何十年か前、友達が言っていた。
「自分を褒めてやりたいよ」
その君、奥さんのことで苦しんでいた・・・
同じ言葉、有森裕子さんが言っていた。
(おんなじや、おんなじや、僕の友達とおんなじや!)
さて、この自分で自分を誉めるという行為
ナルシズム的な発想と受け取ってしまう。
非難しようとして言っているのじゃない。誰も誉めてくれそうにないから、
自分で言うという、一種の諦念がこの言葉の底にある。
そこに限りない共感を感じる。
しかし、僕には口に出来ない言葉、と考えてしまう。
何故だろう?
とことん自己愛と無縁だからかもしれない。
ぐれさんのコメントに関して
あらためて、本文にも記しておく。
僕も年老いたとき、わがまま爺さんになる気がする、ということ。
自分を愛するのが下手だと、年老いても苦労するよ、全く・・・
元気なうち、まだマラソンのような人生を走り抜ける前に
ちょっと立ち止まって、自分に向かって言ってみよう。
「ようがんばってるやん、偉い、偉い」と。
「自分を褒めてやりたいよ」
その君、奥さんのことで苦しんでいた・・・
同じ言葉、有森裕子さんが言っていた。
(おんなじや、おんなじや、僕の友達とおんなじや!)
さて、この自分で自分を誉めるという行為
ナルシズム的な発想と受け取ってしまう。
非難しようとして言っているのじゃない。誰も誉めてくれそうにないから、
自分で言うという、一種の諦念がこの言葉の底にある。
そこに限りない共感を感じる。
しかし、僕には口に出来ない言葉、と考えてしまう。
何故だろう?
とことん自己愛と無縁だからかもしれない。
ぐれさんのコメントに関して
あらためて、本文にも記しておく。
僕も年老いたとき、わがまま爺さんになる気がする、ということ。
自分を愛するのが下手だと、年老いても苦労するよ、全く・・・
元気なうち、まだマラソンのような人生を走り抜ける前に
ちょっと立ち止まって、自分に向かって言ってみよう。
「ようがんばってるやん、偉い、偉い」と。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます