「軍隊の中にあって、
人種差別を悪とする思想は、
他国に対する破壊や占領の口実に出来る、
今なお使える重要手段に一つです」(ビデオタイム、0:45~参照)
という指摘、
福島の過酷事故当初から
よく聞かされた
「差別」
という用語を思い起こさせます。
福島出身の芸能人が
「福島県民への差別」
という言い方で、
他府県の人間を罵倒するために使ってました。
鮮やかに記憶に残っています。
あの使い方って
ひょっとして米国の軍隊仕込みだったのか?
今にして思うと、
言葉の使われ方の暴力的なイメージが
妙に重なっていて、
本当に
驚きます。
「差別」という、
この言葉が
持つ本来の用法と言うのでしょうか、
かつて使われた「反・差別」の分脈と異なって、
放射能を不安視する人を非難するために、
また、あるいは、
一定の地域に閉じ込めておくために、
あえて選ばれている欺瞞を
考えざるを得ません。
最近はまた、
“美味しんぼ”騒動で
この用法が復活しました。
鼻血の風評が
たとえば、
飯舘村や南相馬郡の人間を差別させるんだ、と。
しかし、もし、差別じみたことが
実際、あったとして、
それは、
鼻血が敬遠されるからでなく、
福島の地に
居座っている放射性物質(微粒子)の
脅威ゆえでしょう。
その点、
履き違えないようしないといけません。
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