今朝、忠太の夢、見ました。何日か前、ブログ仲間のmu-mamuさんが武蔵君が
トイレにまで付いてくるという報告をされていましたので、僕が昔、飼ってた猫と
同じやと、コメントさせて頂きました。その忠太です。
思い出話、させて頂きます。話は、30年以上遡ります。
僕がトイレに行こうと立ち上がると、ぐっすり眠っているはずの忠太が「ん?」と
いう表情で目を覚まし、「電信柱、見っけ!」とばかりに僕の体を駆け上ります。
冬はいいですよ、冬は。夏、Tシャツ一枚でいる時も、同じ調子なのですよ。肩
まで駆け上ったら、一応満足です。トイレするとき、ずり落ちそうになる度、忠太
君は、バランスをとるため僕の頭に爪を立てながら、下を覗き込んでいました。
完全に僕と同じ高さの目線です。痛いし、第一、恥ずかしいやろが・・と思いなが
らも、その暴挙を許していました。
忠太が死んだとき、もう二度と猫は飼うまいと心に決めました。
最近になって、猫を飼いだしたのは、“忠太の死”という認めたくなかった事実か
ら立ち直れたということかもしれません。しかし、もし、フラが“公園の猫”だったら、
わざわざ拾ってまで飼おうとはしなかったでしょう。我が家の庭にいた猫だったか
ら、飼ってやろうという気になったに過ぎないです。また、チアーがいなかったら、
やはり飼っていなかったです。そういう意味では、影の薄い猫でした。
しかし、実際に飼ってみて(わずか3日足らずですが)、忠太に似てなくもないな
ということが分かりました。
拾い上げた当初から、すごく僕に懐きました。部屋から出て行こうものなら、雄た
けびに近い声を出し、僕を探し始めていました。顔を近づけると、両手を広げ、爪
を立てた状態で僕の顔を鷲掴みです。
また、忠太に話を戻します。彼が御存命の頃、こんな出来事がありました。
朝、何やら胸に重いものが乗っかっている感じで、目を覚ましました。胸の上に忠
太が乗っていました。そこまでならいいんです。この後ですよ、怖いのは・・・!
爪を立てた片手を振り上げていたのです。
(おっと!)
とっさに目を閉じ、難を免れました。何と、僕の目を狙っていたのです。
「危ないやろが」と注意したものの、体を横にしてぴょんぴょん跳ねながら、威嚇
のポーズをとっている彼を前にして、怒る気が失せました。
世に「猫を被る」という慣用句があります。本性を隠す意で用い、あまりいい意味
で使われておりません。確かに、猫は人を欺くようなところがあります。猫嫌いの
多くの人は、このような猫の習性(?)を見て、猫を敬遠するのかもしれません。
しかし、猫って、小型でも闘争本能が強いです。さすがライオンの親戚です。
似た慣用句に「能ある鷹は爪隠す」というのがあります。こちらは、教訓的な使わ
れ方をしており、鷹のイメージとして否定的な意味合いを含んでいないようです。
なんか不公平ですな。犬と比較されて、ありがたくないレッテルを貼られている気
がします。
何が言いたいのかというと、「猫を被らない」猫がいるということです。本当に懐
かれれば、凶暴な一面を見せてくれます。
不可笑シリーズ「悪法なりや」で、猫の爪を切るのは、動物虐待として、国によっ
ては処罰の対象にしているところもあるということを紹介しました。立法趣旨は、
凶暴な一面も受容して、初めて愛猫家だということなのでしょう。爪を切ってしま
えば、猫のそういう一面を見ないことになります。それはおかしいな、と僕なぞも
思います。
何十年も前に飼っていた忠太という猫の夢を今頃、何故見たのか――。
フラが死んで、凹んでいる僕が見るに堪えなかったからだろうな、と思います。
魂というものがあるのかどうか、僕は知りません。しかし、もしあるとするなら、
似た者同士で、フラが旅立つとき、傍にいてやってくれたのかもしれませんね。
トイレにまで付いてくるという報告をされていましたので、僕が昔、飼ってた猫と
同じやと、コメントさせて頂きました。その忠太です。
思い出話、させて頂きます。話は、30年以上遡ります。
僕がトイレに行こうと立ち上がると、ぐっすり眠っているはずの忠太が「ん?」と
いう表情で目を覚まし、「電信柱、見っけ!」とばかりに僕の体を駆け上ります。
冬はいいですよ、冬は。夏、Tシャツ一枚でいる時も、同じ調子なのですよ。肩
まで駆け上ったら、一応満足です。トイレするとき、ずり落ちそうになる度、忠太
君は、バランスをとるため僕の頭に爪を立てながら、下を覗き込んでいました。
完全に僕と同じ高さの目線です。痛いし、第一、恥ずかしいやろが・・と思いなが
らも、その暴挙を許していました。
忠太が死んだとき、もう二度と猫は飼うまいと心に決めました。
最近になって、猫を飼いだしたのは、“忠太の死”という認めたくなかった事実か
ら立ち直れたということかもしれません。しかし、もし、フラが“公園の猫”だったら、
わざわざ拾ってまで飼おうとはしなかったでしょう。我が家の庭にいた猫だったか
ら、飼ってやろうという気になったに過ぎないです。また、チアーがいなかったら、
やはり飼っていなかったです。そういう意味では、影の薄い猫でした。
しかし、実際に飼ってみて(わずか3日足らずですが)、忠太に似てなくもないな
ということが分かりました。
拾い上げた当初から、すごく僕に懐きました。部屋から出て行こうものなら、雄た
けびに近い声を出し、僕を探し始めていました。顔を近づけると、両手を広げ、爪
を立てた状態で僕の顔を鷲掴みです。
また、忠太に話を戻します。彼が御存命の頃、こんな出来事がありました。
朝、何やら胸に重いものが乗っかっている感じで、目を覚ましました。胸の上に忠
太が乗っていました。そこまでならいいんです。この後ですよ、怖いのは・・・!
