のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

心の中に秘密を持つと、それが牢獄となる ~ 依存症の場合

2017年11月01日 03時14分54秒 | 日々の思い
リスカはなぜやるのかと少女に問いかける
少女は「心の痛みは何が何だか分からないから凄い怖いけれど、リスカをすれば自分で傷つけているんだから痛いのは当たり前でしょ。そうすれば怖くないもん」(サイト「覚せい剤,危険ドラッグ,止められない君に贈ります」の記事、「(修正)自己治療仮説理論を再考する その1 」より)――

☆ 記事URL:https://ameblo.jp/narumin500/theme-10099376873.html

(これをすれば、何か快感があるかもしれない)

という好奇心から第一歩が始まる。

そして抜けられなくなる。

なぜ、そうなるのか――。

たまたま見つけたある事例を基に考えたい。

仮に、

A子さんの場合としておく。

まずは、

「自己コントロール」が可能かどうか

足元を確かめながら

薬物依存の基礎を作っていく。

18歳の頃だ。

まだ

A子さんに限らず、

少女なのに、また、少年なのにという若者たちを

引き付けるのは、

現実の惨めさをしばし忘れる一瞬が手に入るからだろう。

覚醒剤の

入り口にはMDMA(合成剤)がある。

これは、

まだ覚せい剤じゃないから

警察に逮捕されない

という法律上の規制をもって

自分を励ます。

もっと飲め、もと飲めと。

その内、

覚せい剤にのめり込んで行って

こんなことはしていてはいけないと思って、

そっから必死の

離脱のための闘いが始まる。

しかし、

自分の弱さについての認識が甘いと、

また、誘惑に負ける。

思うに、

現代社会は、

薬物に逃げた人間には冷たい。

たとえば、

警察は、

そんな彼らに何を与えるかと言うと、

仲間だ。

いわゆる、悪友だ。

そして警察に逮捕されたという

前科は、

彼らに逮捕された事実を

内緒にするように仕向ける。

その結果、

何が待っているか。

誤った精神科の治療が待っている。

たとえば、

覚せい剤中毒なのに、

それを口にできないがために

うつ病の治療を受けると言った具合だ。

正直に語らない

ことを心の奥に抱えるということは、

牢獄につながれるのと、

実は同じだ。

深い孤独感の中で、

自分の不安に対処できなくなるんではないかな。

そっから、

現実逃避の手段として

依存という生活習慣ができあがるのではないか。

冒頭に紹介した

リストカットの少女の言葉を思い出していただきたい。

心の痛みを忘れるために、

リストカットする。

流れ出る血を眺めながら意識するのは、

自己喪失感ではないか。

薬の恐怖を感じている内は、自己コントロールにこだわる。

しかし、それを越すと、

自己喪失に快感を催すのではないか。

ひょっとして、

宗教的なエクスタシー感覚に近いのかな。

しかし、一時の快感のために自分を投げ捨てることはないよ。

前記事で紹介した

「『ネズミの楽園』実験」は、

人間にも当てはまる。

(人の手って、こんなに温ったかかったっけ)という

人とのつながり(connection)体験をしたら

人生観が変わってしまうよ。

その体験をしない内に死ぬのは

早すぎる、

と思うわけだな。

A子さんが

逃げ場をなくして自殺を決行。

しかし、我が子に助けられたとのことだった。

そのとき、

覚せい剤漬けの日々が明らかになって、

否が応でも

SOSを発信せざるを得なくなった。

今は、その子供、

近所の皆さん方に

「うちのお母さんな、昔、清原みたいやってんで」と

吹聴してくれていると、

真っ白な歯を見せて教えてくれた。

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