〔資料〕
「学生たちが先頭に立つ民主化デモ
なぜ香港市民は街に繰り出したのか?」
NewsPicks(2014/10/2)
☆ 記事URL:https://newspicks.com/news/640484/?skip=true
今週初め、香港の街を埋める人々の姿と、彼らを押しとどめようとする警察が投じた催涙弾の煙が、世界中のメディアを飾った。国際都市、香港で一体何が起こっているのか。人々は何を求めて街に出たのか。その深い背景をまず知る必要がある。
それは一本の「中指」から始まった——8月31日午後4時過ぎ、中国の全国人民代表大会(日本の国会にあたる。略称「全人代」)副委員長の李飛・香港基本法委員会主任が北京からテレビを通じて香港市民に挨拶をする姿に、香港大学3年の周永康は中指を立てた。
李はそこで、2017年に予定されている香港行政長官選挙について、(1)立候補はまずビジネス界などから選ばれた「推薦委員会」のメンバー過半数の支持を得ること(2)立候補者数は2、3人に制限(3)必ず「愛国愛香港」な人物であることが前提条件という、全人代の決定を伝えた。
周は香港の8大学をつなぐ学生組織「香港専上学生聯会」(学聯)の会長だ。2年前、彼のような大学生たちは、義務教育への「愛国教育」導入という新しい教育計画に反対運動を展開した。「愛国教育」を香港の価値観に見合わないとして立ち上がった学生たちが親たちや大人たちを動かし、大きな抗議活動の結果、同計画は一旦取り下げられた。彼ら若者世代は香港でも特にその将来についての問題に関心の高い層となっている。
拒絶された香港市民の選挙プラン
香港では1997年の主権返還以降、政治トップである行政長官は、中国が任命する1200人からなる選挙委員会の投票で5年ごとに決定されてきた。だが、市民からは直接選挙の導入が早くから叫ばれ、中央政府との折衝の末、2017年からの普通選挙開始が決まっている。
今回発表された条件は、香港で集められた30あまりの同選挙プランのそれと比べて、最も保守的であり、香港市民の要望、期待を含めたこれらのプランはまったく無視されたに等しかった。
ここで中国政府が立候補者に求める「愛国愛香港」という条件は、一見わかりやすいようだが、その定義は香港市民が求めるそれとは大きくかけ離れたものだった。
これに先駆けて中国政府が今年6月に突然発表した「『一国二制度』の香港特別行政区における実践」なる白書(日本語版)では、香港行政特区政府が行使できる権利はすべて中央政府から「付与」されたもの――つまり、中央政府の意に背かない範囲で認められたものであると明記され、中国がかつて香港に約束した「一国二制度」という「自治」権を大きく損ねるものだと、香港中が大騒ぎになった。
中央政府、つまり中国共産党に与えられた権利をその意に背かない範囲で行使するという意味の「愛国愛香港」は、行政長官選挙立候補者の枠を大きく狭めるものだ。それゆえに、民主派からの立候補はほぼ不可能となる。
一方で香港における民主派とその支持者の数は、香港在住ジャーナリストの張潔平氏によると、「直接選挙で選出された立法会議員の歴年得票数から見て、有権者の約6割を占めると見られる」という。つまり、全人代が新たに発表した細則では2017年の行政長官選挙においてその約6割の民意が締め出されることになり、普通選挙を通じた民主制度の構築を望む市民の激しい不満を引き起こした
「オキュパイ・セントラル」、40歳以上が前に立て
9月に入ると、香港の街は「公正で平等な選挙」の導入を望む人たちによる週末デモが恒例化した。周が率いる学聯は学生に9月22日からの授業ボイコットを呼びかけ、多くの大学生や教授らが呼応した。また、一部高校や中学でもボイコットが行われた。
さらに26日金曜日の夜には、学生たちが中心地アドミラルティ(金鐘)にある香港政府ビル前広場「公民広場」に移動し、徹夜の抗議集会と座り込みを始めた。28日日曜未明になって政府当局が「違法デモ」だと強制排除に乗り出したことで、デモ隊が「オキュパイ・セントラル」(占領中環)の開始を宣言。夜が明けると、学生たちの動きを注意深く見守っていた市民たちが一挙にそれに呼応して街にあふれ始めた。
