のんきに介護

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戦争知ったかぶりの森喜朗元首相、『敵国』を語る

2014年02月21日 10時07分09秒 | Weblog
森元首相に関する、

少し前の

お騒がせニュースに

こんなのがありました。

「2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、 ソチで記者会見し、 森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で 語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。

森氏は第2次大戦に触れ、英語は『敵国語だった』などと 説明した」

というものです(下記資料参照)。

なお、「simatyan2のブログ」に

このニュースに関する

「またまた恥さらし!森元首相がソチ五輪で馬鹿発言!」

という記事があります。

☆ 記事URL:http://ameblo.jp/usinawaretatoki/entry-11770420676.html

英国人記者は、

「敵国語とは不快な表現だ」とコメントしたとのことです。

思うに、

言語して「使用」することと「理解」することは、

別です。

現に、特高警察があり、

思想信条を

取り締まっていた時代、

警察官は、

それなりにマルクスやクロポトキンの

素養を

求められたと言います。

「敵を知れば、百戦危うからず」

というわけです。

暗号を傍受するという

実利的な観点からしても

当時の学生にとって、

英語習得は、

エリ-トに成り上がるか否かの

登竜門だったでしょう。

にもかかわらず、

鮫脳君は、

「私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」

とぬかしたわけです。

ちなみに、

森喜朗鮫脳君は、

1937(昭和12)年7月14日 生まれだそうです

(ウィキペディア「森喜朗」参照/リンク

終戦は1945(昭和20)年ですので、

終戦のとき、森喜朗は、8歳だったことになります。

となると、

「英語は敵国語だった」

という説明自体に齟齬を来します。

苦し紛れの言い訳として、

取り消しゃ終わり!

といういつもりなんでしょうか。

取り消しが得意そうな

籾井 勝人氏は、

1943(昭和18)年3月4日生まれの70歳

(ウィキペディア「籾井 勝人」参照/リンク)。

6歳年下なんですな。

ベビー・ブーマーではありません。

世代としては、

とても甘やかされて育てられた方々です。


〔資料〕

「東京組織委の語学力に厳しい質問 森会長らがソチで会見」

    【共同通信】2014/02/09 21:13

☆ 記事URL:http://www.47news.jp/CN/201402/CN2014020901001997.html

 【ソチ共同】2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、ソチで記者会見し、森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。森氏は第2次大戦に触れ、英語は「敵国語だった」などと説明した。

 英語力について、森氏は「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と話した。出席者からは「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑する声が聞かれた。


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