下の画像は、
4月14日付け(13日発行)の
ドイツ記者、カーステン・ガーミス(Carsten Germis)氏の記事を
紹介したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/57/845368876a044f3d68c67399da2219aa_s.jpg)
(画像をクリックすれば、拡大表示されます)
ガーミス氏の記事原文は、
英文です。
同氏の記事につき、
内田樹氏が翻訳の労を取って下さっています
(拙稿「内田樹氏 / 「ドイツのあるジャーナリストの日本論」」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/cb6e722f5be58c17b636bf3371d6cd65)。
もっとも、ドイツ語じゃないですから、
内田氏じゃなくとも、
かなりの人が読み込んでいて可笑しくはありません。
しかし、訳されたとき、
言語の特徴としてそっくり同じ文章にはならないはずです。
にもかかわらず、
日刊ゲンダイの記事に
「内田樹の研究室」で記述された文章の一部が
そのままに登場します。
恐らく、これは、
無断転載、すなわち、盗用でしょうな。
日本人の中で多い誤解は、
著作権の内容として、
引用ないし転載するに際して
著作者の許諾を得ることと理解している方が多いです。
しかし、この理解は、
誤っています。
許諾などなくとも、
クレジットがついていれば、
盗用になりません。
かつて、小保方さんのコピペ問題が浮上したとき、
やり切れなさがありました。
日刊ゲンダイの小保方さんを攻撃する記事を読みながら、
この記者こそ
「コピペをしてはいけない」
という規範意識に違反しているだろうにと、
怒りがふつふつと込みあげてきたことを昨日のように思い出します。
くしくも、
僕の印象の正確だったことが
冒頭紹介した記事において証明されてしまいました。
文章の無断引用・転載(盗用)をしていないと言いたければ、
きちんと、
サイト「内田樹の研究室」から
訳文を借用した旨、
明記しておかないといけないです。
なぜ、こんなことを
言い出したのか。
人によってはそんなことはどうでもいい。
安倍政権が海外メディアに圧力をかけている
事実こそが問題だと
仰る方もいることでしょう。
しかし、それは、考え違いです。
上杉隆氏が
記事に「クレジット」が記されていない
という一点について
ニュース・オプエドで問題にされていました
(拙稿「報ステ&古舘問題の核 ~ 実名を晒して何が悪い!」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/5215911c70dfd8628aae57421e95843c)。
「クレジット」が記されていないとなぜ、駄目なのか。
上杉氏は、
二つの根拠を上げられました。
一つは、ネタ元のリスペクト(尊重)として、
もう一つは、
嘘を排除するため、ということでした。
後者が大切です。
嘘がないこと、すなわち、
正確な情報の共有に支障を出させないためです。
拙稿で書き留めたように、
ガーミス氏がある希望を記事に託しています。
僕がメッセージとして
書き出したものです。
――私の望みは外国人ジャーナリストが、そしてそれ以上に日本国民が、自分の思いを語り続けることができることである。社会的調和が抑圧や無知から由来することはないということ、そして、真に開かれた健全な民主制こそが過去5年間私が住まっていたこの国にふさわしい目標であると私は信じている――
というくだりです
(上掲「拙稿『内田樹氏――』参照)。
このメッセージを読む限り、
日刊ゲンダイの「外国人ジャーナリストはカンカン!」という
見出しが不適切なのは
明らかでしょう。
僕がこういう話をしているのは、
上に述べたように、
上杉隆氏の問題提起を受けたということがあります。
しかし、そればっかりじゃありません。
もっと、決定的な理由があります。
それは、日本における科学者と一般庶民の間に立つジャーナリストの不在は、
このクレジットを明記しない習慣に関係すると思うからです。
3・11の事故に際して、
原子力村に不都合なことは隠蔽されるという事実を
私達は、
身近に知りました。
そして外国のメディアに頼って
情報を入手しようとしました。
そのときに、
僕が強烈に疑問に思ったのは、
専門家の
知識を庶民に噛み砕いて説明する
日本における
ジャーナリストの不在です。
たとえば、
事故が起きたところが
イギリスだったらどうでしょう。
あるいは、フランスだったらどうでしょう。
日本のように
いわゆる御用学者に振り回されただけに終わったでしょうか。
事故の総括が
きちんとなされたのではないでしょうか。
そこで
思い出したいのが小保方さん問題が騒がれたとき、
彼女の執筆した論文の提出先である
「ネイチャー」という雑誌を編纂している出版社のことです。
「雑誌社」である点につき、
どれほどの人が注目したでしょう。
イギリスは、
科学者でない、純然たるジャーナリストが
科学の専門紙を編集し、
論文としての完成度を審査しています。
考えたら、
驚きでしょ?
