のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「福島原発事故」に関する有名人・知識人の床屋談義

2011年06月01日 06時00分47秒 | Weblog
まずは見てやって下さい。

福島原発事故 歴史に残る朝生


勝間和代先生、

熱弁ふるってますね。

しかし、聞けば聞くほどに頭が痛くなってきます。

いろいろ研究したけど、

放射性物質の危険性が明瞭じゃないですと?

この方、

放射性物質と放射線を混同してますな。

事故があっても、

宇宙から飛んでくる放射性物質より

ほんのわずかに多い

量の物が原発から放出されただけ、

という噴飯ものの主張をされていましたが、

宇宙から飛んできてるのは放射線です。

放射性物質というような物騒なものは飛んで来てないです。

誰か教えてやれよ、

と思いました。

それにまた、

マスコミの報道は、

死者の数によってニュースの重要度を決めなければ

ならないような思い込みをされているようで、

いやはやです。

最近、子どもの虐待死の問題が時折り、

マスコミに取り上げられますが

ご老体の方が

死亡率は高いはずです。

「バランスが欠ける!」と言って、

怒って下さい。

「子どもは、どうせ殺されるたって、一人でしょう。

病院では何人もの年寄りが

死んでる。

そっちを報道すべきなんです」と。

ただ、笑えないですが、可笑しいのは、勝間和代先生だけではないです。

田原総一郎先生も、なかなかのもんです。

この先生、曰く

「チェルノブイリでも50人しか死んでない」云々。

数字を挙げると説得力が生じる

という魔力を使って、

遺憾なく、

勝間和代先生のフォロワーです。

仮に50人しか死んでいないとしましょう。

それでも、

本質的な部分で見損なっているところがあります。

どういうことかと言うと、

“子どもは成長する”という単純な事実を

見逃しているのです。

これは、果たして本当に50人という数が確定しているのか、

ということについての

想像力不足から生じたものと言えます。

次の図を見て下さい。


[出典:「よくわかる原子力]

ベラルーシでは伸び率がゆるやかとなり、

ウクライナでは、右端付近では目に見えてカーブが下降します。

この後、どうなるか――。

確かに、山を下るように下がるでしょうね。

だって、大人になった

かつての少年は、調査対象から外れるからです。

そして調査対象が事故の未体験者が多くなるに伴って、

より小さな値に向かうでしょう。

しかし、田原先生の場合は、そこまで待つことさえなく、

乳幼児の頃に絞って

死者の数を確定(せし得ると勝手に思っている)。

数字の冷たさで人をやりこめようとする人は、

この種のインチキが多いです。

不確定的であれば、それだけで非難します。

いい加減なことを言うな、と。

しかし、考えてみて下さい、子どもが成長するという意味。

大人になってから、

甲状腺がんが悪化して死ぬケースもあるでしょう。

あるいは、甲状腺がんが転移して、

別種のがんにかかるということも考えねばなりません。

青年になったからと言って、

甲状腺がんの脅威がなくなりません。

被ばくの結果、こうむった影響が除去されていないからです。

その人たちにとって、決して事故は収束してないんです。

しかし、調査されない…

そして調査されなければ、

累計値がでません。

表にまとめられないままに、末広がりに発症者層が広がってゆきます。

信頼に足る調査データで全体を見通すためには、

追跡調査が必要不可欠なんです。

被ばくの被調査対象者を

現に今、学童期にある者に限ってしまっては、

本来なら調査されるべき者が

調査されず、

つまりは排除された形になります。

それではいけないんです。

田原先生もジャーナリストであるならば、

そこを指摘すべきなんです。

しかし、それが出来ていない。

ということは、

この人がジャーナリストであるというのは、

虚名です。

この他にも

池田信夫という

経済学者が珍説を発表してます。

この先生の主張は、

リスクを考えると儲けがなくなる(!)

ということです。

リスクの大きさを飛行機に喩え、

車に喩え、

そんなもの一々考慮していたら

何にも出来ないんだ、と。

しかし、批判されてるのは、

ブレーキがなくても

飛行機や車を発売するか、ということです。

原子力が問題なのは、

そこなのです。

制御できない、ということ。

この床屋談義がなされた4月6日頃には、

原子力発電所の

そのような致命的な欠陥が露わになってました。

にもかかわらず、この主張です。

暴言としか言いようがないのではないでしょうか。

また、恐いのは、この人の肩書です。

経済学者はともかくも、

NHKの報道編集部にいたのですね。

歪んだ見方しかできない者が

偏った情報を垂れ流していたということです。

番組途中で大合唱になっていた

「事実の報道をしていたらいいんだ」

という言葉、

ほとんどブラックジョークでした。

データーが複数個ある、

その内、

自分がこれが真実と考えたい願望に沿って

データーを加工し、普遍化する。

結果として、事実でないことを事実と言い募る

面の皮の厚さを

強く感じさせる番組でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