爪を立てた片手を振り上げていたのです。
(おっと!)
とっさに目を閉じ、難を免れました。何と、僕の目を狙っていたのです。
「危ないやろが」と注意したものの、体を横にしてぴょんぴょん跳ねながら、威嚇
のポーズをとっている彼を前にして、怒る気が失せました。
世に「猫を被る」という慣用句があります。本性を隠す意で用い、あまりいい意味
で使われておりません。確かに、猫は人を欺くようなところがあります。猫嫌いの
多くの人は、このような猫の習性(?)を見て、猫を敬遠するのかもしれません。
しかし、猫って、小型でも闘争本能が強いです。さすがライオンの親戚です。
似た慣用句に「能ある鷹は爪隠す」というのがあります。こちらは、教訓的な使わ
れ方をしており、鷹のイメージとして否定的な意味合いを含んでいないようです。
なんか不公平ですな。犬と比較されて、ありがたくないレッテルを貼られている気
がします。
何が言いたいのかというと、「猫を被らない」猫がいるということです。本当に懐
かれれば、凶暴な一面を見せてくれます。
不可笑シリーズ「悪法なりや」で、猫の爪を切るのは、動物虐待として、国によっ
ては処罰の対象にしているところもあるということを紹介しました。立法趣旨は、
凶暴な一面も受容して、初めて愛猫家だということなのでしょう。爪を切ってしま
えば、猫のそういう一面を見ないことになります。それはおかしいな、と僕なぞも
思います。
何十年も前に飼っていた忠太という猫の夢を今頃、何故見たのか――。
フラが死んで、凹んでいる僕が見るに堪えなかったからだろうな、と思います。
魂というものがあるのかどうか、僕は知りません。しかし、もしあるとするなら、
似た者同士で、フラが旅立つとき、傍にいてやってくれたのかもしれませんね。
なんだか辛い夢でしたね。
私も18年間一緒に暮らした猫がいました。
私が小学校4年の時に家に来ました。
そして、私が結婚して間もなく彼女は亡くなりました。
私にすごくなついていました。
私がいなくなって気が抜けたのではないかとうちの母が申しておりました。
彼女の旅立ちに付き添ったのですが涙が止まらず困りました。
笑顔で「ありがとう」って言いたかったのに。
それ以来猫を飼うことはありませんでした。
しかし、5年前突然猫が欲しくなったのです。
先代猫のちーちゃんがかかっていた獣医さんにお願いして子猫を譲り受けました。
それが今のふくです。
ちーとは違うけれど、甘えん坊でどこにでもついてきます。
娘みたいに思っています。
今思えばちーちゃんは姉妹だったのかな?
ところで、18年間、一緒に暮らしたという猫ちゃん、幸せな一生を送りましたね。きっと、ペットたちが死後に行くというレインボー・ブリッジで、ままさんを見守ってくれていると思いますよ!
蘇りました。
長年一緒に暮らした愛犬が相次ぎ亡くなり、もう二度と飼うまいと決めていました。
何年経っても悲しみは癒えず、だからといってペットショップで求める気にはなりませんでした。
きっとあの子達が生まれ変わり私の胸に飛び込んで来る、其の時が来る迄求めない!!
飛び込んで来たのが、今の武蔵です。
夜遅い時間でしたが、最初から懐き、
次の朝500gに満たない小さな体で朝日を浴びながら
グルーミングを始め、長くここで暮らしているような
リラックスして、フラちゃんのグルーミングの話と被り
感慨を持って思い出していました。
おもわず、今の武蔵を生きててくれてありがとうと
抱きしめましたが、噛み付かれました。
そう、猫を被らない凶暴性を私には示します。
遊びが興に達するといきなり背中丸めて威嚇するような
姿勢を取りますね。
そしてゴロゴロ、スリスリ本当に見事な魅了のテクニックを持っている。
残念なのは、フラちゃんも忠太くんや、武蔵のように
生を謳歌出来、賢く愛を振りまき幸せになれるはずなのに
みんな愛される命なのに.....。
あの小さな体で忠太さんに精一杯の愛情を
示し、受けた事で幸せだったと思わなければ
切なくてたまりません。
きっと、先輩忠太くんが迎えに来て連れて行って
くれてます。
「もうちょっと、頑張って生きてれば良かったのに
あの忠太おじさん?面白かったのに.....。」
とでも、言いながら......。
長くなりごめんなさい。
忠太さんがどれだけ深い愛情の持ち主かが良くわかりました。
愛犬も愛猫と同じですね。お別れは辛いですけど、とても大切なメッセージを残し、逝きますね。
今は、感謝の気持ちでいっぱいです。
初めて動物を飼う。そこまで解って飼う人
は果たしてどこまでいるのでしょうか。
猫を被らない猫、忠太さんらしい表現ですね。
本当に忠太さんは生あるものに対していつも
真剣ですね。それが相手に伝わるのでしょう。