高知新聞のサイトが
2013年8月13日朝刊付の記事、
「A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」 」
を掲載している。
☆ 記事URL:http://www.kochinews.co.jp/18janataisho/130813taisho.html
この記事は、
ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」の音源が見つかったと報じ、
放送内容を紹介している。
要するに、
戦犯へのインタビュー番組だ。
出演した
戦犯は、
荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)だ。
他にも当時、たくさんいた戦犯は、
いろいろ理由を上げ、出演を固辞したらしい。
病気を理由に親族が断ったのは、
岡敬純、畑俊六、嶋田繁太郎、大島浩、佐藤賢了、星野直樹の各氏だ。
内閣情報調査室が断ったのは、
平沼騏一郎、南次郎、岸信介、木戸幸一、児玉誉士夫、正力松太郎、鮎川義介、真崎甚三郎、天羽英二の各氏だ。
なぜ、A級戦犯のインタビュー番組を企画したかと言うと。
次の理由が上がっていた。
「企画を練り始めた(1953年)ころ、A級戦犯の釈放の動きがありましたが、彼らを犯罪人ではなく、名誉ある日本のために尽くした人とする傾向が強くなっていました。多くの政治家がそういう方向で活動し、その政治家たちが憲法改正を掲げる。民主主義を否定する空気です。こりゃ、まずいんじゃないか、と」
「その当時、右派的な人たちはこぞって、『もとの教育勅語が必要だ』『(戦後制定された日本国憲法とは別の)新しい憲法が必要だ』と言いだして。政治の世界でそういうことが広がっていたわけです」
反動の空気に危機感を感じたということだろう。
番組制作サイドは、
「ラジオを聞いた人たちがどう思うか、投げ掛けたかった。それに尽きます。A級戦犯の声をきちんと出し、(それに批判的な)有沢(広巳)さんらの声も紹介しました。民主主義について、具体的に何が大切かを考えてもらいたかったからです」と。
民主主義にこだわったのは、
基本的人権が尊重される社会を実現するという狙いがあったようです。
この点、1956年3月16日、
憲法調査会を内閣につくるための法案を審議するため開かれた内閣委員会において
公述人として出席した戒能通孝(かいのう みちたか)・東京都立大教授が指摘された
「(憲法改正では)国民の主権の存在をどうするかの問題が第一に出てくる。主権の所在を移行させる憲法改正となると、これはもう改正ではない。革命なり反革命なりということになる」
と述べられたことが注意を要します。
1956年の当時、
憲法を破棄しようという動きがあったのですな。
これに対し、
戒能氏が主張されたことを
敷衍すれば、
(1)内閣は行政機関であり、憲法の忠実な執行者でなければならない。内閣には元来、憲法に対する批判の権限がない。
(2)国務大臣は憲法擁護の義務を負う。その者が憲法を非難、批判するのは論理矛盾であり、間違い。
(3)基本的人権、つまり法律によって制限できない思想、言論、表現、結社の自由を認めないと、政治体制の決定権が国民に存在しないことになる。これらに制限を加えてはならない。
(4)不戦は日本国憲法の基本。これに変更を加えることは、憲法改正にとどまらず、(体制の)変革だ。
ということになります。
さて、そのような社会的な背景の下、A級戦犯たちはなにを言ったのか、
下に書き出しておきます。
インタビューに答えた
A級戦犯4人のプロフィルをまず、押さえてておきましょう。
まずは、 陸軍大将・荒木貞夫(1877~1966年)氏。
天皇親政のもとで、陸軍大臣、文部大臣を務め国家改造を進めようとした「皇道派」の首領格。
次は、陸軍大佐・橋本欣五郎氏。
1931年、天皇帰一主義の旗印の下、3月、10月クーデターを未遂事件を引き起こしました。
三に、開戦時大蔵大臣だった賀屋興宣(おきのり)氏。
中国の資源に目を付けた人物だ。軍備優先の予算編成をしたました。
四は、陸軍中将・鈴木貞一氏。
1941年の御前会議で、日本の経済力と軍事力を分析した結果として
「座して相手の圧迫を待つに比しまして、国力の保持増進上(対米開戦は)有利であると確信いたします」
と天皇に進言した人物です。
さて、以上の経歴を持つ人たちが
ラジオと言う公共電波を使って何を論じたか――。
以下、上掲サイトにあったものを
引用します。
――