「オキュパイ・セントラル」はもともと、リーマン・ショック後にアメリカで始まった「ウォール・ストリートを占拠せよ」(Occupy Wall Street)に触発されて2011年10月に始まった。
香港の政治・経済活動の中心であるセントラル(中環)を市民で埋め尽くして麻痺させ、社会を牛耳る金融経済業界に庶民の声を届けようという目的で始まった。だが実際には、香港上海銀行(HSBC)本社ビルの地上公共空間に座り込んだグループが話題にはなったものの大した共鳴を得られることはなかった。行動開始から11か月後に強制排除されて収束した。
しかし、2017年が近づくに連れて強まってきた行政長官選挙への中央政府の介入に対し、「オキュパイ・セントラル」の再開が語られ始める。
もともと「オキュパイ・セントラル」を呼びかけたメンバーの一人、戴耀廷・香港大学法学部副教授は、主権返還前に香港基本法起草委員会のメンバーを務め、長らく中国と香港を行き来しながら憲政研究を行ってきた人物で、どちらかというと社会的には中国に近い立場だと見られてきた。その彼が強まる中国中央政府の規制に対して、それまでの中国政府関係者との往来を断ち切り、政府への抗議の姿勢を打ち出したことは、行政長官選出への直接選挙導入への希求がどれほど香港社会のコンセンサスなのかのバロメーターといえるだろう。
戴は法学者らしく、公共の区域を占領するという「オキュパイ・セントラル」が違法であることを認めている。それでも「我々は次の世代のために代価を払うべき」と、政府に圧力をかける手段としてその有効性を主張していた。実際の行動においてはまず参加者1万人を公募し、「40歳以上の人間が先頭に立ち、(占領)活動が終了してから後ろに続いた1万人の責任を取って速やかに警察に自首し、警察の処理に従う」ことを原則にした。
だが、実際に28日の「オキュパイ・セントラル」再開宣言によって、学生たちの徹夜の抵抗を目にして街に出てくる市民の数がどんどん膨れ上った。最も騒ぎが大きくなった日曜日には主催者参加で7万人、警察発表でも6万人が街に抗議活動に繰り出す騒ぎとなった。
デモ集会の場で宿題する学生たち
完全にデモ隊に占拠され、交通が麻痺した幹線道路から人々を追い立てようと、警察は暴動対応警察を出動させた。しかし、ペッパースプレーを使っても一向に退かないデモ隊に業を煮やして催涙弾、ゴム弾を使用。香港メディアの報道によると、香港の街中で催涙弾が発射されたのは、1967年に中国の文化大革命に触発されて香港に起こった暴動以来だという。
だが、膨れ上がったデモ隊は完全に無抵抗で投石すら行わなかった。前線で警察と対峙する学生は常に両手を上げて「無防備、無抵抗」を貫いたし、デモを指揮し続けた学聯や戴たちグループも常に「暴力を使わないこと」「挑発しないこと」と呼びかけ続けた。実際にツイッターには「警察がデモ隊の中を泳ぐように歩いているが、身の危険は感じていないようだ」という外国メディア記者の投稿も流れている。
イギリスのBBC放送も、「学生服姿の学生が集会に参加しながら宿題をしている」「デモ隊が設けたバリケードが市民に不便をもたらすことを詫びるプラカードがかけられている」「傘でペッパースプレーを遮っている」「参加者同士がそばにいる参加者にクーリングスプレーをかけ、炎天下の熱気を和らげてやっている」「芝生を踏みにじらないようにしている」「ゴミをきちんと片付けている」などを「香港だけで見られる6現象」と報道している。
10月1日、中国は建国65周年を迎えた。香港でも梁振英・現香港行政長官ら香港政府トップが出席して記念式典が行われた。式典の開場は政府ビルの目と鼻の先にあり、抗議者はそれに激しい声を浴びせかけたが大きな混乱は起こらなかった。
だが、この先香港はどうなっていくのだろうか。
(写真:AP/アフロ)
「学生たちが先頭に立つ民主化デモ
なぜ香港市民は街に繰り出したのか?」
NewsPicks(2014/10/2)
☆ 記事URL:https://newspicks.com/news/640484/?skip=true
今週初め、香港の街を埋める人々の姿と、彼らを押しとどめようとする警察が投じた催涙弾の煙が、世界中のメディアを飾った。国際都市、香港で一体何が起こっているのか。人々は何を求めて街に出たのか。その深い背景をまず知る必要がある。
それは一本の「中指」から始まった——8月31日午後4時過ぎ、中国の全国人民代表大会(日本の国会にあたる。略称「全人代」)副委員長の李飛・香港基本法委員会主任が北京からテレビを通じて香港市民に挨拶をする姿に、香港大学3年の周永康は中指を立てた。
李はそこで、2017年に予定されている香港行政長官選挙について、(1)立候補はまずビジネス界などから選ばれた「推薦委員会」のメンバー過半数の支持を得ること(2)立候補者数は2、3人に制限(3)必ず「愛国愛香港」な人物であることが前提条件という、全人代の決定を伝えた。
周は香港の8大学をつなぐ学生組織「香港専上学生聯会」(学聯)の会長だ。2年前、彼のような大学生たちは、義務教育への「愛国教育」導入という新しい教育計画に反対運動を展開した。「愛国教育」を香港の価値観に見合わないとして立ち上がった学生たちが親たちや大人たちを動かし、大きな抗議活動の結果、同計画は一旦取り下げられた。彼ら若者世代は香港でも特にその将来についての問題に関心の高い層となっている。
拒絶された香港市民の選挙プラン
香港では1997年の主権返還以降、政治トップである行政長官は、中国が任命する1200人からなる選挙委員会の投票で5年ごとに決定されてきた。だが、市民からは直接選挙の導入が早くから叫ばれ、中央政府との折衝の末、2017年からの普通選挙開始が決まっている。
今回発表された条件は、香港で集められた30あまりの同選挙プランのそれと比べて、最も保守的であり、香港市民の要望、期待を含めたこれらのプランはまったく無視されたに等しかった。
ここで中国政府が立候補者に求める「愛国愛香港」という条件は、一見わかりやすいようだが、その定義は香港市民が求めるそれとは大きくかけ離れたものだった。
これに先駆けて中国政府が今年6月に突然発表した「『一国二制度』の香港特別行政区における実践」なる白書(日本語版)では、香港行政特区政府が行使できる権利はすべて中央政府から「付与」されたもの――つまり、中央政府の意に背かない範囲で認められたものであると明記され、中国がかつて香港に約束した「一国二制度」という「自治」権を大きく損ねるものだと、香港中が大騒ぎになった。
中央政府、つまり中国共産党に与えられた権利をその意に背かない範囲で行使するという意味の「愛国愛香港」は、行政長官選挙立候補者の枠を大きく狭めるものだ。それゆえに、民主派からの立候補はほぼ不可能となる。
一方で香港における民主派とその支持者の数は、香港在住ジャーナリストの張潔平氏によると、「直接選挙で選出された立法会議員の歴年得票数から見て、有権者の約6割を占めると見られる」という。つまり、全人代が新たに発表した細則では2017年の行政長官選挙においてその約6割の民意が締め出されることになり、普通選挙を通じた民主制度の構築を望む市民の激しい不満を引き起こした
「オキュパイ・セントラル」、40歳以上が前に立て
9月に入ると、香港の街は「公正で平等な選挙」の導入を望む人たちによる週末デモが恒例化した。周が率いる学聯は学生に9月22日からの授業ボイコットを呼びかけ、多くの大学生や教授らが呼応した。また、一部高校や中学でもボイコットが行われた。
さらに26日金曜日の夜には、学生たちが中心地アドミラルティ(金鐘)にある香港政府ビル前広場「公民広場」に移動し、徹夜の抗議集会と座り込みを始めた。28日日曜未明になって政府当局が「違法デモ」だと強制排除に乗り出したことで、デモ隊が「オキュパイ・セントラル」(占領中環)の開始を宣言。夜が明けると、学生たちの動きを注意深く見守っていた市民たちが一挙にそれに呼応して街にあふれ始めた。
「オキュパイ・セントラル」はもともと、リーマン・ショック後にアメリカで始まった「ウォール・ストリートを占拠せよ」(Occupy Wall Street)に触発されて2011年10月に始まった。
香港の政治・経済活動の中心であるセントラル(中環)を市民で埋め尽くして麻痺させ、社会を牛耳る金融経済業界に庶民の声を届けようという目的で始まった。だが実際には、香港上海銀行(HSBC)本社ビルの地上公共空間に座り込んだグループが話題にはなったものの大した共鳴を得られることはなかった。行動開始から11か月後に強制排除されて収束した。
しかし、2017年が近づくに連れて強まってきた行政長官選挙への中央政府の介入に対し、「オキュパイ・セントラル」の再開が語られ始める。
もともと「オキュパイ・セントラル」を呼びかけたメンバーの一人、戴耀廷・香港大学法学部副教授は、主権返還前に香港基本法起草委員会のメンバーを務め、長らく中国と香港を行き来しながら憲政研究を行ってきた人物で、どちらかというと社会的には中国に近い立場だと見られてきた。その彼が強まる中国中央政府の規制に対して、それまでの中国政府関係者との往来を断ち切り、政府への抗議の姿勢を打ち出したことは、行政長官選出への直接選挙導入への希求がどれほど香港社会のコンセンサスなのかのバロメーターといえるだろう。
戴は法学者らしく、公共の区域を占領するという「オキュパイ・セントラル」が違法であることを認めている。それでも「我々は次の世代のために代価を払うべき」と、政府に圧力をかける手段としてその有効性を主張していた。実際の行動においてはまず参加者1万人を公募し、「40歳以上の人間が先頭に立ち、(占領)活動が終了してから後ろに続いた1万人の責任を取って速やかに警察に自首し、警察の処理に従う」ことを原則にした。
だが、実際に28日の「オキュパイ・セントラル」再開宣言によって、学生たちの徹夜の抵抗を目にして街に出てくる市民の数がどんどん膨れ上った。最も騒ぎが大きくなった日曜日には主催者参加で7万人、警察発表でも6万人が街に抗議活動に繰り出す騒ぎとなった。
デモ集会の場で宿題する学生たち
完全にデモ隊に占拠され、交通が麻痺した幹線道路から人々を追い立てようと、警察は暴動対応警察を出動させた。しかし、ペッパースプレーを使っても一向に退かないデモ隊に業を煮やして催涙弾、ゴム弾を使用。香港メディアの報道によると、香港の街中で催涙弾が発射されたのは、1967年に中国の文化大革命に触発されて香港に起こった暴動以来だという。
だが、膨れ上がったデモ隊は完全に無抵抗で投石すら行わなかった。前線で警察と対峙する学生は常に両手を上げて「無防備、無抵抗」を貫いたし、デモを指揮し続けた学聯や戴たちグループも常に「暴力を使わないこと」「挑発しないこと」と呼びかけ続けた。実際にツイッターには「警察がデモ隊の中を泳ぐように歩いているが、身の危険は感じていないようだ」という外国メディア記者の投稿も流れている。
イギリスのBBC放送も、「学生服姿の学生が集会に参加しながら宿題をしている」「デモ隊が設けたバリケードが市民に不便をもたらすことを詫びるプラカードがかけられている」「傘でペッパースプレーを遮っている」「参加者同士がそばにいる参加者にクーリングスプレーをかけ、炎天下の熱気を和らげてやっている」「芝生を踏みにじらないようにしている」「ゴミをきちんと片付けている」などを「香港だけで見られる6現象」と報道している。
10月1日、中国は建国65周年を迎えた。香港でも梁振英・現香港行政長官ら香港政府トップが出席して記念式典が行われた。式典の開場は政府ビルの目と鼻の先にあり、抗議者はそれに激しい声を浴びせかけたが大きな混乱は起こらなかった。
だが、この先香港はどうなっていくのだろうか。
(写真:AP/アフロ)
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