pekopon(脱原発に一票・無党派)@kamifuusen7161さんのツイート。
――返信先: @nauchan0626さん
以前にアベ首相が、特攻隊を 世界記憶遺産に登録申請したが、世界から批判を浴び断念したらしい。当たり前だ。一体アベの頭の中はどうなってるんだと呆れるばかり。アベ内閣には侵略戦争を賛美する非常識な人間が多すぎる。改憲など以ての外だ。〔10:39 - 2018年8月15日 〕――
思うに、特攻隊より、
もっと本気で
世界記憶遺産に登録申請したかったのは、
慰安婦ではないか。
恐らく、この推測、図星だと思う。
本心を言えない愛の関係の
極北は、
慰安婦だろうからだ。
「特攻隊」と「慰安婦」の組み合わせは、
軍令部から見て
二つで一つのごとくではなかったのか。
学徒出陣で
若い兵士を死地に追いやる前夜、
女を抱かせて、
「これでお前も一人前」儀式をやらせ、
その勢いで
自爆戦術を取らせたんじゃないか。
また、
それが粗野な軍令部の「美意識」に合致した。
すなわち、彼らは、
愛らしい者に沈黙を強いる
ナルシズムな(強姦の)関係に耽溺していた。
その醜悪さに
未だ気づいていないのが安倍ら、ネトウヨたちだ。
ところで、
慰安婦については朝日のねつ造と言いながら、
特攻隊は、
世界記憶遺産に登録申請っていう
扱いの違いは、
「竹中平蔵は大嫌いなのに、「竹中先生は愛国者」とほめたたえる同類の安倍晋三は大好き」
(適菜収。bot。(問題は右でも左でもなく下である)@tekina_osamuさんのツイート〔23:01 - 2018年8月15日 〕参照 )
というネトウヨたちの嗜好を彷彿とさせるな。
慰安婦と特攻隊に関する
扱いの違いは、
前者が戦後、賠償を口にすることで脚光を浴びたのに対して、
後者の
特攻隊については、
マフラーを靡かせながら、
彼らの出撃するときに見せる笑顔が未だにかっこよかったりするために
生じるのじゃないだろうか。
しかし、それってな、考えて見れば、
特攻隊の場合は、
「死人に口なし」って事情があることを忘れちゃいけないよ。
実際、生還することは想定外の事情だったので、
もし、生きて帰れば、
リンチと言ってよい凄惨な口封じ処分が待っていた
(「靖国は、特攻からの生還を許さない ~ 福岡市の振武寮」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/043d68b3da6950d4c78e10fa767caf36
適菜収さんがツイートされる通り、
国が民営化されて
パソナに払い下げられて(!)から安倍を怒っても遅いように、
赤紙が来てから志願を疑っても手遅れだ。
今、しっかり事実を見極めて批判すべきは批判することが肝心だと思う
ちなみに、適菜収さんの予想は、
半ば実現し出しているのじゃないかな
(同氏のツイート〔23:06 - 2018年8月15日 〕参照)。
〔資料〕
「本音言えば「半殺しに遭う」 特攻隊志願、事実上の強制」
神戸新聞NEXT(8/14(火) 11:00配信 )
☆ 記事URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00000007-kobenext-l28
その日は、楽しい一日になるはずだった。1945(昭和20)年2月8日。艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。
しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」
爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦から始まった。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊も特攻隊に組み入れられることになった。
紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。その場は重苦しい雰囲気に包まれた。
当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。
午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と語り合った。
「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」
◇
2日後、選ばれた者が発表された。桑原さんの名前もあった。頭の中が真っ白になった。家庭の事情に配慮してくれるという淡い期待は裏切られ、大きな足で踏みつぶされたような圧迫感を覚えた。
予科練の同期18人の中で選ばれたのは7人と記憶している。名前を呼ばれたのは操縦技術の優れた順だった。桑原さんは4番目だったという。
燃料が足りないため、航空機には選ばれた者しか乗れず、宿舎も別になった。指名されなかった者はほっとする一方、肩身が狭い。彼らの複雑な心境をその視線から感じた。
離着陸、編隊飛行、降下。これまでしてきた訓練の中に変化もあった。降下爆撃なら、一定の高さまで降りたら操縦桿を引いて上昇するが、特攻の場合はそのまま突っ込む。
「大地がぐっと迫ってくるのに、引いちゃいけないんだ、という緊迫感があった。『死』を完成させるため。これは大変なことだ、と思った」
■ ■
73年前、鶉野飛行場で訓練した姫路海軍航空隊から神風特別攻撃隊「白鷺隊」として出撃した63人が命を落とした。1・2キロの滑走路が伸び、防空壕や機銃座が残る同飛行場跡を平和学習や観光などに活用しようと、市は整備を進める。生き残った元隊員や住民の記憶をたどり、隊員たちの素顔に迫る。(森 信弘)
――返信先: @nauchan0626さん
