のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

平群町「騒音おばさん」事件

2014年09月14日 16時00分08秒 | 日々の思い
朝日叩きの最近の報道を見ていて

考えたい事件がある。

いわゆる、「騒音おばさん」事件だ。

改めて、

この事件を振り返ってみよう。

――マスコミは、被害者の言い分だけを100パーセント信用して、「加害者=犯罪者」と確定したわけでもない段階で、こういう秘密なプライベート映像を、全国ネットで流してもいいのか。――

「騒音おばさん」事件に関する

山崎行太郎氏のコメントだ

(サイト「哲学者=山崎行太郎のブログ『毒蛇山荘日記』 」記事「奈良県の「騒音おばさん」を救え!!!」〈2007-01-08〉参照*http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20070108)。

歪んだ報道があれば、

必ず訂正、謝罪が必要と言うなら

この事件の

加害者として処断された「騒音おばさん」こと、

河原美代子さんが

置かれていた状況も伝え直すべきだろう。

報道では、

一方的に騒音おばさんが悪者、被害者夫婦がただの被害者として描かれた。

たとえば、次の番組、

見て欲しい。

とても公正な立場での報道とは言えない。

徒党を組んだ

老夫婦達の撮影したフィルムを

逃げられない証拠のため、

被告は、

加害者とされ、

刑事裁判の法廷に引きずり出されている。

それだのに、

「提訴しないですか」

と弁護士が問い詰め、

如何にも反省の念のない被告に皆が困り抜いている

という演出をした。




しかし、真実は、

必ずしもマスコミが描く通りではなさそうだ。

「kobaちゃんの徒然なるままに」

というサイト管理人さんが、

次のような思いを述べられていた。

すなわち、被告は、

――昔からのご近所の方には、いつもお菓子を持ってうるさくして申し訳ないと謝っていた常識人…(中略)…そしてそのトラブルの要因となったのは、学会員夫婦による「騒音おばさん」の創価学会への勧誘、それをおばさんに断られたことが引き金となっているのではないのか?――と。

☆ 記事URL:http://blogs.yahoo.co.jp/posutoman21/31274257.html

実際、創価学会員の中には、

布教の関係で

不幸を背負っている人に近づくことはあるだろう。

熱心さが過ぎて、

拒絶されたことが受け入れられなくなったため

関係がぎくしゃくし出すのは、

ある程度、人情として是認できなくはない。

実は、

騒音おばさんの家庭は、

子供が二人とも30代という若さで亡くなっている。

「脊髄小脳変性症」

という難病のためだったという

(サイト「わんわんらっぱー 」記事、「騒音オバサンは実は被害者だった?-マスコミによる報道被害-」参照
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20070910)。

