宅嶋さんの略歴。
1921(大正10)年3月20日生。福岡県出身。
1943(昭和18)年9月、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。
1943年9月、海軍予備学生として三重航空隊に入隊
1945年4月9日、金華山沖にて飛行訓練中殉職。海軍少尉。24歳
<日記>
〔6月11日(日曜日)晴れ、外出(朝食後)〕
…
父宛に君のことを許してもらうため手紙を書いた。何と返信してくれるだろうか。どのような返信が来るか、俺は待っている。
もちろん再び生還を期せざる今の俺に、君が来たいという気持は本当の愛情ゆえにか。俺が還らざる日あれども、君は俺の魂を守り続ける墓守りたりうるか。俺は楽しかるべきただ一度の現生の生活を。そのような形で終わらせたくない。冷静な現実的判断は君にそのように囁かないか。…
――***――***――
恋人の気持ちを訝る内容です。
しかし、懊悩はそう長く続きません。
2日後には、
お別れの手紙を送られたようです。
日記に次のような記録が残っています。
「はっきり言う。俺は君を愛した。そして、今も愛してる。しかし、俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った」と。
どんなの大切なものかと言うと、
「優しい乙女の住む国」
だそうです。
それを見つけた感動が
こんな風に記されています。
「俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺たちに頭を下げてくれるいじらしさに、強く胸を打たれるのである。もしそれが、君に対する愛よりも遥かに強いものというのなら、君は怒るだろうか。否々、決して君は怒らないだろう。そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。本当にあのようなかわいい子らのためなら、生命も決して惜しくない」とある。
この文章に接して、
本気か嘘か、
計りかねました。
ブログを書いている今も、
正直言って
(よく分からんな)と考えながら、
文章を引き写しています。
「特攻」
として出撃する運命を予感して見た幻想ではないか
という気がします。
上の文章に続いて、
宅嶋さんが解説されます。
「自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けて行かねば、生きて行けないことも、君にはわかるだろう。俺の心にあるこの宝を持って、俺は死にたい。なぜならば、一番それが俺にとって好ましいことであるからだ。俺は確信する。俺にとって、否俺たちのとって、死は疑いもなく身近の事実である。俺たちの生命は、世界の動きに続いている。
俺はどのような社会も、人意をもって動かすことができる、流動体と考えてきた。
しかし、そうではなさそうである。ことにこの国では社会の変化は、むしろ、宿命観によって支配されている不自由な制約の下にあるものらしい。
俺も――平凡な大衆の一人たる俺も、当然その制約下に従わねばならなかった」。
この後、
6月30日の日記に
強烈な恋人への思慕の念が
次のように書き出されています。
「八重子(恋人の名前)、極めて孤独な魂を暖めてくれ。俺は君にことを考えると心が明るくなる。そして寂しさを失うことができる。それで良いのだ。君のすべてを独占しようとするのは悪い夢だ。君には君の幸福がきっと待っている。俺は俺の運命、否俺たちの運命を知っている。俺たちの運命は一つの悲劇であった。しかし、俺たちの悲劇に対してそれほど悲観もしていないし、寂しがってもいない。俺たちの寂しさは祖国に向けられた寂しさだ。たとえどのように見苦しくあがいても、俺たちの宿命を離れることができない。(しかし、俺は宿命論者ではない。)
…
ふたたび言う。俺たちは冷酷な一つの意志に支配されて運命の彼岸へ到着する日を待たねばならない。俺はそして最後の誇りを失わない。実に燃え上がる情熱と希望と夢とを最後まで失わない。俺は理解されなかったかもしれない。父が言ったように、俺は変人だったかもしれない。ただ俺が君やみんなに対して示した優しさのみしかもたぬ奴だとは考えないでくれるよう。俺のただ一つの理想に対して、俺の心は不断に燃えていることを記憶してくれ。
唯一つの理想――それは自由に対するものである。
俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人。」
とても感動的な詩です。
逃げればよかったのに、と思いますけど
無理だったのでしょうね。
「宿命と自由」
というテーマを追い求められた生涯でした。
この人はきっと、
「優しい乙女の住む国」
日本に
相応しいように自由を残そうとして
死を選ばれたのでしょう。
7月18日の日記に
「八重子」
と題して、日本の敗戦を予想したかのような、
次のような言葉を残されています。
「… 日本はいずこへ行くのか、猪突猛進的な野猪の態度より、狡猾な狐とならんとするのではなかろうか。現実において、大義よりも存続が必要であり、おそらくこれからは、複雑な外交上の日に夜をついで開始されるのであろう。もしそうであるなら、ああわれわれはいずこへ、何のために戦うのか、その目的すら失わなければならない。
目前に迫った大義のための散華〔戦死を美化した言葉。発音は「さんげ」〕は、俺にとって少しも苦痛ではない。俺にとって最も苦痛なのは、愛すべき君たちの将来である。 …」
安倍某を見ていると、
「狡猾な狐」という表現はぴったりです。
売国奴が作る日本の景色を
よく見ていると思って感心しました。
死期の迫った人間は、
感覚が
冴えわたるのですね。
1921(大正10)年3月20日生。福岡県出身。
