自己責任論とは、
僕に言わせれば「村八分」の論理だ。
「危険と分かり切ったところへ自分から乗り込んだ。
そんな人の面倒見切れません」
と言わんばかりだ。
しかし、
安全を心掛け、
村に閉じこもっていては、
世界が見えない。
ドジョウの鍋料理で
「柳川鍋(やながわなべ)」ってあるだろ。
火を入れると、
ドジョウが冷たいところを求めて
豆腐の中に入り込む。
そしてそのまま、
ゆで上がってしまうという――。
僕は、
このレシピを初めて聞いたとき、
震え上がってしまったのを覚えている。
思うに、
ジャーナリストの活動と言うのは、
熱くなる湯の中で、
豆腐に潜り込まない生き方を選択することだ。
安田純平さんは、
送られてきたビデオの中で
「私の国に何かを言わなければなりません。痛みで苦しみながら暗い部屋に座っている間、誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない。存在せず、誰も世話をしない。」
と言っている(下記〔資料〕参照)。
これは、
拉致された
ジャーナリストとして、
人質交渉が本格化しない不満を訴えているのでなく、
むしろ、普通の人として生きている日常、
すなわち、
村八分にされまいと、
「豆腐の中」で生きている我々に向けて
ドジョウの心境をあえて抉り出し語ったものではないか。
そう考えると合点が行く。
誰かを
平気で見捨てられる社会とは、
見方を変えれば、
あなたに
「誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない」。
あなたは「存在せず」、
あなたを「誰も世話をしない」社会なのだ、
ということだな。
〔資料〕
「安田純平さん名乗る男性の動画を公開 ヌスラ戦線が拘束か(発言全文)」
The Huffington Post (2016年03月17日 08時02分 JST )
☆ 記事URL:http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/16/junpei-yasuda-movie_n_9482008.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
2015年6月に内戦下のシリアに入国した後、行方不明になったとみられるフリージャーナリストの安田純平さん(42)と名乗る男性の動画が3月16日、Facebook上に投稿された。男性は、家族への思いを語った後、日本政府を念頭に対応を求めるような発言をした。毎日新聞などが報じた。
男性は「Hello, I am Junpei Yasuda.(こんにちは、私は安田純平です)」と名乗った上で、英語で「今日は3月16日は私の誕生日で、彼らから『メッセージを送っていい』と言われた」などと語った。確認できた映像の長さは約1分7秒の長さで、男性は、机の上に置いた紙を見ながら、紙に書かれているとみられる文章を読む形で話している。
男性が語った内容の日本語訳は以下の通り。
----
こんにちは。私はジュンペイ・ヤスダです。そして、今日は私の誕生日、3月16日です。
彼ら(拘束しているグループとみられる)が、話したいと思うことを話していいと言い、これ(映像)を通して、誰にでもメッセージを送れると言いました。
私の妻、父、母、兄弟、愛しています。いつもあなたたちのことを考えています。あなたたちとハグし、話したいです。でも、もうできません。ただ、気をつけてと言うしかできません。
私の42年の人生はおおむね良いものでした。とくに、この8年間はとても楽しかったです。
私の国に何かを言わなければなりません。痛みで苦しみながら暗い部屋に座っている間、誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない。存在せず、誰も世話をしない。
----
■ヌスラ戦線が拘束か
NHKニュースによると、映像を公開したシリア人の男性は「安田さんはアルカイダ系の武装組織ヌスラ戦線に拘束されており、映像は解放に向けた仲介役を務めている人物から16日に入手した」と話したうえで、映像がどこでどのような状況で撮影されたのかについては「分からない」と語ったという。共同通信によると、ヌスラ戦線は日本側に身代金を要求する姿勢だという。
岸田文雄・外務大臣は午前7時ごろ外務省で記者団に対し、「映像は承知しており、その映像の分析を行っているところだ。政府にとって日本人の安全確保は重大な責務であり、情報網を駆使して対応している」とコメントした。
■ フリージャーナリスト・安田純平さん
安田さんは埼玉県出身、一橋大学卒。1997年に信濃毎日新聞記者となり、2003年1月に退職してフリージャーナリストに転身した。2004年、外務省の退避勧告が出ているイラクで取材中に武装勢力に拘束され、3日後に解放された。その際には「自己責任」と批判的な声も出たが、その後も何度もイラクやシリアを取材してきた。著書に「囚われのイラク」(現代人文社)などがある。
安田さんは2015年6月、シリア内戦を取材するためトルコからシリア北西部に越境。しかし、予定していた7月を過ぎても帰国していなかった。
国境なき記者団が12月に得た情報によると、安田さんは7月前半にシリア入国直後、国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」支配地域で拉致され、現在も拘束されているという。過激派組織IS(イスラム国)に殺害映像が公開された国際ジャーナリストの後藤健二さんに関する取材などが目的だったとみられるという
僕に言わせれば「村八分」の論理だ。
「危険と分かり切ったところへ自分から乗り込んだ。