荒木貞夫氏:「(米軍が戦争に)勝ったと僕は言わせないです。まだやって勝つか、負けるか、分からんですよ。あの時に(米軍が日本本土に)上陸してごらんなさい…彼らは(日本上陸作戦の)計画を発表しているもんね。九州、とにかくやったならば、血は流したかもしれんけど、惨たんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。そういうことでもって、終戦になったんでしょう」
「だから、敗戦とは言ってないよ。終戦と言っとる。それを文士やら何やらがやせ我慢をして終戦なんと言わんで、『敗戦じゃないか』『負けたんじゃないか』と言っとる。そりゃ戦を知らない者の言ですよ。簡単な言葉で言やあ、負けたと思うときに初めて負ける。負けたと思わなけりゃ、負けるもんじゃないということを歴戦の士は教えているものね」
「(対米開戦をしなければ)ジリ貧と言った東条(英機)君の言葉も、必ずしも一人を責めることはできんじゃないかと。どうせしなびてしまうようにさせられるなら、目の黒いうちにイチかバチか(戦争を)しようというのは、普通の人の頭じゃないかと、こう、私は言いたいのです」
「戦争中にあったことは、いつまでもグズグズ言うのは、これは間違いだ」
「逆コース(1950年代前半の日本の再軍備などを指す)なら逆コースでよろしい、と。いま端的に言うなら、憲法問題。(改正反対などと)グズグズ何か言うなら(明治政府の)五箇条のご誓文でいいじゃないかと」
橋本欣五郎氏:「戦争をやるべく大いに宣伝をしたということは事実ですよ。そうして、これが負けたということは誠に、僕は国民に相済まんと思っておるですよ。そりゃ、はっきりしとりますよ。けれども、外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」
賀屋興宣氏:「敗戦は誰の責任か? われわれの責任じゃない。それをだな、われわれに(対し)けしからんと言って憤慨するのは少し筋違いじゃないか。お前、自分の責任が大いにその原因してるぞ」
「あらゆる責任は、いわゆる軍閥が主です。財閥や官僚というものは、戦争を起こすことについては、非常に力が薄いです。むしろ反対の者が相当にあった。主たるところは軍人の一部です」
鈴木貞一氏:「戦争責任を考える上については、やっぱり国民のね、政治的な、その何と言うか、責任と言うかね。もし、国民が戦争を本当に欲しないというそれが、政治の上に強く反映しておれば、そうできないわけなんだ。だから、僕は政治家の力が足りないと。足りなかったと。もしも、戦争が誤りであるとすればだよ、その誤りを直すだけの政治の力が足りなかったと」
「政治の力が足りないということは、何かと言うと、国民の政治力が、すなわち、政治家は一人で立っているんじゃないわけだからね。国民の基盤の上に立っているんだから。今日の言葉で言うならば、世論というものがだね、本当に、はっきりしていないことから起こっていると思うんだな」
「当時の堂々たる政治家が、極端に言うなら、軍に頭を下げるようなことをやっておった。そういうことでは、軍人を責めることが、むしろ僕は無理だと思うんだ」
<検討>
「A級戦犯4人の発言を聞くと、彼らの中で戦争の被害がなかったことになっている。終戦からインタビューを受けるまでの間に、原爆投下や東京大空襲、各地の空襲など国民が知らなかった被害状況が明るみに出た。東京裁判では、連合国軍の行為が不問にされるなど評価は分かれるが、満州事変が謀略だったことなど旧日本軍による侵略の実相も分かった。4人は、そうした事実をごまかすどころか、あたかもなかったかのように完全に目をそらし、発言していることが印象に残った」と、
小幡尚・高知大准教授が意見を述べられています。
歴史修正主義は、
この時点で立派に成立してたんですね。
「敗戦 我々の責任でない」と、
A級戦犯たちが堂々といって言ってます。
これに対し、
国民は、
「嘘を吐くな」
と怒るのではなく、
むしろ、我々が戦争を支えた反省してしまいました。
安倍某は、
その経緯を踏まえ、国民に未来永劫、
子々孫々に「戦争を支えた」という戦争責任を負わせていいものではないから、
私がもうこれ以上、
謝らないで良いようにピリオドを打ってあげましょう、
という趣旨の談話を発表しました。
つまり、安倍晋三と言う
日本の最高責任者の大御心ゆえに
国民の責任を解除するという、
欺瞞的かつ偽善的な談話を発表しました。
そんな安倍某の
態度を見て、
国民相手に大きな顔して
「謝罪の責任を免除させる」と言う前に
一遍、国民に本気で謝って見ろ、こら、
きちんと政府を代表して詫びる責務があるのは、
お前だろ!!
