のんきに介護

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9月4日(月)のつぶやき

2017年09月05日 06時15分29秒 | ツイッタ―

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3 コメント

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原爆 (こころ)
2017-09-05 10:54:40
広島原爆:「背中のガラス、抜いてくれ」惨状語り反戦訴え


 焼けただれた父の背中には無数のガラスが刺さっていた。「正樹、抜いてくれ」。5歳の私は素手で、ペンチで懸命に抜こうとしたが、抜けなかった--。2年前解散した広島県福山市原爆被害者の会で会長を務めた広中正樹さん(77)=福山市手城町2=の講演会が先月、同市鞆町鞆、鞆の津ミュージアムで開かれた。広中さんは「今にも戦争が起きそうなことが言われているが、戦争は互いにみじめな思いをする。絶対になくさないといけない」と訴えた。【松井勇人】 広中さんは5歳の時、爆心地から約3.5キロの広島市己斐(こい)町(現・西区)にある自宅近くを流れる小川で遊んでいて被爆した。
 ◇記憶を絵筆で 勤めていた会社の定年後に絵筆を執り、原爆投下後に見た広島市内の光景や、父母の実家があった福山に避難した後の生活を描いた。小中学校などで紙芝居のように見せながら体験を伝えてきた。
 父の一(はじめ)さん(当時37歳)は通勤中の電車内で被爆したという。広中さんは講演で、被爆した時、中心部から逃げてくる人たちの顔をのぞき込んだり、声をかけたりして父を探し歩いた記憶を時折、声を詰まらせながら語った。
 帰宅後、入れ違いに帰っていた父と再会したこと、赤くただれた父の背中のこと、そこに刺さったガラスを抜けなかったこと、やがて父が苦しみはじめ母から何度呼ばれても父の枕元へ行くことができず、ついにみとれずに泣きくれたこと-。「父のそばにいたら何か言ってくれたのではないか。72年経っても涙が出る。光景が目に焼き付いて忘れられない」と振り返った。
 ◇次世代に期待 被害者の会を2015年3月に解散した後は、広島、福山市を中心に「被爆を語り継ぐ会」での語り部活動に力を入れている。「私が被爆時の話ができる最も若い世代。国内や外国の中高生に伝え、彼らが対話を続けることで戦争も原発もない、より良い世界に進むのではないか」。広島市の被爆体験伝承者養成事業や高校生平和大使に期待し、講演を結んだ。
 参加した尾道市向東町の津口めり子さん(66)は「静かな語り口の中にも、焼き付いた体験が染み渡るように実感できた」と話した。
 講演会は、鞆の津ミュージアムが被爆者や高校生らが制作した「原爆の絵」やオブジェ、CG(コンピューター・グラフィックス)などを集めた企画展の一環として開いた。
毎日新聞9月5日 10時06分

http://hl.auone.jp/article/detail?genreid=4&subgenreid=12&articleid=KTT201709051195&rf=passtop_%E5%9B%BD%E5%86%85
安部はこの様な犠牲者が出る事を再び望む、前代未聞の人擬き。
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Unknown (和室ファンド(99%庶民へ再分配・無添加ジャムサンド))
2017-09-05 13:05:25
⚫ 都民ファーストの正体は軍国カルトです。国民は犬死に

⚫ NHK と北朝鮮、アベはグルですね。

⚫ 少しもったいない気もしますが、、鶴の唐揚げ、、美味しそうですね。

⚫ こころさんも原爆に関してコメントされてますが、日本は被曝国でありながら、世界の公の場で高校生平和大使がスピーチできない。その後も情報の発信を制限されている。来年の大使のこともあり、発言を控えざるを得ない。
なんなんだこの国は
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大金持ちしか今の世の中を… (cooooookun)
2017-09-06 18:58:31
進化を求める人は血筋とか、社会の常識を信じない人です。

よりよい社会を願うなら
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