き残った。それが再び、今回の勧告を契機に動燃復活につながる見方が出ているのだ。
原発の維持を目的に電力会社や中央官庁などが築いた「原子力ムラ」のやり方を熟知する伴さんは、もんじゅ存続策をこう推測する。「原子力機構の上に別法人を作り、その法人がもんじゅの運営を担うことにすれば勧告はクリアする可能性はあります。ただ、実態は機構の人間に任せるはず」
この別法人化案とも呼べる案は、青森県六ケ所村に建設されている使用済み核燃料の再処理工場の運営見直し案として議論されている。この工場も核燃料サイクルの中核だが、もんじゅ同様に「劣等生」。トラブル続きで完成時期は23回も延期され、18年度上期の稼働を目指す。建設費は既に当初の3倍の2・2兆円までに拡大している。
これでは当然、この工場の事業主体となる、電力会社が共同出資した日本原燃の負担は重くなる。そこで、日本原燃を所管する経済産業省は、国が監督する認可法人を新たに設立し、新法人が日本原燃に再処理事業を委託する−−という案を検討している。国が関与を強めれば、電力会社の撤退を防ぎ、核燃料サイクル政策を継続させることができると考えているのだ。
同様の枠組みをもんじゅに当てはめれば、もんじゅ存続は可能と政府は考えているというのが、伴さんの見立てだ。その上で「機構の上にもんじゅを運営する組織を作っても、結局は屋上屋を架すようなことでうまくいくとは思えない」と批判する。
核燃料サイクルという「錦の御旗」
もんじゅを廃炉にする−−という思い切った決断はあり得ないのだろうか。
平野氏は「六ケ所村の再処理工場をどうするかをはじめ、核燃料サイクルを含めた日本の原子力政策全体を見直さない限り、もんじゅだけの廃炉という選択肢はあり得ないだろう。ただ、日本のエネルギー政策は今、大きな岐路に立っていることは間違いない」と見ている。
そもそも民主党政権では、12年9月にエネルギー政策のかじを切り、「30年代の原発稼働ゼロ」を打ち出した。その一方で「核燃サイクル政策の維持」という政策は続けた。この狙いについて平野氏は「もんじゅは増殖炉という概念を捨て、原発から出るプルトニウムを燃やして廃棄物処理を加速させる研究機関に切り替えようとした」と打ち明ける。
もんじゅに新たな道を歩ませようと模索したのだが、民主党政権は崩壊。再び政権を奪った自民党の安倍晋三政権は「原発ゼロ」を撤回し、核燃料サイクル政策を手放そうとはしない。
核燃料サイクル政策を検証していくと既に破綻しているように思えるのだが、それでも政府が維持したいと考える動機を知りたくなった。
米原発会社「ゼネラル・エレクトリック」で18年間、原発技術者として働いていた原子力コンサルタントの佐藤暁さんが解説する。
「原発の運転が可能なのは、将来、使用済み核燃料を再処理して高速増殖炉で使い、核燃料サイクルを回していくという前提があるからです。核のゴミの最終処分場のめどが立たない中、もんじゅが駄目になってサイクルが破綻すると、原発の稼働も危ぶまれる。だから政府は何とかして、もんじゅが続いている状態にすることが必要なのです」
佐藤さんは「当事者は、事故が相次いだもんじゅを動かしたくないのが本音でしょうね」とも口にした。それなのに20年の年月を重ねてもストップできないのはなぜか。
その要因については、師弟制度や先輩、後輩の関係があると語る。「日本では企業や学問の分野でも、先輩の言うことはつべこべ言わずに従えという雰囲気があり、議論することさえ嫌がる風潮がある。それが結局、安全文化の未熟さにつながってしまうわけです」。日本人の気質が、核燃料サイクル政策の推進に「ノー」と言えない土壌を作っているというのだ。
伴さんは日本の官僚機構に焦点を当てる。「一度方向が決まると、止めるという判断を下すことが難しくなる政策構造です。もんじゅ担当の役人はせいぜい2、3年で交代するので、自分の担当時に『見直す』という逆向きの政策判断はしたくない。それがズルズルと続けてきた原因なのです」
原発のコスト計算を専門とする立命館大教授の大島堅一さん(環境経済学)は「もんじゅは運転停止しているのに維持費だけで年間200億円かかっています。またもんじゅを動かせば何らかの事故は起きると予想されるので、誰も動かしたくないはず。でも『核燃料サイクル』という錦の御旗(みはた)は下ろせないのです」と語る。
核燃料サイクル政策は成功しないと分かっていても、この国は巨額を投じて、破れた夢を追い続けている。
核燃料サイクル政策をめぐる主な動き
1955年 原子力基本法が成立
56年 原子力委員会が発足。原子力開発利用長期計画に核燃料サイクル確立を明記
67年 動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が発足
85年 高速増殖原型炉「もんじゅ」の本体工事着手
94年 もんじゅの運転開始
95年 もんじゅナトリウム漏れ火災事故
98年 動燃が核燃料サイクル開発機構へ改組
2005年 核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所が統合し、日本原子力研究開発機構誕生
10年 もんじゅ運転再開、核燃料交換装置が炉内に落下する事故
11年 東京電力福島第1原発事故
12年 民主党政権が「30年代原発ゼロ」と「核燃料サイクル推進」を打ち出す
14年 安倍政権が原発再稼働と核燃料サイクル推進のエネルギー基本計画決定
15年 原子力規制委員会が文部科学相に原子力機構の変更を勧告
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