以前にアベ首相が、特攻隊を 世界記憶遺産に登録申請したが、世界から批判を浴び断念したらしい。当たり前だ。一体アベの頭の中はどうなってるんだと呆れるばかり。アベ内閣には侵略戦争を賛美する非常識な人間が多すぎる。改憲など以ての外だ。〔10:39 - 2018年8月15日 〕――
思うに、特攻隊より、
もっと本気で
世界記憶遺産に登録申請したかったのは、
慰安婦ではないか。
恐らく、この推測、図星だと思う。
本心を言えない愛の関係の
極北は、
慰安婦だろうからだ。
「特攻隊」と「慰安婦」の組み合わせは、
軍令部から見て
二つで一つのごとくではなかったのか。
学徒出陣で
若い兵士を死地に追いやる前夜、
女を抱かせて、
「これでお前も一人前」儀式をやらせ、
その勢いで
自爆戦術を取らせたんじゃないか。
また、
それが粗野な軍令部の「美意識」に合致した。
すなわち、彼らは、
愛らしい者に沈黙を強いる
ナルシズムな(強姦の)関係に耽溺していた。
その醜悪さに
未だ気づいていないのが安倍ら、ネトウヨたちだ。
ところで、
慰安婦については朝日のねつ造と言いながら、
特攻隊は、
世界記憶遺産に登録申請っていう
扱いの違いは、
「竹中平蔵は大嫌いなのに、「竹中先生は愛国者」とほめたたえる同類の安倍晋三は大好き」
(適菜収。bot。(問題は右でも左でもなく下である)@tekina_osamuさんのツイート〔23:01 - 2018年8月15日 〕参照 )
というネトウヨたちの嗜好を彷彿とさせるな。
慰安婦と特攻隊に関する
扱いの違いは、
前者が戦後、賠償を口にすることで脚光を浴びたのに対して、
後者の
特攻隊については、
マフラーを靡かせながら、
彼らの出撃するときに見せる笑顔が未だにかっこよかったりするために
生じるのじゃないだろうか。
しかし、それってな、考えて見れば、
特攻隊の場合は、
「死人に口なし」って事情があることを忘れちゃいけないよ。
実際、生還することは想定外の事情だったので、
もし、生きて帰れば、
リンチと言ってよい凄惨な口封じ処分が待っていた
(「靖国は、特攻からの生還を許さない ~ 福岡市の振武寮」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/043d68b3da6950d4c78e10fa767caf36
適菜収さんがツイートされる通り、
国が民営化されて
パソナに払い下げられて(!)から安倍を怒っても遅いように、
赤紙が来てから志願を疑っても手遅れだ。
今、しっかり事実を見極めて批判すべきは批判することが肝心だと思う
ちなみに、適菜収さんの予想は、
半ば実現し出しているのじゃないかな
(同氏のツイート〔23:06 - 2018年8月15日 〕参照)。
〔資料〕
「本音言えば「半殺しに遭う」 特攻隊志願、事実上の強制」
神戸新聞NEXT(8/14(火) 11:00配信 )
☆ 記事URL:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180814-00000007-kobenext-l28
その日は、楽しい一日になるはずだった。1945(昭和20)年2月8日。艦上攻撃機のパイロットを養成する姫路海軍航空隊として鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)で訓練を受けていた桑原敬一さん(92)=横浜市=らは、休日で外出できるとあって朝からはしゃいでいた。
しかし突然、集合が掛かり、上官から告げられる。「特攻隊を編成することになった」
爆弾を抱えた航空機で敵艦に体当たりをする「特攻」は、44年10月のフィリピン・レイテ沖海戦から始まった。日本軍の航空機と搭乗員が減る中、練習航空隊も特攻隊に組み入れられることになった。
紙切れと封筒を渡され、希望するかしないか、誰にも相談せずに書いて出せという。その場は重苦しい雰囲気に包まれた。
当時、18歳だった。岩手県にいる母と姉、4人の妹や弟のことが気になった。一番下の弟とは12歳離れていた。2カ月ほど前に父が亡くなったばかり。体が弱い母と姉が働き、桑原さんは仕送りを続けていた。白紙で出そうかとも迷ったが「命令のままに」と書き、封筒に入れて出した。
午後から、海軍飛行予科練習生(予科練)からの同期生で酒でも飲んで気分を変えようと、北条の町(加西市中心部)に繰り出した。「何て書いた?」。自然とそんな話になる。白紙や「希望しない」という者はいない。「半殺しに遭うもんな」と語り合った。
「建前社会の軍隊では本音が言えず、事実上の強制だった」
◇
2日後、選ばれた者が発表された。桑原さんの名前もあった。頭の中が真っ白になった。家庭の事情に配慮してくれるという淡い期待は裏切られ、大きな足で踏みつぶされたような圧迫感を覚えた。
予科練の同期18人の中で選ばれたのは7人と記憶している。名前を呼ばれたのは操縦技術の優れた順だった。桑原さんは4番目だったという。
燃料が足りないため、航空機には選ばれた者しか乗れず、宿舎も別になった。指名されなかった者はほっとする一方、肩身が狭い。彼らの複雑な心境をその視線から感じた。
離着陸、編隊飛行、降下。これまでしてきた訓練の中に変化もあった。降下爆撃なら、一定の高さまで降りたら操縦桿を引いて上昇するが、特攻の場合はそのまま突っ込む。
「大地がぐっと迫ってくるのに、引いちゃいけないんだ、という緊迫感があった。『死』を完成させるため。これは大変なことだ、と思った」
■ ■
73年前、鶉野飛行場で訓練した姫路海軍航空隊から神風特別攻撃隊「白鷺隊」として出撃した63人が命を落とした。1・2キロの滑走路が伸び、防空壕や機銃座が残る同飛行場跡を平和学習や観光などに活用しようと、市は整備を進める。生き残った元隊員や住民の記憶をたどり、隊員たちの素顔に迫る。(森 信弘)
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