靖国参拝に
ネトウヨが言うような意義はないと思う。
すなわち、
あのイベントには、
愛国心の迸(ほとばし)るような情熱が欠けている。
なぜ、
そう言えるかというと、
デメリットがあまりにも大きいからだ。
北海道新聞が
適切にも次のように述べている。
曰く、靖国神社は先の戦争を肯定、美化する歴史観を持ち、東京裁判のA級戦犯を合祀(ごうし)している。 政府の指導的立場にある閣僚の参拝は、侵略戦争の肯定と受け止められても仕方がない。憲法の政教分離原則にも抵触しかねない 云々。
☆ 記事URL:http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/569399.html
中韓との関係がぎくしゃくするのが見えていて、
しかし、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相が昨日、
秋の例大祭に合わせて靖国神社を参拝した。
彼女らは、
何を考えて参拝するのだろうか――。
北海道新聞は、
「自らの利益を優先して国益を損ね」る行為だと指摘する。
すなわち、国益を損ねる覚悟で、
あえて参拝するのは、
「支持基盤である国内保守層への配慮」からとの
説明が同紙にある。
思うに、
「国内保守層」とは、
より正確には「官僚」を指すと言うべきだろう。
無能な
政権が頼りにしているのは、
「官僚」と呼ばれる
国家運営の一群のスペシャリスト達だ。
政治家たちは、
「縦割り」行政の中で身の安全を保つには、
彼らに依存するのが一番と考えているのではないか。
つまり、官僚への
「お任せ政治」である限りは、
辞任しなく済む
という計算をしているという風に思える。
現に、
小渕経済産業省大臣が
ずぶずぶの電力議員である民主党「近藤洋介」氏に
追い詰められ、
辞任させられるのは
官僚のご機嫌を損ねたからに相違ない
(拙稿「なぜか廃炉判断に熱心な小渕経産相 ~ スキャンダルの向こう側の顔」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/c00bad073eeb0802aec99a925ea866a0)。
けだし、
政治家として良心的な注文を
打ち出せば、
後で「ご迷惑」を詫びなければならなくなるのだ、この日本では。
それを避け、
政権を温存するとなると、
ナショナリズムを煽るのが手っ取り早い。
そうして無責任に
諸外国との緊張さえ煽っておけば、
「右翼」
という体制保持のエールを
官僚に送ったことになるという寸法だ。
そこが狙い目ってわけだな。
「ほれ、御覧なさい! 私って、こんなにお馬鹿さん。
官僚丸投げの仕事しかしませんよ」
というラブ・サインを官僚に送ってさえ置けば、
身の安全が100%保障されるのだ。
米国が気付いたのだ、
そのような支配システムが日本人に相応しい、と。
米国からすれば、
組閣の度、その度に
政権の座につく政治家の資質を考える手間があるより、
むしろ、日本の官僚を通して
「こうして欲しい、ああして欲しい」
というメッセージを送りさえすれば日本を思い通り動かせるというのなら、
その方が効率的でもあるし、
歓迎し得るわけだ、
なるほど――。
そういう実際的に靖国参拝の有する
意義からすると、
あれは、
「無能の誓い」
というのが正確というべきだ。
「女性が輝く」
ということを看板にして、
新閣僚の
4名が女性だったのも、
「誓い」が
似合うという女性‟らしさ”を利用したつもりの
安倍某の下心が
あってこそなんだろう。
しかし、我々、国民が必要としている
誓いは、
平和外交を成し遂げる
「賢明な道に向かう誓い」なのだ。
‟靖国参拝”という、
閣僚の
官僚への忠実度を測る物差しを破棄して、
一刻も早く
「新たな戦没者追悼」のあり方につき、
国民レベルでの
合意に達することが肝心だ。
ネトウヨが言うような意義はないと思う。
すなわち、
あのイベントには、
愛国心の迸(ほとばし)るような情熱が欠けている。
なぜ、
そう言えるかというと、
デメリットがあまりにも大きいからだ。
北海道新聞が
適切にも次のように述べている。
曰く、靖国神社は先の戦争を肯定、美化する歴史観を持ち、東京裁判のA級戦犯を合祀(ごうし)している。 政府の指導的立場にある閣僚の参拝は、侵略戦争の肯定と受け止められても仕方がない。憲法の政教分離原則にも抵触しかねない 云々。
☆ 記事URL:http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/569399.html
中韓との関係がぎくしゃくするのが見えていて、
しかし、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相が昨日、
秋の例大祭に合わせて靖国神社を参拝した。
彼女らは、
何を考えて参拝するのだろうか――。
北海道新聞は、
「自らの利益を優先して国益を損ね」る行為だと指摘する。
すなわち、国益を損ねる覚悟で、
あえて参拝するのは、
「支持基盤である国内保守層への配慮」からとの
説明が同紙にある。
思うに、
「国内保守層」とは、
より正確には「官僚」を指すと言うべきだろう。
無能な
政権が頼りにしているのは、
「官僚」と呼ばれる
国家運営の一群のスペシャリスト達だ。
政治家たちは、
「縦割り」行政の中で身の安全を保つには、
彼らに依存するのが一番と考えているのではないか。
つまり、官僚への
「お任せ政治」である限りは、
辞任しなく済む
という計算をしているという風に思える。
現に、
小渕経済産業省大臣が
ずぶずぶの電力議員である民主党「近藤洋介」氏に
追い詰められ、
辞任させられるのは
官僚のご機嫌を損ねたからに相違ない
(拙稿「なぜか廃炉判断に熱心な小渕経産相 ~ スキャンダルの向こう側の顔」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/c00bad073eeb0802aec99a925ea866a0)。
けだし、
政治家として良心的な注文を
打ち出せば、
後で「ご迷惑」を詫びなければならなくなるのだ、この日本では。
それを避け、
政権を温存するとなると、
ナショナリズムを煽るのが手っ取り早い。
そうして無責任に
諸外国との緊張さえ煽っておけば、
「右翼」
という体制保持のエールを
官僚に送ったことになるという寸法だ。
そこが狙い目ってわけだな。
「ほれ、御覧なさい! 私って、こんなにお馬鹿さん。
官僚丸投げの仕事しかしませんよ」
というラブ・サインを官僚に送ってさえ置けば、
身の安全が100%保障されるのだ。
米国が気付いたのだ、
そのような支配システムが日本人に相応しい、と。
米国からすれば、
組閣の度、その度に
政権の座につく政治家の資質を考える手間があるより、
むしろ、日本の官僚を通して
「こうして欲しい、ああして欲しい」
というメッセージを送りさえすれば日本を思い通り動かせるというのなら、
その方が効率的でもあるし、
歓迎し得るわけだ、
なるほど――。
そういう実際的に靖国参拝の有する
意義からすると、
あれは、
「無能の誓い」
というのが正確というべきだ。
「女性が輝く」
ということを看板にして、
新閣僚の
4名が女性だったのも、
「誓い」が
似合うという女性‟らしさ”を利用したつもりの
安倍某の下心が
あってこそなんだろう。
しかし、我々、国民が必要としている
誓いは、
平和外交を成し遂げる
「賢明な道に向かう誓い」なのだ。
‟靖国参拝”という、
閣僚の
官僚への忠実度を測る物差しを破棄して、
一刻も早く
「新たな戦没者追悼」のあり方につき、
国民レベルでの
合意に達することが肝心だ。
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