日本でここまで科学という土俵で権威のある
裁定を下す
ジャーナリストの機関がありますか。
「マスゴミ」とか呼ばれて、
ジャーナリストがまかり間違っても
「御用学者」の
権威の殻を打ち破らないように厳重に
印象操作されています。
では、どうすれば、日本のジャーナリストたちに
専門家の言葉を
庶民に仲介する「科学ジャ―ナリスト」の役割りを求められるまでに
彼等を育てられるのか――。
そのやり方のモデルは、
イギリスの求めたらいいのです。
王立の
ジャーナリスト養成機関に入ると、
徹底的に仕込まれるのがクレジットの明記です。
意外でしょう。
なぜ、僕がそんなことを知っているかというと、
3・11以降に
イギリスのジャーナリスト養成機関を
解説する論稿を読んだことがあるからです。
残念ながら、
執筆者の名前忘れてしまっているので
紹介できませんが――。
「集合知」を
テーマにした論稿でした。
日本では、
この「集合知」という形での
知の富の
保管法を確立するまでには、
前にも言いました
「実名を晒す」
ことへの抵抗感を克服する必要もあるでしょう
(拙稿「報ステ&古舘問題の核 ~ 実名を晒して何が悪い!」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/5215911c70dfd8628aae57421e95843c)。
道は困難ですが、
原発の破局事故という惨事を齎した国の人間として
イギリス並みに
科学に対して開かれた国にならねばと思います。
クレジットを
明らかにすればそれで済むわけではないでしょうが、
第一歩ではあります。
4月14日付け(13日発行)の
ドイツ記者、カーステン・ガーミス(Carsten Germis)氏の記事を
紹介したものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/57/845368876a044f3d68c67399da2219aa_s.jpg)
(画像をクリックすれば、拡大表示されます)
ガーミス氏の記事原文は、
英文です。
同氏の記事につき、
内田樹氏が翻訳の労を取って下さっています
(拙稿「内田樹氏 / 「ドイツのあるジャーナリストの日本論」」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/cb6e722f5be58c17b636bf3371d6cd65)。
もっとも、ドイツ語じゃないですから、
内田氏じゃなくとも、
かなりの人が読み込んでいて可笑しくはありません。
しかし、訳されたとき、
言語の特徴としてそっくり同じ文章にはならないはずです。
にもかかわらず、
日刊ゲンダイの記事に
「内田樹の研究室」で記述された文章の一部が
そのままに登場します。
恐らく、これは、
無断転載、すなわち、盗用でしょうな。
日本人の中で多い誤解は、
著作権の内容として、
引用ないし転載するに際して
著作者の許諾を得ることと理解している方が多いです。
しかし、この理解は、
誤っています。
許諾などなくとも、
クレジットがついていれば、
盗用になりません。
かつて、小保方さんのコピペ問題が浮上したとき、
やり切れなさがありました。
日刊ゲンダイの小保方さんを攻撃する記事を読みながら、
この記者こそ
「コピペをしてはいけない」
という規範意識に違反しているだろうにと、
怒りがふつふつと込みあげてきたことを昨日のように思い出します。
くしくも、
僕の印象の正確だったことが
冒頭紹介した記事において証明されてしまいました。
文章の無断引用・転載(盗用)をしていないと言いたければ、
きちんと、
サイト「内田樹の研究室」から
訳文を借用した旨、
明記しておかないといけないです。
なぜ、こんなことを
言い出したのか。
人によってはそんなことはどうでもいい。
安倍政権が海外メディアに圧力をかけている
事実こそが問題だと
仰る方もいることでしょう。
しかし、それは、考え違いです。
上杉隆氏が
記事に「クレジット」が記されていない
という一点について
ニュース・オプエドで問題にされていました
(拙稿「報ステ&古舘問題の核 ~ 実名を晒して何が悪い!」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/5215911c70dfd8628aae57421e95843c)。