この病気は、

「1リットルの涙」

というドラマのヒロインが罹病した病だ。

御存知の方もいるだろう。

夫までが同じ病気で寝たきりの状況が続いていたところ、

2005年3月、ついに帰らぬ人になった。

その精神的ショックだけでも

大変なものだったろう。

心中の痛み、察して余りある。

残る家族は、

障害のある息子さんだけ状況下で、

その息子さんを

迷惑がり、

パパラッチのように徹底的に追い回し、被告を追い詰めていたのは、

善人面をした、

他ならぬお隣の老夫婦だったということだ。

被告は、

言うならば、被害者だった。

しかし、なぜ、そんなに

親の敵のように痛めつけられたのか。

思うに、

そのおばさんが

まさに悲劇のヒロインであったことと無縁ではないだろう。

すなわち、気の毒な人である分、

布教のシンボル、

広告塔として活用できる人材なわけだ。

その人材を逃がした――。

ただでさえ、

釣れなかった魚は大きいと言う。

思うに、

悲劇のデパートのような

おばさんを勧誘し損ねてしまって、

気もちが

何とかの憎さ百倍の状態になったのではないだろうか。

しかし、そこで踏み止まれればこそ、

本物の宗教人だ。

悔しい感情に負けてしまって、

創価学会の

支部組織総出で、

越えてはいけない一線を越えたのではないか。

現に、これがため

「騒音おばさん」が受けたとされる嫌がらせは、

半端ではない。

下に老夫婦がしたとされる

行動、その態様を書き出してみる。

(1)庭に明るい照明を設置し、部屋の内部を照らし出した。

(2)自宅に重病患者のいる被告から、せめて囲いをして窓から光が入らないように頼まれたが、聞き入れなかった。

(3)早朝 からの布団叩きを開始して被告を悩ませた。

(4)()被告の家の茶碗を洗う音、() 病気の息子さんの声ががうるさいなどと言い触らした。

(5)自治会の班長に苦情を持ち込み、自治会ぐるみで圧力をかけようとした。

(6)家庭内の会話にも聞き耳を立てた。

(7)20人ほどの創価学会員の仲間がいて、一緒になって被告をビデオに撮影し嘲笑した。

(8)監視は、24時間。家族の介護のために自宅前に止めていた車にまで及んだ。

たまりかねた被告が取った対抗策が

布団叩きであり、

CDラジカセの大音量での視聴だったらしい。

布団叩きは、

(3)の行為に対する同害報復。

CDラジカセの大音量での視聴は、

悪口を言い触らすため、

茶碗を洗う音にまで聞き耳を立てられたことに対する、

防護策として

なされていたとのことだ。

生活音を消去する代わりに

ラジカセを大音量で鳴らし音を相殺するという

この考え方は、

対抗手段としての合理性が認められる。

家の中を照らし出すように

照明を設置し、

創価学会員が大勢で監視した挙句に

嫌がらせの限りを尽くし

訴訟沙汰にしたなど、聴き捨てがならない。

裁判所は、被害者側の執拗な、ほとんどいじめに近い

このような行為につき、

しっかりと審理したのか。

弁護士は、

審理を促すどころか、

被害者側、すなわち、検察官に寄り添うように、

「あなた、(法的手段に訴え)反撃するつもりじゃないでしょうね」

という尋問めいた質問を被告に浴びせていたのには、

驚くとともに、

かの弁護士に対して、強く、法律家としての倫理性の欠如、

職務の怠慢を感じた。

「反訴」「別訴」というのは、

一方的に被告席に立たされ

裁かれないための

法廷技術だ。

この弁護士は、

そんな訴訟のイロハも知らないかのようだ。

迷惑行為の一種として

「訴訟」

を取り上げている姿に、

怒りが頭を突き抜けるような思いがした。

マスコミは、

被害者夫婦の人権侵害と

弁護士の被告への裏切り行為とも言うべき

弁論に便乗し、

被告人の人権を蔑ろにするなど

もっての外だ。

こういうジャーナリストに

あるまじき態度が

現在の安倍某という権力者との

ずぶずぶの関係が成り立つ温床じゃないか。

また、強きになびく

マスコミの体質という話に止まる問題でなく、

現実の裁判の審理に悪しき影響を

与えたのではないか。

裁判所という公権力を使った制裁を科すため、

あえて加害者側の暴力を招き寄せ、

受任した狡猾さが

被害者側に窺われるだけに、

この点がひっかかる。

審理不十分なまま実刑を科したと言うなら、

明らかに正義に反する。

「多勢に無勢」という状況を

勘案すれば、

上記サイトに紹介されてあった

「ケンカの音で私のわがままの音じゃない、私の泣き声、悲鳴。この人一人のケンカじゃない、この人の話しを聞いて動く人達がいる。私は一人だけど他の人は徒党を組んでる、善意の第三者は見て見ぬ振り、絶対私は許せない、戦うよ。人数が多ければ多いほどやりがいがある、だって相手が間違っているから」

という被告の声は、

自力救済的な、

まさに‶受けて立つ”喧嘩だったんではなかろうか。

もし、実質が

喧嘩だったとすれば、

確かに、

一方だけを裁くのは不条理だ。

被告の声を収めた動画があるので、

騒音おばさんの言い分、

しかと自分の耳で聞き考えてみて欲しい。




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