という気になりませんか。
僕は、
なりました。
安倍某は、
韓国、中国に
これ以上は謝らないと言いながら
国民に対する政府の責任をチャラにしたのです。
私達国民は、
彼が自分に冠したがる
「最高責任者」
という表現に一部修正を加える必要がありそうです、
こんな風に。
「私が、最高無責任者」
転載元:ジョンレモン @horiris さんのツイート〔9:14 - 2015年8月18日 〕
2013年8月13日朝刊付の記事、
「A級戦犯 ラジオ番組で語る 57年前の音源発見 「敗戦 我々の責任でない」 」
を掲載している。
☆ 記事URL:http://www.kochinews.co.jp/18janataisho/130813taisho.html
この記事は、
ラジオ番組「マイクの広場 A級戦犯」の音源が見つかったと報じ、
放送内容を紹介している。
要するに、
戦犯へのインタビュー番組だ。
出演した
戦犯は、
荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)だ。
他にも当時、たくさんいた戦犯は、
いろいろ理由を上げ、出演を固辞したらしい。
病気を理由に親族が断ったのは、
岡敬純、畑俊六、嶋田繁太郎、大島浩、佐藤賢了、星野直樹の各氏だ。
内閣情報調査室が断ったのは、
平沼騏一郎、南次郎、岸信介、木戸幸一、児玉誉士夫、正力松太郎、鮎川義介、真崎甚三郎、天羽英二の各氏だ。
なぜ、A級戦犯のインタビュー番組を企画したかと言うと。
次の理由が上がっていた。
「企画を練り始めた(1953年)ころ、A級戦犯の釈放の動きがありましたが、彼らを犯罪人ではなく、名誉ある日本のために尽くした人とする傾向が強くなっていました。多くの政治家がそういう方向で活動し、その政治家たちが憲法改正を掲げる。民主主義を否定する空気です。こりゃ、まずいんじゃないか、と」
「その当時、右派的な人たちはこぞって、『もとの教育勅語が必要だ』『(戦後制定された日本国憲法とは別の)新しい憲法が必要だ』と言いだして。政治の世界でそういうことが広がっていたわけです」
反動の空気に危機感を感じたということだろう。
番組制作サイドは、
「ラジオを聞いた人たちがどう思うか、投げ掛けたかった。それに尽きます。A級戦犯の声をきちんと出し、(それに批判的な)有沢(広巳)さんらの声も紹介しました。民主主義について、具体的に何が大切かを考えてもらいたかったからです」と。
民主主義にこだわったのは、
基本的人権が尊重される社会を実現するという狙いがあったようです。
この点、1956年3月16日、
憲法調査会を内閣につくるための法案を審議するため開かれた内閣委員会において
公述人として出席した戒能通孝(かいのう みちたか)・東京都立大教授が指摘された
「(憲法改正では)国民の主権の存在をどうするかの問題が第一に出てくる。主権の所在を移行させる憲法改正となると、これはもう改正ではない。革命なり反革命なりということになる」
と述べられたことが注意を要します。
1956年の当時、
憲法を破棄しようという動きがあったのですな。
これに対し、
戒能氏が主張されたことを
敷衍すれば、
(1)内閣は行政機関であり、憲法の忠実な執行者でなければならない。内閣には元来、憲法に対する批判の権限がない。
(2)国務大臣は憲法擁護の義務を負う。その者が憲法を非難、批判するのは論理矛盾であり、間違い。
(3)基本的人権、つまり法律によって制限できない思想、言論、表現、結社の自由を認めないと、政治体制の決定権が国民に存在しないことになる。これらに制限を加えてはならない。
(4)不戦は日本国憲法の基本。これに変更を加えることは、憲法改正にとどまらず、(体制の)変革だ。
ということになります。
さて、そのような社会的な背景の下、A級戦犯たちはなにを言ったのか、
下に書き出しておきます。
インタビューに答えた
A級戦犯4人のプロフィルをまず、押さえてておきましょう。
まずは、 陸軍大将・荒木貞夫(1877~1966年)氏。
天皇親政のもとで、陸軍大臣、文部大臣を務め国家改造を進めようとした「皇道派」の首領格。
次は、陸軍大佐・橋本欣五郎氏。
1931年、天皇帰一主義の旗印の下、3月、10月クーデターを未遂事件を引き起こしました。
三に、開戦時大蔵大臣だった賀屋興宣(おきのり)氏。
中国の資源に目を付けた人物だ。軍備優先の予算編成をしたました。
四は、陸軍中将・鈴木貞一氏。
1941年の御前会議で、日本の経済力と軍事力を分析した結果として
「座して相手の圧迫を待つに比しまして、国力の保持増進上(対米開戦は)有利であると確信いたします」
と天皇に進言した人物です。
さて、以上の経歴を持つ人たちが
ラジオと言う公共電波を使って何を論じたか――。
以下、上掲サイトにあったものを
引用します。
――
