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ウィキリークス情報 / 「安倍晋三総理の意思決定の仕方は、身勝手です」

2015年08月01日 00時35分19秒 | 安倍某とそのお友達
amaちゃんだ @tokaiamada さんのツイートだ。

――第一次安倍内閣時に、日本のアメリカ大使館が作成した機密文書の中で、安倍晋三氏への評価として「身勝手な意思決定」をするという評価があることが、WikiLeaksへ漏洩したアメリカ国務省の文書から発見された
http://echo-news.net/japan/abe-one-man-style-was-criticized-in-1st-abe-cabinets-new-slate …〔20:56 - 2015年7月31日

第一印象通りだったわけだ。

ウィキリークスに漏洩された文書に関する

この記事には、

「『安倍晋三総理の意思決定は独善的』アメリカ大使館機密文書 飯島勲氏が主要な米国情報源の一人〜ウィキリークス漏洩公電から判明」

というタイトルが付せられていた。

☆ 記事URL:http://echo-news.net/japan/abe-one-man-style-was-criticized-in-1st-abe-cabinets-new-slate

日本のメディアについて、

――公電は「安倍総理個人の内在的論理の分析に欠けて」おり「私が総理ならこうするものをという(あたかも自分が政策決定者のような)記事が多い」と評している。――

という記述は、

心に留めておくべきかな、

と思った。

「内在的論理の分析」とは、

論評する相手の依って立つ論理(価値観)に従って、

相手の導き出した結論について是非を考えるという評価の仕方なのだろう。

これに対して、

日本のメディアは、

自分の依って立つ価値観に従って、

その相手を裁く

外在的論理による分析をしているというわけか。

これは、

日本のジャーナリズムにとって、

とても痛い批判なのかも。

要するに

日本のジャーナリストの批判ってのは、

批判される側の

政治家の論理に即さないで

上から目線であれこれ好き放題に論評しているだけって話だ。

これは、

批判する者の資質として、

とても残念な指摘をされたことになる。

真に優秀な批判とは、

相手の土俵に立たなければならないからだ。

自分の土俵で話しては駄目という、

良い見本、安倍某が提供してくれている。

国会で、

憲法学者が大勢、意見と言っている。

その意見に従うべきではないか

という質疑をなされたとき、

安倍某は、

こう答えた。

自分は、

珍しい難病にかかっている。

昔、役所が認めなかった薬を今、飲んでいるが、

とてもよく効く、

という話だ。

これなどは自分の土俵で勝負する典型だろう。

相手に沈黙を強いるだけなら、

この手の話し方でいい。

しかし、説得するとなったら、

自分の土俵に相手を引きずり込むべきではない。

そんなマナーさえ

日本のジャーナリズムは

身につけていない

ということを見抜かれていたってことになる。

ちょっと眩暈を起こしそうな現状だ。

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