のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

AKB48 が歌う「翼はいらない」という曲、平成の軍歌ではないか 

2016年06月15日 06時23分29秒 | 洗脳

(追記〔2016年6月20日〕:この動画、最初にアップしたものが削除されていた。同じタイトルの、新たにアップした上の動画には、歌詞が変更されたか、編集されたか、下の本文で僕が記した、この歌の特徴であるフレーズが見当たらない。ちょっとしたこの異変、昨日だったか、誰かがした「ロックに政治を持ち込むな」という主張と関係するのだろうか。拙稿「ロックに政治を持ち込むなって、またなぜ、誰が言い出したのか」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/6a3a537fa157fe2a50501e8f27aa5258
(追記〔2016年6月25日〕:学生運動が盛んな1972年を舞台にしたMVもあるという。早速、視聴してみた。興味があれば、見てみたらいいだろう。short versionのせいだろうか、「翼はない方がいい」というメッセージの持つ意味が分かりにくく、奇奇怪怪な曲になっていた。学生運動を風物誌として描きたかったのだろうか。退屈でもあり、人を食っているような印象を受けた。もう改めてアップしない)


「悲しみも道の途中 ひたすら歩こう」

というフレーズが出てくる。

安倍晋三の

「道半ば」

というアベノミクスの

宣伝に使われる言葉を意識しているのだろうか。

歌によって

現実認識が奪われることがある。

戦時中の

軍歌がその役割を果たした。

この歌の狙いは、

「ひたすら歩こう」

ということで

絶望的な現状を忘れさせるのが

目的なんだろうかと

思ってしまった。

実際、

ひたすら歩くは、

「笑っていれば放射線など跳ね飛ばせる」

とどこがどう違うのか。


転載元:北濱幹也‏@kitahamamikiyaさんのツイート〔4:22 - 2016年6月14日


目をつぶり、耳をふさぎ、口を閉じた

笑顔や行進は、

誰かに

後ろから銃剣で突かれている状態と

何も異ならない。

笑い、歩いて向こうから

幸せがやってくるわけがない。

また、注意すべきは、

この曲に出てくる、

歌謡曲には珍しい「俯瞰」という

営為を

庶民に断念させるために

「翼はなくていい」

というフレーズが使われていること。

たかが歌謡曲、

何を難しく解説しているんだと言われそうだけど、

この曲の世界観として

先を見通す――俯瞰する――ためには、

歌の中では翼がないとできないことになっている

(歌の中では「翼があれば――」という仮定法の下、説明されている)。

だったら翼がないことは、

致命傷じゃないか――。

羅針盤は、

荒海に出くわしたとき、

必要となる。

この曲は、

お前たちに船の位置情報など不要。

指図に従って、

船の前進を願って働いておればいいという

メッセージを伝えてないか。

もし、

船長が羅針盤無視の航行をするなら、

遠からず、

船は難破してしまうのだ。

しかし、

思い出そう!!

我々には翼がある。

それは、

先人の知恵であり、

現代に生きる我々の心の結びつきだ。

まして

一国の舵取りともなれば、

命がかかってくる。

船は

国民のものだし、

為政者は、

我々が望んで、我々のため為政者をさせてやってるんだ。

国民に害をなすというなら、

その地位をはく奪する他ない。

我々は、

その資格と力を持っている。

そのことを

忘れてはいけない。

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