1943(昭和18)年9月、慶応義塾大学法学部政治学科卒業。
1943年9月、海軍予備学生として三重航空隊に入隊
1945年4月9日、金華山沖にて飛行訓練中殉職。海軍少尉。24歳
<日記>
〔6月11日(日曜日)晴れ、外出(朝食後)〕
…
父宛に君のことを許してもらうため手紙を書いた。何と返信してくれるだろうか。どのような返信が来るか、俺は待っている。
もちろん再び生還を期せざる今の俺に、君が来たいという気持は本当の愛情ゆえにか。俺が還らざる日あれども、君は俺の魂を守り続ける墓守りたりうるか。俺は楽しかるべきただ一度の現生の生活を。そのような形で終わらせたくない。冷静な現実的判断は君にそのように囁かないか。…
――***――***――
恋人の気持ちを訝る内容です。
しかし、懊悩はそう長く続きません。
2日後には、
お別れの手紙を送られたようです。
日記に次のような記録が残っています。
「はっきり言う。俺は君を愛した。そして、今も愛してる。しかし、俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った」と。
どんなの大切なものかと言うと、
「優しい乙女の住む国」
だそうです。
それを見つけた感動が
こんな風に記されています。
「俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、俺たちに頭を下げてくれるいじらしさに、強く胸を打たれるのである。もしそれが、君に対する愛よりも遥かに強いものというのなら、君は怒るだろうか。否々、決して君は怒らないだろう。そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。本当にあのようなかわいい子らのためなら、生命も決して惜しくない」とある。
この文章に接して、
本気か嘘か、
計りかねました。
ブログを書いている今も、
正直言って
(よく分からんな)と考えながら、
文章を引き写しています。
「特攻」
として出撃する運命を予感して見た幻想ではないか
という気がします。
上の文章に続いて、
宅嶋さんが解説されます。
「自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けて行かねば、生きて行けないことも、君にはわかるだろう。俺の心にあるこの宝を持って、俺は死にたい。なぜならば、一番それが俺にとって好ましいことであるからだ。俺は確信する。俺にとって、否俺たちのとって、死は疑いもなく身近の事実である。俺たちの生命は、世界の動きに続いている。
俺はどのような社会も、人意をもって動かすことができる、流動体と考えてきた。
しかし、そうではなさそうである。ことにこの国では社会の変化は、むしろ、宿命観によって支配されている不自由な制約の下にあるものらしい。
俺も――平凡な大衆の一人たる俺も、当然その制約下に従わねばならなかった」。
この後、
6月30日の日記に
強烈な恋人への思慕の念が
次のように書き出されています。
「八重子(恋人の名前)、極めて孤独な魂を暖めてくれ。俺は君にことを考えると心が明るくなる。そして寂しさを失うことができる。それで良いのだ。君のすべてを独占しようとするのは悪い夢だ。君には君の幸福がきっと待っている。俺は俺の運命、否俺たちの運命を知っている。俺たちの運命は一つの悲劇であった。しかし、俺たちの悲劇に対してそれほど悲観もしていないし、寂しがってもいない。俺たちの寂しさは祖国に向けられた寂しさだ。たとえどのように見苦しくあがいても、俺たちの宿命を離れることができない。(しかし、俺は宿命論者ではない。)
…
ふたたび言う。俺たちは冷酷な一つの意志に支配されて運命の彼岸へ到着する日を待たねばならない。俺はそして最後の誇りを失わない。実に燃え上がる情熱と希望と夢とを最後まで失わない。俺は理解されなかったかもしれない。父が言ったように、俺は変人だったかもしれない。ただ俺が君やみんなに対して示した優しさのみしかもたぬ奴だとは考えないでくれるよう。俺のただ一つの理想に対して、俺の心は不断に燃えていることを記憶してくれ。
唯一つの理想――それは自由に対するものである。
俺の言葉に泣いた奴が一人
俺を恨んでいる奴が一人
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人
みんな併せてたった一人。」
とても感動的な詩です。
逃げればよかったのに、と思いますけど
無理だったのでしょうね。
「宿命と自由」
というテーマを追い求められた生涯でした。
この人はきっと、
「優しい乙女の住む国」
日本に
相応しいように自由を残そうとして
死を選ばれたのでしょう。
7月18日の日記に
「八重子」
と題して、日本の敗戦を予想したかのような、
次のような言葉を残されています。
「… 日本はいずこへ行くのか、猪突猛進的な野猪の態度より、狡猾な狐とならんとするのではなかろうか。現実において、大義よりも存続が必要であり、おそらくこれからは、複雑な外交上の日に夜をついで開始されるのであろう。もしそうであるなら、ああわれわれはいずこへ、何のために戦うのか、その目的すら失わなければならない。
目前に迫った大義のための散華〔戦死を美化した言葉。発音は「さんげ」〕は、俺にとって少しも苦痛ではない。俺にとって最も苦痛なのは、愛すべき君たちの将来である。 …」
安倍某を見ていると、
「狡猾な狐」という表現はぴったりです。
売国奴が作る日本の景色を
よく見ていると思って感心しました。
死期の迫った人間は、
感覚が
冴えわたるのですね。
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