文科省が人文科学系の学部をつぶしにかかっているようですね。
これについて、
山口二郎@260yamaguchi さんが
――国立競技場1つつまもともに作れないような愚かな役所である文科省の役人が、学問の必要性をうんぬんするとは笑止千万。顔を洗って出直して来い。文科系の学部の必要性をうんぬんする前に、自分の役所が不必要だということに気づけよ。〔12:07 - 2015年6月14日 〕――と、
辛辣なことを仰ってます。
ところで、
なぜ、文科省が
ほとんど暴論に近い
(と言うか、暴論そのものである)
人文科学系の学部廃止論をぶち上げるのでしょう
(国立大学法人評価委員会(第51回)配付資料参照。*http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/1358297.htm)。
これには、
産業界の要請があるからとも言いますね。
本当ですかね。
本当として、理由は何でしょうか。
一つ、言えそうなのが
付加価値を生み出さないってこと。
明治維新のとき、
始まった
人文に限らず、
学校教育に対する抵抗運動のようですな。
すなわち、
「うちの息子は、将来は百姓だ。田んぼの世話するのに、
計算する能力は必要ねぇ」、
あるいは、
「あんまり女子が頭良かったら、芸者になれまへん」
とかいった類の主張を連想させます。
思うに、
これって、
若者に会社の
上司に対する口答えのテクニックを
授けてしまう
ということが主要な原因ではないでしょうか。
もっと言えば、
「労働者は、戦闘要員」
という思い込みがあるからではないでしょうか。
「反戦」
という主張は、
そのような思い込みをなさっている
企業者にとっては、
懈怠以外の何物でもないのでしょうな。
ところで、
最近、
「日本会議」の
成立に関する事情を述べた
フランスの
新聞社の記事を読みました。
きっかけは、
kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんの
このツイート。
――これじゃ、G7首脳のだれも安倍晋三氏といっしょの写真に収まりたくないわけだ。こんなのと一緒にされたら自国民からどう思われるかわからない。→ cm23671881氏のフランスの週刊誌の記事の和訳。『アベシンゾーの隠された顔』
⇒ http://amba.to/1C25Em8〔8:57 - 2015年6月14日〕――
組織の隠密性にも係わらず、
会員は、
3万5千人。
国会議員の40%が所属しているという
「日本会議」
なる団体の影響受けて
最近の
政府の軍国化路線が決められたのでしょう。
この団体の前身は、
(1)満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって形成されたものと
(2)主に神道の宗教団体によって設立されたものの、
二つということです。
1997年に、
この二つが合併されできた「日本会議」は、
反動的で1930年代に強い郷愁を抱く点に特徴があるようです。
現今の世論に
多大な影響を及ぼしているのが
この団体とするなら、
1930年当時の思潮が暗雲のごとく
ただ今、この日本を覆っている考えるべきでしょう。
なるほど、
だとするなら、
「労働者は、戦闘要員」
という人間観が納得できます。
典拠:北濱幹也@kitahamamikiya さんのツイート〔18:02 - 2015年6月8日 〕
このグループは、
右派を名乗っていますけれど、
実態はと言うと、
ただのチンピラないしは売国奴の集まりと見ていいようです。
その象徴的存在が安倍晋三です。
ただ、自分は、
そんな人脈と無縁だから、
圏外から
今の時代を考察できると、
のほほんと構えてはおれないです。
日々の鍛錬がきっと必要です。
下の画像を見て下さい。
典拠:SADL@SADL_OSAKA さんのツイート〔15:15 - 2015年6月14日〕
北泊謙太郎さんの講演風景です。
当時の兵士たちの手記から
「なぜ徴兵を嫌がったような(優しい)兵士たちが残虐な行為をしたのか?」について
説明されているところですって。
北泊氏の分析によると、
「相手を人間と思わないことが背景にある」
とのことです。
まさに
その通り!!
このくだりをを読んで、
文科省が人文科学系の学部をつぶしにかかっているのか、
きちっと腑に落ちました。
そうなんですよ、そう、
周りの人間に人間性を見出せないようにする
というのが
今の時代の教育方針なのですよ。
どうやって、
この世界観を撃つか――。
案外に簡単かもしれないですよ。
「日本会議」の目指すものが「1930年代」という
日本にあっても
非常に特殊な時代に憧れる
狭隘さ故です。
たとえば、
「歴史修正主義」という
みっともない考え方、
どう思います?
安倍某は、
自分のみっともなさをよく知っているのです。
だから憲法を話題にするとき、
殊更に
「このみっともない憲法」
などと言って、
憲法を侮蔑しようとするのです。
しかし、よくよく考えて欲しいのは、
一旦それでいいと
ポツダム宣言で受け入れた罪を、
今更なかったことにしたい
という厚かまい要望についてです。
これって、
美しいですか?
