戦国時代、
人質が横行しました。
徳川家康も
幼いころ
今川家に預け入れられ
平和の担保とされました。
この人質って考え方、
現代にあっても有効なようです。
封建時代に
考えられたこと、
なぜ、有効なんだ?
ありえない!
と否定するのは簡単です。
でも、よくよく考えて
なるほどと思いますよ。
僕が
子どもの頃、
憲法9条に関して、
中立国を
攻撃するのは
どの国も避ける、
単に敵の増やし損だからだ――。
そういう感覚を
他の世界の国々も持っている、
それが
「世界の公正と信義に信頼する」
という戦略を
日本に取らせた理由と
学びました。
そして
その精神に則った
安全保障のモデルとして
「スイス永世中立国」
があるように説明を受けました
(中立性と小粒ながら持っていた軍事力、
この二つがあいまって
この国の安全性を確保した、
という見方が妙に
記憶の底に残っています)。
しかし、第2次大戦のとき、
中立を
表明していた国に
スイス以外に
ベルギーと
オランダがあるということ、
知りました。
前者は、大戦前に
中立を破棄に追い込まれ、
後者のオランダは、
ナチス・ドイツに中立を無視され、
あっという間に
蹂躙されたそうです
(藤原敬之・文「カネ学入門」<週刊現代9月1日号所収>参照)。
へっ?
と思いましたよ。
あなたは、思いませんか。
何でも、ショーペンハウエル(ドイツ人哲学者)が言うには、
「あらゆる戦争の根源は盗人根性である」そうな。
(ですか。ですよね~、はぁ…)
とため息つきまくりです。
ところで、
では、スイスの“中立”の主張は
なぜ、通ったのでしょう。
この問題を
考えて、
このブログの最初の方の記述である
「戦国時代、人質が横行した。
この人質って考え方、現代にあっても有効」
という初めの説明につながります。
要するに、
スイスの平和が守られたのは、
銀行に
預け入れられている多額の外国の資産、
つまり、金銭が
人質の役割を演じた、
ということです。
金銭イコール富なんです。
ヒットラーも
お金ができる度、
スイスの銀行に預け入れていたのでしょう。
その金銭を戦車で踏みにじり、
砲火で街を火の海にしてしまっては、
富をなくすわけなんです。
徳川家光の頃、
大奥という
大名が養う婦女子を留め置く場を確保し
武将に
攻め込ませないようにしました
あの発想に同じなんです。
根本にあったのは、
人質の確保なんですね。
ひ・と・じ・ち…――。
ただ、世継ぎ、世継ぎと言い、
本心と言うか、
“人質を取る”
という下心の方は、
反感を招くので見せないようにしていたでしょう。
このスイスの事例は、
人質、必ずしも“人”じゃなくていいことを、
明らかにしました。
これが
とても新鮮です。
ただの雑誌にあった
情報ですけれど、
国防上の
重要な視点と思いました。
日本は、
どんな人質を
諸外国から取っているでしょう。
外国人と聞けば、
「出て行け」
呼ばわりをして、
血縁の濃さを持って
宝のように思っています。
しかし、実際は、
逆なんです。
外国資金同様、
暴力性を伴うことなく
他国の人を
自国民として受容する、
つまり、社会保障の分野でも
受け入れたことで、
国民間に
不公平さが生じないようにすれば、
人の流入も
もっと風通しの良さが
増すでしょう。
そうすることで
人が<材>でなく、<財>になります。
平和を担保する
人質になって頂くためには、
財として
国の宝になってもらわなくては困ります。
そうなって頂いて初めて、
宝以上に宝。
そういう扱いをすることで
人は、値打ちを
発揮します。
人質という言い方、
身も蓋もない話のようですが、
他の言葉に言いかえれば、
子宝に同義です。
他人の御子を預かった限りは、
責任を持って
育てて差し上げねばならないと思います。
アメリカが
国旗掲揚、
国歌斉唱に際して、
国民の大多数が恭順の意を示し唱和するのは、
移民の国だからでしょう。
移民と言う、
人質の集まりだから、
誰にもまして
国家に忠誠を誓うのです。
徳川家康だって、
幼少時は
“今川家のため、
この命を捧げるのが夢です”
ぐらいのこと、言っていたと思います。
ところで、
実は、この話を取り上げたのには
次の事件との
関連を感じたからです。
