昔々のずっと昔、
寿命がうんと短かった頃、
「子どもより親」
の価値観だったろう。
たとえば、
古代…
子どもまで
権力を委譲できるか
心もとないので
考え方が
刹那的だったろうと思う。
時代が下って、
「親=子」
という等式が
成立する。
それまでは、
自己の権力維持が
精一杯なので、
「親 or 子」
の発想しかできない。
それが
戦国時代までの
普通の人間観だったと思う。
なぜ、こんなこと
言い出したかと言うと、
為政者と被治者の関係は、
案外に
親と子の関係に
なぞらえられるからだ。
民主主義は、
「為政者=被治者」の
関係性がないと成立しない。
安倍某を
見ていると、
「為政者 or 被治者」で
物を考えているのではないかと思う。
自分が
何もかもやるから
「大丈夫!」
だと安全保障を
押し付ける発想なのだ。
信用する人はいる。
しかし、
失敗したとき、
二度と
信頼を寄せてもらえない。
それが問題だ。
独裁でない、
民主制の優れているところは、
「信頼して欲しい」
という口の変更性ではないかと思う。
寿命がうんと短かった頃、
「子どもより親」
の価値観だったろう。
たとえば、
古代…
子どもまで
権力を委譲できるか
心もとないので
考え方が
刹那的だったろうと思う。
時代が下って、
「親=子」
という等式が
成立する。
それまでは、
自己の権力維持が
精一杯なので、
「親 or 子」
の発想しかできない。
それが
戦国時代までの
普通の人間観だったと思う。
なぜ、こんなこと
言い出したかと言うと、
為政者と被治者の関係は、
案外に
親と子の関係に
なぞらえられるからだ。
民主主義は、
「為政者=被治者」の
関係性がないと成立しない。
安倍某を
見ていると、
「為政者 or 被治者」で
物を考えているのではないかと思う。
自分が
何もかもやるから
「大丈夫!」
だと安全保障を
押し付ける発想なのだ。
信用する人はいる。
しかし、
失敗したとき、
二度と
信頼を寄せてもらえない。
それが問題だ。
独裁でない、
民主制の優れているところは、
「信頼して欲しい」
という口の変更性ではないかと思う。
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