無様ではないですか。
この間、
憲法学者の佐藤幸治先生が
「いつまで『押し付け憲法』『押し付け憲法』と
うじうじ言ってるんだ。いい加減にしろ」と、
自民党に活を入れるように
意見表明されたとき、
スカッとするものがあったでしょ。
あれは、
日本人の死生観として
武士道が
しみついているからだと思います。
「日本会議」は、
愛国者の集まりの顔をして失敗。
この人たちは、
そもそも“美しくない”という意味で
日本文化に根差していません。
だから、
人文科学排斥なのですよね。
その底の浅さを
笑ってやろうではありませんか、
わはは、
恥を知れ、安倍晋三よ、と。
これについて、
山口二郎@260yamaguchi さんが
――国立競技場1つつまもともに作れないような愚かな役所である文科省の役人が、学問の必要性をうんぬんするとは笑止千万。顔を洗って出直して来い。文科系の学部の必要性をうんぬんする前に、自分の役所が不必要だということに気づけよ。〔12:07 - 2015年6月14日 〕――と、
辛辣なことを仰ってます。
ところで、
なぜ、文科省が
ほとんど暴論に近い
(と言うか、暴論そのものである)
人文科学系の学部廃止論をぶち上げるのでしょう
(国立大学法人評価委員会(第51回)配付資料参照。*http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/kokuritu/gijiroku/1358297.htm)。
これには、
産業界の要請があるからとも言いますね。
本当ですかね。
本当として、理由は何でしょうか。
一つ、言えそうなのが
付加価値を生み出さないってこと。
明治維新のとき、
始まった
人文に限らず、
学校教育に対する抵抗運動のようですな。
すなわち、
「うちの息子は、将来は百姓だ。田んぼの世話するのに、
計算する能力は必要ねぇ」、
あるいは、
「あんまり女子が頭良かったら、芸者になれまへん」
とかいった類の主張を連想させます。
思うに、
これって、
若者に会社の
上司に対する口答えのテクニックを
授けてしまう
ということが主要な原因ではないでしょうか。
もっと言えば、
「労働者は、戦闘要員」
という思い込みがあるからではないでしょうか。
「反戦」
という主張は、
そのような思い込みをなさっている
企業者にとっては、
懈怠以外の何物でもないのでしょうな。
ところで、
最近、
「日本会議」の
成立に関する事情を述べた
フランスの
新聞社の記事を読みました。
きっかけは、
kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんの
このツイート。
――これじゃ、G7首脳のだれも安倍晋三氏といっしょの写真に収まりたくないわけだ。こんなのと一緒にされたら自国民からどう思われるかわからない。→ cm23671881氏のフランスの週刊誌の記事の和訳。『アベシンゾーの隠された顔』
⇒ http://amba.to/1C25Em8〔8:57 - 2015年6月14日〕――
組織の隠密性にも係わらず、
会員は、
3万5千人。
国会議員の40%が所属しているという
「日本会議」
なる団体の影響受けて
最近の
政府の軍国化路線が決められたのでしょう。
この団体の前身は、
(1)満州侵略を率いた帝国軍元司令官によって形成されたものと
(2)主に神道の宗教団体によって設立されたものの、
二つということです。
1997年に、
この二つが合併されできた「日本会議」は、
反動的で1930年代に強い郷愁を抱く点に特徴があるようです。
現今の世論に
多大な影響を及ぼしているのが
この団体とするなら、
1930年当時の思潮が暗雲のごとく
ただ今、この日本を覆っている考えるべきでしょう。
なるほど、
だとするなら、
「労働者は、戦闘要員」
という人間観が納得できます。
典拠:北濱幹也@kitahamamikiya さんのツイート〔18:02 - 2015年6月8日 〕
このグループは、
右派を名乗っていますけれど、
実態はと言うと、
ただのチンピラないしは売国奴の集まりと見ていいようです。
その象徴的存在が安倍晋三です。
ただ、自分は、
そんな人脈と無縁だから、
圏外から
今の時代を考察できると、
のほほんと構えてはおれないです。
日々の鍛錬がきっと必要です。
下の画像を見て下さい。
典拠:SADL@SADL_OSAKA さんのツイート〔15:15 - 2015年6月14日〕
北泊謙太郎さんの講演風景です。
当時の兵士たちの手記から
「なぜ徴兵を嫌がったような(優しい)兵士たちが残虐な行為をしたのか?」について
説明されているところですって。
北泊氏の分析によると、
「相手を人間と思わないことが背景にある」
とのことです。
まさに
その通り!!
このくだりをを読んで、
文科省が人文科学系の学部をつぶしにかかっているのか、
きちっと腑に落ちました。
そうなんですよ、そう、
周りの人間に人間性を見出せないようにする
というのが
今の時代の教育方針なのですよ。
どうやって、
この世界観を撃つか――。
案外に簡単かもしれないですよ。
「日本会議」の目指すものが「1930年代」という
日本にあっても
非常に特殊な時代に憧れる
狭隘さ故です。
たとえば、
「歴史修正主義」という
みっともない考え方、
どう思います?
安倍某は、
自分のみっともなさをよく知っているのです。
だから憲法を話題にするとき、
殊更に
「このみっともない憲法」
などと言って、
憲法を侮蔑しようとするのです。
しかし、よくよく考えて欲しいのは、
一旦それでいいと
ポツダム宣言で受け入れた罪を、
今更なかったことにしたい
という厚かまい要望についてです。
これって、
美しいですか?
無様ではないですか。
この間、
憲法学者の佐藤幸治先生が
「いつまで『押し付け憲法』『押し付け憲法』と
うじうじ言ってるんだ。いい加減にしろ」と、
自民党に活を入れるように
意見表明されたとき、
スカッとするものがあったでしょ。
あれは、
日本人の死生観として
武士道が
しみついているからだと思います。
「日本会議」は、
愛国者の集まりの顔をして失敗。
この人たちは、
そもそも“美しくない”という意味で
日本文化に根差していません。
だから、
人文科学排斥なのですよね。
その底の浅さを
笑ってやろうではありませんか、
わはは、
恥を知れ、安倍晋三よ、と。
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