今月の20日、
シリアでの
政府軍、銃乱射事件で日本の女性記者が
殺害されましたよね。
あれについて、
一言、言いたくなりました。
すなわち、日本人の中には
「日本は、中立な国だから殺されない」
という迷信が
結構、支配的です。
その現れは、
たとえば、
アメリカが
9・11の同時テロ後、
原発の安全性を見直したでしょ。
あのとき、まるで公理か何かのように
日本では、
原子力村村民が
日本は、
テロリストに狙われない、
したがって、安全対策の見直しは必要ない
と主張されました。
科学性の欠片もない
この意見を
みんなが正しいと信じ
受け入れた結果、
何の対策も立てらることなく
済んでしまった、と聞いています。
出費を惜しんだ、
という面もあるでしょうけど、
一番の問題は、
中立を保ちさえすれば、
攻撃を受けることがない、
という根拠のない見通しでしょう。
(どこまで甘ちゃんなんや、無防備なんや)
と思います。
テロを受けないのは、
「今のところは」、
という限定つきなら、
正しいです。
しかし、
それ以上でも、以下でもありません。
「中立性」は
幻想なんです。
外貨の預け入れでも、
その他何でも
人質に当たるものがあれば、
手出しはないです。
攻撃のメリットがあれば、
テロ・グループは、
遠慮なく
危害を加えてくるでしょう。
それを止めさせるのが
人質パワーです。
その点を
忘れている人が多すぎるので、
思い起こさせ、
考え直させるため、
ジャーナリストとして
山本美香さんは、
シリアの地で
犠牲になられたのかもしれません。
忘れないよう、
下記に転載するとともに、
山本さんのご冥福をお祈り致します。
<資料>
「シリア・日本人女性記者死亡 取材中に武装集団が現れ銃を乱射」
FNNニュース (12年8月21日 18:47)
内戦中のシリアで取材中、銃撃戦に巻き込まれて死亡した日本人の女性ジャーナリスト。当時の様子が明らかになってきた。
突然現れたという兵士たち。その直後、銃が乱射された。
世界の紛争地で取材を重ねていたジャーナリスト・山本美香さん(45)。
20日、内戦が激しさを増すシリアを取材中、銃撃戦に巻き込まれ死亡した。
山本さんの父親は「(銃撃時)ネッカチーフを、『これ巻いていきな』って渡したんだそうです。その時にやられました。『頑張ったね』ってことだな...。涼しい部屋で、寝かせてあげたい...」と話した。
同行していたジャーナリストが、山本さんの死亡を確認し、21日朝、両親のもとに連絡があったという。
内戦が始まって以来、2万3,000人以上ともいわれる死者が出ているシリア。
中でも、激戦地となっている第2の都市アレッポを取材するため、山本さんは、トルコとの国境を経由して入ったとみられる。
6日前、トルコから両親に宛てて送ったメールには、「シリア国境まで10kmぐらいですが、紛争とは縁のない、とても平和なトルコの田舎町です。丸1日かけて日本から来たので、きょうはとても眠い。美香」とつづられていた。
しかし、その後入ったアレッポで、政府軍側の銃撃を受け、死亡した。
山本さんと親交のあったアジアプレスの野中章弘代表は「取材中に、前方から武装した集団が突如現れて、乱射したと。(武装集団は)ヘルメットをしていて、迷彩服を着ていたので、政府軍の兵士だったのではないかと話を聞いています。イスラムの国々では、女性でしか取材できないことが多くある。山本さんは、自分ができることはたくさんあると思って、中東の取材を続けていた...」と話した。
アフガニスタンやイラクなど、紛争地域を取材する女性ジャーナリストの草分け的存在だった山本さん。
その一方で、死と隣り合わせの紛争地から帰ると、家族に、いつも笑顔で接していたという。
山本さんの母親は「自分が大変であるってことは、言わないんですよね。苦しい思いをしている時に、応えてあげられなかったのが、すごく悲しいですね」と話した。
山本さんの遺体は、すでにシリアを離れ、トルコ側に移されているという。
人質が横行しました。
徳川家康も
幼いころ
今川家に預け入れられ
平和の担保とされました。
この人質って考え方、
現代にあっても有効なようです。
封建時代に
考えられたこと、
なぜ、有効なんだ?
ありえない!
と否定するのは簡単です。
でも、よくよく考えて
なるほどと思いますよ。
僕が
子どもの頃、
憲法9条に関して、
中立国を
攻撃するのは
どの国も避ける、
単に敵の増やし損だからだ――。
そういう感覚を
他の世界の国々も持っている、
それが
「世界の公正と信義に信頼する」
という戦略を
日本に取らせた理由と
学びました。
そして
その精神に則った
安全保障のモデルとして
「スイス永世中立国」
があるように説明を受けました
(中立性と小粒ながら持っていた軍事力、
この二つがあいまって
この国の安全性を確保した、
という見方が妙に
記憶の底に残っています)。
しかし、第2次大戦のとき、
中立を
表明していた国に
スイス以外に
ベルギーと
オランダがあるということ、
知りました。
前者は、大戦前に
中立を破棄に追い込まれ、
後者のオランダは、
ナチス・ドイツに中立を無視され、
あっという間に
蹂躙されたそうです
(藤原敬之・文「カネ学入門」<週刊現代9月1日号所収>参照)。
へっ?
と思いましたよ。
あなたは、思いませんか。
何でも、ショーペンハウエル(ドイツ人哲学者)が言うには、
「あらゆる戦争の根源は盗人根性である」そうな。
(ですか。ですよね~、はぁ…)
とため息つきまくりです。
ところで、
では、スイスの“中立”の主張は
なぜ、通ったのでしょう。
この問題を
考えて、
このブログの最初の方の記述である
「戦国時代、人質が横行した。
この人質って考え方、現代にあっても有効」
という初めの説明につながります。
要するに、
スイスの平和が守られたのは、
銀行に
預け入れられている多額の外国の資産、
つまり、金銭が
人質の役割を演じた、
ということです。
金銭イコール富なんです。
ヒットラーも
お金ができる度、
スイスの銀行に預け入れていたのでしょう。
その金銭を戦車で踏みにじり、
砲火で街を火の海にしてしまっては、
富をなくすわけなんです。
徳川家光の頃、
大奥という
大名が養う婦女子を留め置く場を確保し
武将に
攻め込ませないようにしました
あの発想に同じなんです。
根本にあったのは、
人質の確保なんですね。
ひ・と・じ・ち…――。
ただ、世継ぎ、世継ぎと言い、
本心と言うか、
“人質を取る”
という下心の方は、
反感を招くので見せないようにしていたでしょう。
このスイスの事例は、
人質、必ずしも“人”じゃなくていいことを、
明らかにしました。
これが
とても新鮮です。
ただの雑誌にあった
情報ですけれど、
国防上の
重要な視点と思いました。
日本は、
どんな人質を
諸外国から取っているでしょう。
外国人と聞けば、
「出て行け」
呼ばわりをして、
血縁の濃さを持って
宝のように思っています。
しかし、実際は、
逆なんです。
外国資金同様、
暴力性を伴うことなく
他国の人を
自国民として受容する、
つまり、社会保障の分野でも
受け入れたことで、
国民間に
不公平さが生じないようにすれば、
人の流入も
もっと風通しの良さが
増すでしょう。
そうすることで
人が<材>でなく、<財>になります。
平和を担保する
人質になって頂くためには、
財として
国の宝になってもらわなくては困ります。
そうなって頂いて初めて、
宝以上に宝。
そういう扱いをすることで
人は、値打ちを
発揮します。
人質という言い方、
身も蓋もない話のようですが、
他の言葉に言いかえれば、
子宝に同義です。
他人の御子を預かった限りは、
責任を持って
育てて差し上げねばならないと思います。
アメリカが
国旗掲揚、
国歌斉唱に際して、
国民の大多数が恭順の意を示し唱和するのは、
移民の国だからでしょう。
移民と言う、
人質の集まりだから、
誰にもまして
国家に忠誠を誓うのです。
徳川家康だって、
幼少時は
“今川家のため、
この命を捧げるのが夢です”
ぐらいのこと、言っていたと思います。
ところで、
実は、この話を取り上げたのには
次の事件との
関連を感じたからです。
今月の20日、
シリアでの
政府軍、銃乱射事件で日本の女性記者が