荒木貞夫氏:「(米軍が戦争に)勝ったと僕は言わせないです。まだやって勝つか、負けるか、分からんですよ。あの時に(米軍が日本本土に)上陸してごらんなさい…彼らは(日本上陸作戦の)計画を発表しているもんね。九州、とにかくやったならば、血は流したかもしれんけど、惨たんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。そういうことでもって、終戦になったんでしょう」
「だから、敗戦とは言ってないよ。終戦と言っとる。それを文士やら何やらがやせ我慢をして終戦なんと言わんで、『敗戦じゃないか』『負けたんじゃないか』と言っとる。そりゃ戦を知らない者の言ですよ。簡単な言葉で言やあ、負けたと思うときに初めて負ける。負けたと思わなけりゃ、負けるもんじゃないということを歴戦の士は教えているものね」
「(対米開戦をしなければ)ジリ貧と言った東条(英機)君の言葉も、必ずしも一人を責めることはできんじゃないかと。どうせしなびてしまうようにさせられるなら、目の黒いうちにイチかバチか(戦争を)しようというのは、普通の人の頭じゃないかと、こう、私は言いたいのです」
「戦争中にあったことは、いつまでもグズグズ言うのは、これは間違いだ」
「逆コース(1950年代前半の日本の再軍備などを指す)なら逆コースでよろしい、と。いま端的に言うなら、憲法問題。(改正反対などと)グズグズ何か言うなら(明治政府の)五箇条のご誓文でいいじゃないかと」
橋本欣五郎氏:「戦争をやるべく大いに宣伝をしたということは事実ですよ。そうして、これが負けたということは誠に、僕は国民に相済まんと思っておるですよ。そりゃ、はっきりしとりますよ。けれども、外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」
賀屋興宣氏:「敗戦は誰の責任か? われわれの責任じゃない。それをだな、われわれに(対し)けしからんと言って憤慨するのは少し筋違いじゃないか。お前、自分の責任が大いにその原因してるぞ」
「あらゆる責任は、いわゆる軍閥が主です。財閥や官僚というものは、戦争を起こすことについては、非常に力が薄いです。むしろ反対の者が相当にあった。主たるところは軍人の一部です」
鈴木貞一氏:「戦争責任を考える上については、やっぱり国民のね、政治的な、その何と言うか、責任と言うかね。もし、国民が戦争を本当に欲しないというそれが、政治の上に強く反映しておれば、そうできないわけなんだ。だから、僕は政治家の力が足りないと。足りなかったと。もしも、戦争が誤りであるとすればだよ、その誤りを直すだけの政治の力が足りなかったと」
「政治の力が足りないということは、何かと言うと、国民の政治力が、すなわち、政治家は一人で立っているんじゃないわけだからね。国民の基盤の上に立っているんだから。今日の言葉で言うならば、世論というものがだね、本当に、はっきりしていないことから起こっていると思うんだな」
「当時の堂々たる政治家が、極端に言うなら、軍に頭を下げるようなことをやっておった。そういうことでは、軍人を責めることが、むしろ僕は無理だと思うんだ」
――
<検討>
「A級戦犯4人の発言を聞くと、彼らの中で戦争の被害がなかったことになっている。終戦からインタビューを受けるまでの間に、原爆投下や東京大空襲、各地の空襲など国民が知らなかった被害状況が明るみに出た。東京裁判では、連合国軍の行為が不問にされるなど評価は分かれるが、満州事変が謀略だったことなど旧日本軍による侵略の実相も分かった。4人は、そうした事実をごまかすどころか、あたかもなかったかのように完全に目をそらし、発言していることが印象に残った」と、
小幡尚・高知大准教授が意見を述べられています。
歴史修正主義は、
この時点で立派に成立してたんですね。
「敗戦 我々の責任でない」と、
A級戦犯たちが堂々といって言ってます。
これに対し、
国民は、
「嘘を吐くな」
と怒るのではなく、
むしろ、我々が戦争を支えた反省してしまいました。
安倍某は、
その経緯を踏まえ、国民に未来永劫、
子々孫々に「戦争を支えた」という戦争責任を負わせていいものではないから、
私がもうこれ以上、
謝らないで良いようにピリオドを打ってあげましょう、
という趣旨の談話を発表しました。
つまり、安倍晋三と言う
日本の最高責任者の大御心ゆえに
国民の責任を解除するという、
欺瞞的かつ偽善的な談話を発表しました。
そんな安倍某の
態度を見て、
国民相手に大きな顔して
「謝罪の責任を免除させる」と言う前に
一遍、国民に本気で謝って見ろ、こら、
きちんと政府を代表して詫びる責務があるのは、
お前だろ!!
という気になりませんか。
僕は、
なりました。
安倍某は、
韓国、中国に
これ以上は謝らないと言いながら
国民に対する政府の責任をチャラにしたのです。
私達国民は、
彼が自分に冠したがる
「最高責任者」
という表現に一部修正を加える必要がありそうです、
こんな風に。
「私が、最高無責任者」
転載元:ジョンレモン @horiris さんのツイート〔9:14 - 2015年8月18日 〕
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