きっこ @kikko_no_blog さんのツイートです。
――民主党の喜納昌吉さんが「県内移設反対」を掲げて沖縄県知事選に出馬するそうだけど、誰得だと思う?もちろん得するのは「県内移設賛成」の仲井真さんだよね。だって翁長さんへの「県内移設反対」の票が割れちゃうもん。ようするに「移設容認」の民主党が「移設推進」の自民党に助け舟を出す形になる。〔13:13 - 2014年9月17日 〕――
下記は、
同氏のツイッタ―のアカウントです。
☆ アカウントURL:https://twitter.com/kinashoukichi
訪問すれば、
この人の「人となり」を
自分の目で
確かめられるでしょう。
僕は、
同氏の気軽に沖縄の独立を語る
ツイートに、
人としての軽さを見ました。
――①1952年4月28日を「主権回復の日」とするという安倍首相の思惑は、沖縄県民の気持ちを激しく逆撫でしている。
この日締結され、“日本が主権を回復した”とされるサンフランシスコ講和条約には、同時に沖縄と奄美を米信託統治領とする条項が盛り込まれていた。〔22:23 - 2013年3月9日 〕――
――② “独立を果たした日本”の中には、沖縄と奄美は含まれていなかったのだ。切り捨てられ、置き去りにされた沖縄では、この日を「屈辱の日」と呼んだ〔22:23 - 2013年3月9日 〕――
――③今日、事のいきさつをよく知りながら、なおこの日を「主権回復の日」と呼ぶのだとしたら、首相の頭の中では今も沖縄と奄美は日本に含まれてはいない、ということなのだろう。沖縄の世論は、第2の「屈辱の日」であるといきり立っている。〔22:24 - 2013年3月9日 〕――
――④実のところ私には少し違った感覚がある。この「屈辱の日」という言葉には、復帰運動の中核を為した、日本に帰属したいという想いへの未練を感じるのだ。沖縄を切り捨てた日をもって日本の主権回復というならば、私たちも未練を断ち切り、この日を「沖縄独立の曙の日」とすればよいと思う。〔22:24 - 2013年3月9日 〕――
この人の話っぷりで可笑しいのは、
「屈辱」を
感じるから
「独立」への希求が生まれているのに、
「屈辱」
という‟日本”への未練を断ち切れば、
「独立」できるかのように
逆を説き、
幻想を振る撒いていることでしょう。
気持ちの持ちようで、
あるいは、いくらか「屈辱」感を癒せるでしょう。
しかし、それで独立はできないです。
日本人にとって、
沖縄は、
日本の都道府県の一つです。
実際、沖縄が
見捨てられるように福島が見捨てられている現実を見れば
屈辱的ならざる日本人などいません。
そのような
「国の中での国捨て」現象がそこら中で起きているのが
日本という国の今なんです。
それこそが
米国の属国である所以でしょう。
もし、沖縄の独立が
そんな状況下にあって成り立つならば、
革命行為と言ってもいいほどの
インパクトがあります。
福島も独立して、その他の自治体も独立する――、
そして取り残されるのは、
米国の傀儡政権である日本政府だけにすれば、
さすがにマスコミも目が覚めるでしょう。
問題は、
そうした考えに
現実味があるのかということですな。
仮に、絵空事でないとしても、
その期が熟しているのかどうかが問われます。
ちなみに、
革命の大御所、レーニンは、
こんなことを言ってます。
――青年の最も重要な課題は、学習である〔0:47 - 2014年9月18日 〕――
今、喜納氏がやるべきことは、
自分を無にする精神を
翁長さんから学ぶことではないですか。
選挙の
票を割ることでは決してないでしょ。
皆さん、どう思います。
この人は、
三宅洋平氏とのつながりをもって
チャームポイントとされておられるわけですな。
しかし、その親しさは、
音楽ゆえの親しさであるのが
同氏のライブの宣伝から見て取れます。
無名のミュージシャンが
民主党という政党をバックの下に
選挙に打って出た。
しかし、売りは、
三宅洋平氏とのコネだというのは、
どう考えても
辻褄が合わない気が致しますな。
参考までに、
歌、聞いて上げましょうか。
☆ you-tubeサイトURL:http://www.youtube.com/watch?v=5TRBfVGyudY
心の乱れが
歌い方に表れているような印象を受けました。
それとも、
もともと音痴なのか…
歌手の道を断念するのは、多分、正解でしょうね
(ごめん)。
しかし、政治家になるのには賛成しかねます。
権力迎合で行くのなら
問題ないです。
そうでなく、
革命家たらんとしてらっしゃるわけですよね?
だったら、
もっとゲバラのような、
透明な清潔さがないとダメです
(と思いますけど)。
――民主党の喜納昌吉さんが「県内移設反対」を掲げて沖縄県知事選に出馬するそうだけど、誰得だと思う?もちろん得するのは「県内移設賛成」の仲井真さんだよね。だって翁長さんへの「県内移設反対」の票が割れちゃうもん。ようするに「移設容認」の民主党が「移設推進」の自民党に助け舟を出す形になる。〔13:13 - 2014年9月17日 〕――
下記は、
同氏のツイッタ―のアカウントです。
☆ アカウントURL:https://twitter.com/kinashoukichi
訪問すれば、
この人の「人となり」を
自分の目で
確かめられるでしょう。
僕は、
同氏の気軽に沖縄の独立を語る
ツイートに、
人としての軽さを見ました。
――①1952年4月28日を「主権回復の日」とするという安倍首相の思惑は、沖縄県民の気持ちを激しく逆撫でしている。
この日締結され、“日本が主権を回復した”とされるサンフランシスコ講和条約には、同時に沖縄と奄美を米信託統治領とする条項が盛り込まれていた。〔22:23 - 2013年3月9日 〕――
――② “独立を果たした日本”の中には、沖縄と奄美は含まれていなかったのだ。切り捨てられ、置き去りにされた沖縄では、この日を「屈辱の日」と呼んだ〔22:23 - 2013年3月9日 〕――
――③今日、事のいきさつをよく知りながら、なおこの日を「主権回復の日」と呼ぶのだとしたら、首相の頭の中では今も沖縄と奄美は日本に含まれてはいない、ということなのだろう。沖縄の世論は、第2の「屈辱の日」であるといきり立っている。〔22:24 - 2013年3月9日 〕――
――④実のところ私には少し違った感覚がある。この「屈辱の日」という言葉には、復帰運動の中核を為した、日本に帰属したいという想いへの未練を感じるのだ。沖縄を切り捨てた日をもって日本の主権回復というならば、私たちも未練を断ち切り、この日を「沖縄独立の曙の日」とすればよいと思う。〔22:24 - 2013年3月9日 〕――
この人の話っぷりで可笑しいのは、
「屈辱」を
感じるから
「独立」への希求が生まれているのに、
「屈辱」
という‟日本”への未練を断ち切れば、
「独立」できるかのように
逆を説き、
幻想を振る撒いていることでしょう。
気持ちの持ちようで、
あるいは、いくらか「屈辱」感を癒せるでしょう。
しかし、それで独立はできないです。
日本人にとって、
沖縄は、
日本の都道府県の一つです。
実際、沖縄が
見捨てられるように福島が見捨てられている現実を見れば
屈辱的ならざる日本人などいません。
そのような
「国の中での国捨て」現象がそこら中で起きているのが
日本という国の今なんです。
それこそが
米国の属国である所以でしょう。
もし、沖縄の独立が
そんな状況下にあって成り立つならば、
革命行為と言ってもいいほどの
インパクトがあります。
福島も独立して、その他の自治体も独立する――、
そして取り残されるのは、
米国の傀儡政権である日本政府だけにすれば、
さすがにマスコミも目が覚めるでしょう。
問題は、
そうした考えに
現実味があるのかということですな。
仮に、絵空事でないとしても、
その期が熟しているのかどうかが問われます。
ちなみに、
革命の大御所、レーニンは、
こんなことを言ってます。
――青年の最も重要な課題は、学習である〔0:47 - 2014年9月18日 〕――
今、喜納氏がやるべきことは、
自分を無にする精神を
翁長さんから学ぶことではないですか。
選挙の
票を割ることでは決してないでしょ。
皆さん、どう思います。
この人は、
三宅洋平氏とのつながりをもって
チャームポイントとされておられるわけですな。
しかし、その親しさは、
音楽ゆえの親しさであるのが
同氏のライブの宣伝から見て取れます。
無名のミュージシャンが
民主党という政党をバックの下に
選挙に打って出た。
しかし、売りは、
三宅洋平氏とのコネだというのは、
どう考えても
辻褄が合わない気が致しますな。
参考までに、
歌、聞いて上げましょうか。
☆ you-tubeサイトURL:http://www.youtube.com/watch?v=5TRBfVGyudY
心の乱れが
歌い方に表れているような印象を受けました。
それとも、
もともと音痴なのか…
歌手の道を断念するのは、多分、正解でしょうね
(ごめん)。
しかし、政治家になるのには賛成しかねます。
権力迎合で行くのなら
問題ないです。
そうでなく、
革命家たらんとしてらっしゃるわけですよね?
だったら、
もっとゲバラのような、
透明な清潔さがないとダメです
(と思いますけど)。
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