殺害されましたよね。
あれについて、
一言、言いたくなりました。
すなわち、日本人の中には
「日本は、中立な国だから殺されない」
という迷信が
結構、支配的です。
その現れは、
たとえば、
アメリカが
9・11の同時テロ後、
原発の安全性を見直したでしょ。
あのとき、まるで公理か何かのように
日本では、
原子力村村民が
日本は、
テロリストに狙われない、
したがって、安全対策の見直しは必要ない
と主張されました。
科学性の欠片もない
この意見を
みんなが正しいと信じ
受け入れた結果、
何の対策も立てらることなく
済んでしまった、と聞いています。
出費を惜しんだ、
という面もあるでしょうけど、
一番の問題は、
中立を保ちさえすれば、
攻撃を受けることがない、
という根拠のない見通しでしょう。
(どこまで甘ちゃんなんや、無防備なんや)
と思います。
テロを受けないのは、
「今のところは」、
という限定つきなら、
正しいです。
しかし、
それ以上でも、以下でもありません。
「中立性」は
幻想なんです。
外貨の預け入れでも、
その他何でも
人質に当たるものがあれば、
手出しはないです。
攻撃のメリットがあれば、
テロ・グループは、
遠慮なく
危害を加えてくるでしょう。
それを止めさせるのが
人質パワーです。
その点を
忘れている人が多すぎるので、
思い起こさせ、
考え直させるため、
ジャーナリストとして
山本美香さんは、
シリアの地で
犠牲になられたのかもしれません。
忘れないよう、
下記に転載するとともに、
山本さんのご冥福をお祈り致します。
<資料>
「シリア・日本人女性記者死亡 取材中に武装集団が現れ銃を乱射」
FNNニュース (12年8月21日 18:47)
内戦中のシリアで取材中、銃撃戦に巻き込まれて死亡した日本人の女性ジャーナリスト。当時の様子が明らかになってきた。
突然現れたという兵士たち。その直後、銃が乱射された。
世界の紛争地で取材を重ねていたジャーナリスト・山本美香さん(45)。
20日、内戦が激しさを増すシリアを取材中、銃撃戦に巻き込まれ死亡した。
山本さんの父親は「(銃撃時)ネッカチーフを、『これ巻いていきな』って渡したんだそうです。その時にやられました。『頑張ったね』ってことだな...。涼しい部屋で、寝かせてあげたい...」と話した。
同行していたジャーナリストが、山本さんの死亡を確認し、21日朝、両親のもとに連絡があったという。
内戦が始まって以来、2万3,000人以上ともいわれる死者が出ているシリア。
中でも、激戦地となっている第2の都市アレッポを取材するため、山本さんは、トルコとの国境を経由して入ったとみられる。
6日前、トルコから両親に宛てて送ったメールには、「シリア国境まで10kmぐらいですが、紛争とは縁のない、とても平和なトルコの田舎町です。丸1日かけて日本から来たので、きょうはとても眠い。美香」とつづられていた。
しかし、その後入ったアレッポで、政府軍側の銃撃を受け、死亡した。
山本さんと親交のあったアジアプレスの野中章弘代表は「取材中に、前方から武装した集団が突如現れて、乱射したと。(武装集団は)ヘルメットをしていて、迷彩服を着ていたので、政府軍の兵士だったのではないかと話を聞いています。イスラムの国々では、女性でしか取材できないことが多くある。山本さんは、自分ができることはたくさんあると思って、中東の取材を続けていた...」と話した。
アフガニスタンやイラクなど、紛争地域を取材する女性ジャーナリストの草分け的存在だった山本さん。
その一方で、死と隣り合わせの紛争地から帰ると、家族に、いつも笑顔で接していたという。
山本さんの母親は「自分が大変であるってことは、言わないんですよね。苦しい思いをしている時に、応えてあげられなかったのが、すごく悲しいですね」と話した。
山本さんの遺体は、すでにシリアを離れ、トルコ側に移されているという。
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