高 史明(TAKA, Fumiaki) @Fumiaki_Taka さんのツイートだ。
――「いじめで自殺するぐらいだったら、相手を殺す気で反撃すればおさまるよ」なんて軽々しく助言する人いるけどさあ、殺す気とかどうとか以前に他人を殴ることがどうしてもできない子どもがいて、そういう子どもだから狙われることがあるんだってことも理解しようよ…。〔11:55 - 2015年4月7日 〕――
その他、責任感が強いために狙われるってケースなど、
要するに、
苛められる側は、
人間的に若くして円熟しているのだな。
喧嘩が弱いから苛められる
というのは、
むしろ、事例として少ないのではないかとも思う。
他方、苛める側は、
“自分の方が強い”
という高揚感に浸りたいという
飢えに近い感情に駆り立てられ苛めに走る場合がほとんどだろう。
この歯車の食い違いは、
人それぞれ思考の完結の仕方である「環」に対する
理解不足に原因するのではないか、
と思う。
この考え方が
馴染めない人は、
下のフラクタルな動画を見て欲しい。
考え方のパターンは、
こんな環をなしている。
その環に違いがあるため見方が変わる。
たとえば、
基本となる事実関係は、
「AがBに襲われた」
ということだったということにしよう。
しかし、別のある人は、
「Bが転んだとき、たまたま近くにAがいた」、
また、別の人には
「BがAに殴り掛かった。しかし、殴り損なって転倒した」
と思えるかもしれない。
しかし、肝心なのは、
話を聞く多数が
事実関係の要点をどう理解し、記憶するかだ。
これは、事実はどうあれ、
多数者の考え方の環に関係する。
都合がいい
ということも影響するかもしれない。
しかし、それを意識しえることは稀だろう。
結果として
「AがBを転倒させた」と記憶されたとする。
となると、
乱暴者はAであり、
Aを痛めつけるのが正しいという
伝説ができあがる。
Aは、
かくして私刑(リンチ)の対象として苛められっ子の認定を受けるわけだ。
一度、伝説が出来上がると、
それに合うように
体験が積み重ねられる。
こんな話は、
ざらにあると思う。
また、自分の記憶が正しかったかどうかなど
一々反省しないものだから、
人を殴ることに抵抗感があるから暴力を振るわないとか、
責任感が強いためとかいった事情は、
些末なこととして
全て切り捨てられる。
乱暴者だったか否かなど、
結果として、
事実と無関係に矮小化されて記憶される。
思えば、キリストなどは、
典型的な苛められっ子ではないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/49/4d3d17da2d0cba9fe726e2f0e4df8b53.jpg)
典拠:tojo@tojo__ さんのツイート〔3:33 - 2015年4月4日 〕
苛められ、獄に繫がれた挙句に
罪に問われたのは、
「人類のために罪を背負うとした傲慢さ」だ。
大なり、小なり、
苛められっ子との類似性があるんじゃないか。
坂東ぎょにく@gyonikunet さんがこんなこと言っていた。
――世界地図だと我が国は辺境の島国だし我々辺境の民はもう少し土人らしく生きたい。。よく雑誌とかで南洋の土人の笑顔はきれいだと言てるじゃん。。。土人の小学生は自殺を考えないらしいよ。〔12:44 - 2015年4月9日 〕――
文明の証って、
苛めのないことだと思う。
となると、
世界の文明国は、
自殺もなく、苛めのない土人の世界にこそ
あるのかもしれない。
その世界では、
どんな環が支配的なんだろうな。
<追記>
高 史明(TAKA, Fumiaki) @Fumiaki_Taka さんの次のツイート、
何だか可笑しかった。
――「いじめられてもどうしても殴り返せない(殴り返したくない)子どもがいる」ってツイートしたら「憲法9条が悪い」ってリプライが飛んできて、殴りたくなりました。〔13:36 - 2015年4月8日 〕――
――「いじめで自殺するぐらいだったら、相手を殺す気で反撃すればおさまるよ」なんて軽々しく助言する人いるけどさあ、殺す気とかどうとか以前に他人を殴ることがどうしてもできない子どもがいて、そういう子どもだから狙われることがあるんだってことも理解しようよ…。〔11:55 - 2015年4月7日 〕――
その他、責任感が強いために狙われるってケースなど、
要するに、
苛められる側は、
人間的に若くして円熟しているのだな。
喧嘩が弱いから苛められる
というのは、
むしろ、事例として少ないのではないかとも思う。
他方、苛める側は、
“自分の方が強い”
という高揚感に浸りたいという
飢えに近い感情に駆り立てられ苛めに走る場合がほとんどだろう。
この歯車の食い違いは、
人それぞれ思考の完結の仕方である「環」に対する
理解不足に原因するのではないか、
と思う。
この考え方が
馴染めない人は、
下のフラクタルな動画を見て欲しい。
考え方のパターンは、
こんな環をなしている。
その環に違いがあるため見方が変わる。
たとえば、
基本となる事実関係は、
「AがBに襲われた」
ということだったということにしよう。
しかし、別のある人は、
「Bが転んだとき、たまたま近くにAがいた」、
また、別の人には
「BがAに殴り掛かった。しかし、殴り損なって転倒した」
と思えるかもしれない。
しかし、肝心なのは、
話を聞く多数が
事実関係の要点をどう理解し、記憶するかだ。
これは、事実はどうあれ、
多数者の考え方の環に関係する。
都合がいい
ということも影響するかもしれない。
しかし、それを意識しえることは稀だろう。
結果として
「AがBを転倒させた」と記憶されたとする。
となると、
乱暴者はAであり、
Aを痛めつけるのが正しいという
伝説ができあがる。
Aは、
かくして私刑(リンチ)の対象として苛められっ子の認定を受けるわけだ。
一度、伝説が出来上がると、
それに合うように
体験が積み重ねられる。
こんな話は、
ざらにあると思う。
また、自分の記憶が正しかったかどうかなど
一々反省しないものだから、
人を殴ることに抵抗感があるから暴力を振るわないとか、
責任感が強いためとかいった事情は、
些末なこととして
全て切り捨てられる。
乱暴者だったか否かなど、
結果として、
事実と無関係に矮小化されて記憶される。
思えば、キリストなどは、
典型的な苛められっ子ではないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/49/4d3d17da2d0cba9fe726e2f0e4df8b53.jpg)
典拠:tojo@tojo__ さんのツイート〔3:33 - 2015年4月4日 〕
苛められ、獄に繫がれた挙句に
罪に問われたのは、
「人類のために罪を背負うとした傲慢さ」だ。
大なり、小なり、
苛められっ子との類似性があるんじゃないか。
坂東ぎょにく@gyonikunet さんがこんなこと言っていた。
――世界地図だと我が国は辺境の島国だし我々辺境の民はもう少し土人らしく生きたい。。よく雑誌とかで南洋の土人の笑顔はきれいだと言てるじゃん。。。土人の小学生は自殺を考えないらしいよ。〔12:44 - 2015年4月9日 〕――
文明の証って、
苛めのないことだと思う。
となると、
世界の文明国は、
自殺もなく、苛めのない土人の世界にこそ
あるのかもしれない。
その世界では、
どんな環が支配的なんだろうな。
<追記>
高 史明(TAKA, Fumiaki) @Fumiaki_Taka さんの次のツイート、
何だか可笑しかった。
――「いじめられてもどうしても殴り返せない(殴り返したくない)子どもがいる」ってツイートしたら「憲法9条が悪い」ってリプライが飛んできて、殴りたくなりました。〔13:36 - 2015年4月8日 〕――
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