「クレジット」が記されていないとなぜ、駄目なのか。
上杉氏は、
二つの根拠を上げられました。
一つは、ネタ元のリスペクト(尊重)として、
もう一つは、
嘘を排除するため、ということでした。
後者が大切です。
嘘がないこと、すなわち、
正確な情報の共有に支障を出させないためです。
拙稿で書き留めたように、
ガーミス氏がある希望を記事に託しています。
僕がメッセージとして
書き出したものです。
――私の望みは外国人ジャーナリストが、そしてそれ以上に日本国民が、自分の思いを語り続けることができることである。社会的調和が抑圧や無知から由来することはないということ、そして、真に開かれた健全な民主制こそが過去5年間私が住まっていたこの国にふさわしい目標であると私は信じている――
というくだりです
(上掲「拙稿『内田樹氏――』参照)。
このメッセージを読む限り、
日刊ゲンダイの「外国人ジャーナリストはカンカン!」という
見出しが不適切なのは
明らかでしょう。
僕がこういう話をしているのは、
上に述べたように、
上杉隆氏の問題提起を受けたということがあります。
しかし、そればっかりじゃありません。
もっと、決定的な理由があります。
それは、日本における科学者と一般庶民の間に立つジャーナリストの不在は、
このクレジットを明記しない習慣に関係すると思うからです。
3・11の事故に際して、
原子力村に不都合なことは隠蔽されるという事実を
私達は、
身近に知りました。
そして外国のメディアに頼って
情報を入手しようとしました。
そのときに、
僕が強烈に疑問に思ったのは、
専門家の
知識を庶民に噛み砕いて説明する
日本における
ジャーナリストの不在です。
たとえば、
事故が起きたところが
イギリスだったらどうでしょう。
あるいは、フランスだったらどうでしょう。
日本のように
いわゆる御用学者に振り回されただけに終わったでしょうか。
事故の総括が
きちんとなされたのではないでしょうか。
そこで
思い出したいのが小保方さん問題が騒がれたとき、
彼女の執筆した論文の提出先である
「ネイチャー」という雑誌を編纂している出版社のことです。
「雑誌社」である点につき、
どれほどの人が注目したでしょう。
イギリスは、
科学者でない、純然たるジャーナリストが
科学の専門紙を編集し、
論文としての完成度を審査しています。
考えたら、
驚きでしょ?
日本でここまで科学という土俵で権威のある
裁定を下す
ジャーナリストの機関がありますか。
「マスゴミ」とか呼ばれて、
ジャーナリストがまかり間違っても
「御用学者」の
権威の殻を打ち破らないように厳重に
印象操作されています。
では、どうすれば、日本のジャーナリストたちに
専門家の言葉を
庶民に仲介する「科学ジャ―ナリスト」の役割りを求められるまでに
彼等を育てられるのか――。
そのやり方のモデルは、
イギリスの求めたらいいのです。
王立の
ジャーナリスト養成機関に入ると、
徹底的に仕込まれるのがクレジットの明記です。
意外でしょう。
なぜ、僕がそんなことを知っているかというと、
3・11以降に
イギリスのジャーナリスト養成機関を
解説する論稿を読んだことがあるからです。
残念ながら、
執筆者の名前忘れてしまっているので
紹介できませんが――。
「集合知」を
テーマにした論稿でした。
日本では、
この「集合知」という形での
知の富の
保管法を確立するまでには、
前にも言いました
「実名を晒す」
ことへの抵抗感を克服する必要もあるでしょう
(拙稿「報ステ&古舘問題の核 ~ 実名を晒して何が悪い!」参照。
*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/5215911c70dfd8628aae57421e95843c)。
道は困難ですが、
原発の破局事故という惨事を齎した国の人間として
イギリス並みに
科学に対して開かれた国にならねばと思います。
クレジットを
明らかにすればそれで済むわけではないでしょうが、
第一歩ではあります。
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