そんな人の面倒見切れません」
と言わんばかりだ。
しかし、
安全を心掛け、
村に閉じこもっていては、
世界が見えない。
ドジョウの鍋料理で
「柳川鍋(やながわなべ)」ってあるだろ。
火を入れると、
ドジョウが冷たいところを求めて
豆腐の中に入り込む。
そしてそのまま、
ゆで上がってしまうという――。
僕は、
このレシピを初めて聞いたとき、
震え上がってしまったのを覚えている。
思うに、
ジャーナリストの活動と言うのは、
熱くなる湯の中で、
豆腐に潜り込まない生き方を選択することだ。
安田純平さんは、
送られてきたビデオの中で
「私の国に何かを言わなければなりません。痛みで苦しみながら暗い部屋に座っている間、誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない。存在せず、誰も世話をしない。」
と言っている(下記〔資料〕参照)。
これは、
拉致された
ジャーナリストとして、
人質交渉が本格化しない不満を訴えているのでなく、
むしろ、普通の人として生きている日常、
すなわち、
村八分にされまいと、
「豆腐の中」で生きている我々に向けて
ドジョウの心境をあえて抉り出し語ったものではないか。
そう考えると合点が行く。
誰かを
平気で見捨てられる社会とは、
見方を変えれば、
あなたに
「誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない」。
あなたは「存在せず」、
あなたを「誰も世話をしない」社会なのだ、
ということだな。
〔資料〕
「安田純平さん名乗る男性の動画を公開 ヌスラ戦線が拘束か(発言全文)」
The Huffington Post (2016年03月17日 08時02分 JST )
☆ 記事URL:http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/16/junpei-yasuda-movie_n_9482008.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
2015年6月に内戦下のシリアに入国した後、行方不明になったとみられるフリージャーナリストの安田純平さん(42)と名乗る男性の動画が3月16日、Facebook上に投稿された。男性は、家族への思いを語った後、日本政府を念頭に対応を求めるような発言をした。毎日新聞などが報じた。
男性は「Hello, I am Junpei Yasuda.(こんにちは、私は安田純平です)」と名乗った上で、英語で「今日は3月16日は私の誕生日で、彼らから『メッセージを送っていい』と言われた」などと語った。確認できた映像の長さは約1分7秒の長さで、男性は、机の上に置いた紙を見ながら、紙に書かれているとみられる文章を読む形で話している。
男性が語った内容の日本語訳は以下の通り。
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こんにちは。私はジュンペイ・ヤスダです。そして、今日は私の誕生日、3月16日です。
彼ら(拘束しているグループとみられる)が、話したいと思うことを話していいと言い、これ(映像)を通して、誰にでもメッセージを送れると言いました。
私の妻、父、母、兄弟、愛しています。いつもあなたたちのことを考えています。あなたたちとハグし、話したいです。でも、もうできません。ただ、気をつけてと言うしかできません。
私の42年の人生はおおむね良いものでした。とくに、この8年間はとても楽しかったです。
私の国に何かを言わなければなりません。痛みで苦しみながら暗い部屋に座っている間、誰も反応しない。誰も気にとめていない。気づかれもしない。存在せず、誰も世話をしない。
----
■ヌスラ戦線が拘束か
NHKニュースによると、映像を公開したシリア人の男性は「安田さんはアルカイダ系の武装組織ヌスラ戦線に拘束されており、映像は解放に向けた仲介役を務めている人物から16日に入手した」と話したうえで、映像がどこでどのような状況で撮影されたのかについては「分からない」と語ったという。共同通信によると、ヌスラ戦線は日本側に身代金を要求する姿勢だという。
岸田文雄・外務大臣は午前7時ごろ外務省で記者団に対し、「映像は承知しており、その映像の分析を行っているところだ。政府にとって日本人の安全確保は重大な責務であり、情報網を駆使して対応している」とコメントした。
■ フリージャーナリスト・安田純平さん
安田さんは埼玉県出身、一橋大学卒。1997年に信濃毎日新聞記者となり、2003年1月に退職してフリージャーナリストに転身した。2004年、外務省の退避勧告が出ているイラクで取材中に武装勢力に拘束され、3日後に解放された。その際には「自己責任」と批判的な声も出たが、その後も何度もイラクやシリアを取材してきた。著書に「囚われのイラク」(現代人文社)などがある。
安田さんは2015年6月、シリア内戦を取材するためトルコからシリア北西部に越境。しかし、予定していた7月を過ぎても帰国していなかった。
国境なき記者団が12月に得た情報によると、安田さんは7月前半にシリア入国直後、国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」支配地域で拉致され、現在も拘束されているという。過激派組織IS(イスラム国)に殺害映像が公開された国際ジャーナリストの後藤健二さんに関する取材などが目的だったとみられるという
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