のんきに介護

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【必見】 毎日新聞:保阪正康さん / 「特攻は日本の恥部、美化は怖い」

2014年10月25日 03時31分41秒 | 天皇制と戦争
米国の空母に激突しようとして、

撃墜される

特攻機。

保阪正康さんが仰るように

「国民一人一人が特攻要員だった…」

という歴史的事実を

しっかりと胸に刻み込んで

米軍が

撮影したという太平洋に散華した

日本兵の画像を見て下さい。


典拠:みえないばくだん @hopi_domingo さんのツイート〔16:01 - 2014年10月25日

さて、特攻隊に関する

同氏の報告によると、

特攻機は、

離陸した後はずっと、

無線機のスイッチをオンにされていたとのことです。

海軍の指揮官たちは、

パイロットの最後の叫びを、

死ぬと分かっていて

平気で

聞いていたことになります。

それだけでも

人間性の欠片もない戦闘法だったのです。

確実に死ぬことを

見届けない事には脱走の不安が

拭い去れない

部下不信と

それの隠ぺいによって成り立ってた

武勇伝ということです。

なるほど、誰も、

「天皇陛下万歳」

などとは言わなかったと、

かつて、

事実を暴露している人が大勢いました。

実際、万歳どころか、

「海軍のバカヤロー」

と叫んで軍部を罵って死んで行った

人さえいたというのですから――。

これって、

想像の産物ではなく、

機密にされていたものが漏れ出た

情報だったのですな。

しかし、

それにしても、

戦争中の上官の「後に続く」という

その場しのぎの

言い逃れを信じて、

無駄に散っていった日本兵が

哀れです。

前線に出なかった軍参謀の末裔である

竹田何とかという皇室芸人が、

戦後、罪の意識も持たず、

靖国に参拝しては、

またぞろ

上から目線で

ちゃらちゃらと戦争を美化しています。

こちらは、

昔の夢を追っている

ということで了解されなくもありません。

しかし、今現在、

戦争を煽っている自民党や維新の会を支持する

若い人たちは、

何なのでしょうね。

自分は高級参謀になれると妄想した上で、

戦争を美化しているのでしょうか。

保阪さんの

インタビュー記事を読んで、

一番、重みを感じたのは、

「必要なのは同情ではなく、連帯感」

という件です。

共感するという気持ちなしに

特攻隊について

語るべきではないということ

改めて、

感じ入りました。


〔資料〕

「特攻70年:「特攻は日本の恥部、美化は怖い」 保阪正康さんインタビュー」

   毎日新聞(2014年10月24日)

☆ 記事URL:http://mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040003000c.html

 特攻とは何か。特攻隊員たちの遺書が自身の執筆活動の原点というノンフィクション作家、保阪正康さん(74)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】

       ◇        ◇

 ある元海軍参謀にインタビューをした際、戦時中の個人日誌を読ませてもらったことがあります。特攻隊についての記述があり、「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった。ところが、そうした通信記録は残っていない。故意に燃やしてしまったに違いありません。“軍神”が「海軍のバカヤロー」と叫ぶ。それは当局にとって、隠蔽(いんぺい)すべきことだったでしょうから。


 高校時代に「きけわだつみのこえ」を読みました。それが特攻隊について、考えるようになった契機です。その後、生き残りの隊員や遺族らに取材を重ねてきました。学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。彼らは「向こうの奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな」「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ」と言い合っていたそうです。取材後の彼女の何気ない言葉は重く、響いています。「指揮官たちは『後に続く』と言いながら、誰も飛び立たなかったそうです。その言葉を信じた兄たちが事実が分かったら、どんな気持ちになるでしょう」

 高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのでしょうか。英国は階級社会ですが、国を守るという点では王族・貴族もありません。戦争で死ぬということについて、平等性がある。戦争に貴賤(きせん)なしです。日本でも高松宮さまなどは前線勤務を希望していたようです。ある陸軍大学校出身の元参謀には「息子を入学させるなら、陸大だよ」と言われました。彼の同期50人ほどのうち、戦死は4人だけだったそうです。エリートは前線に行かず、戦争を美化するんです。

 兵士への危険負担を限りなく、低くすることが本来の指揮官の役割です。国民的バックグラウンドの下で、西洋の民主主義国家にはそれがあった。彼我の戦力を客観的に分析する。物量主義も、兵士を死なせないためにあるんです。日本にあったのは生煮えの軍事学です。仏独に学んだ上っ面だけの西洋軍事学に“日本精神”である武士道を乗っけた。「武士道と云(い)ふは死ぬこととみつけたり」(「葉隠」)の文言だけを取り出し、都合良く利用した。

 特攻は日本の恥部です。命を慈しむ日本の文化や伝統に反することです。命中率99%であったとしても、だめなんです。志願を建前としていましたが、実際には強制でした。本人が望んでいない死を要求し、死なせる。こんなものは軍事ではない。国家のため、大義のためという、自己陶酔でしかない。戦争とは人の生死をやり取りする闘争です。ロマンなどないんです。特攻は米軍に畏怖(いふ)心を与え、日本本土上陸をためらわせた−−との説がありますが、とんでもない。米軍は暗号名「コロネット」「オリンピック」などの上陸作戦を着々と準備していました。一方の日本軍は「義勇兵役法」で国民の根こそぎ動員を決め、1億総特攻に駆り出そうとしていた。国民一人一人が特攻要員だったんです。

 「特攻隊員は我々である」との視点が必要です。あの時代に生きていれば、あの時代が繰り返されれば、自分も特攻隊員になるかもしれない。特攻を考える時、必要なのは同情ではなく、連帯感です。隊員の苦衷、苦悶(くもん)が分かれば、美化することなどできないはずです。「特攻で死んだ人に失礼ではないか」「彼らのおかげで今の日本がある」などと言ってくる人がいます。どうして、そんな軽々なことを言えるのか。特攻を命じた指揮官たちと変わりませんよ。

 クラウゼビッツ(プロイセンの軍事学者)は戦争を「他の手段をもってする政治の延長」と位置付けました。本来は政治こそが、軍事の上になければならなかった。日本が陥った軍部独裁は政治家たちだけの責任でもありません。国民も軍をもてはやし、甘やかした。勝つことこそが軍の目的ですから、負けると分かっても戦争をやめることなどできなかった。行き着いた先が特攻です。

 特攻について、時に涙が止まらなくなるほどの感傷を持っています。それとともにわき上がるのは軍への怒りです。この二つがあってこそ、特攻に向き合えるのではないでしょうか。どちらかに傾いてもいけない。特攻は時代を測るメルクマールだと思っています。いたずらに美化することは非常に怖いことです。集団的自衛権によって、自衛隊が海外派兵される可能性が高まっています。良くも悪くも、軍隊というものには国民性が表れます。今こそ、旧軍について、十分に検証すべきです。それが無くては、特攻というシステムを採用するような組織が再び、生まれてしまうかもしれません。

 ◇ほさか・まさやす

 1939年、札幌市生まれ。74歳。同志社大文学部卒。出版社勤務を経て、著述活動に入る。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。長年の昭和史研究で2004年に菊池寛賞を受賞した。

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