少年ブレンダ@hibari_to_sora さんのツイートだ。
――うわー。アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止 http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51390- … 〔8:26 - 2015年1月19日 〕――
リンクされているサイト「iran Japanese Radio」を訪問すると、
耳慣れない
「独立系右翼」って言葉に出くわした。
週刊文春が映画を観もしないでイチャモンをつけているようだ。
独立系と言うのは、
そういう週刊誌に刺戟されて
賛成、反対の態度を決する浮ついた層の意味なのだろうか。
ちなみに、
上掲サイトに
「様々なブログやサイト上で、大々的にこの映画への反対を示しています」
という指摘があったので、
検索して、
感情的な反発を紹介している
サイトを見つけた。
「NewSpere」の記事だ。
そこに
「残忍な戦争犯罪を描写」というタイトルの下、
―― 原作では、捕虜収容所の目を覆う惨状が描写されており、英テレグラフ紙は、日本の愛国主義者たちがそれを否定していると述べる。特に、捕虜が「殴りつけられ、焼かれ、刺され、棒で殴打されて死に至り、撃たれ、首を切られ、人体実験中に殺され、人食いの風習から生きたまま食われた」という描写に憤慨していると伝えている。――
とあった。
☆ 記事URL:http://newsphere.jp/national/20141213-2/
しかし、「焼かれ、刺され、棒で殴打されて死に至り、
撃たれ、首を切られ、人体実験中に殺され、人食いの風習から生きたまま食われた」
というシーンはなさそうだ。
(拙稿「アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』って、どんな映画?」参照)。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/b8fe8c83e1247e57022d3cd13a1b5215
映画を見た町山智浩氏が明言されておられるように
原作に
「戦争で捕まった捕虜たちは、日本で医学的実験での過程で殺されたり、儀式としての食人で食われた。生きたまま」
という解説が一文あるということで、
魔女狩りのような
過剰な反応をした週刊文春に責任があるということなんだろうな。
確かに、
「生きたまま」
というのは、
間違いとは思います。
しかし、よく分らないまま、筆が滑るということもある。
そういう誤解に基づく部分は、
国際的な交流を通じて克服していけばいいのだ。
原作にある
この箇所のみを根拠にして
優れた映画を葬ってしまうのは、
日本が
文明国として
未開だと自ら自白したにも等しい。
この種の反応が
どれほど自虐的な結末を招くか、
文春や新潮、
産経の記者諸子は考えたことがあるのだろうか。
強制的に
何事かを押しつければ
反対のモノが必ず返って来る。
必ず、だ。
人間の世界ってそういうものだ。
戦前にはそれを解しないお粗末があった。
戦後は、それを反省するところから始まったはずなのだが――。
つくづく
「独立系右翼」などという
造語をした者の悪知恵にはうんざりする。
在特会系の団体と言えば、
ああ、あの子ども集団かという反応をされるのを
見越して、
得体の知れなさを強調しているのだろう。
このやり方って、
かなり卑怯な言論弾圧だよ。
ちなみに、
冒頭のiran Japanese Radioというサイトが
掲げている
「アンジェリーナ・ジョリー監督の映画『アンブロークン』の日本公開が禁止 」
というタイトルにある「禁止」という表現、
本文を読めば、
「自己規制」と同義語だと分かる。
ならば、なぜ、「自主規制」と表記しないのか。
あるいは、「中止」で充分じゃないか。
わざわざ「自己検閲」という用語に言い換え、
挙句には、
「禁止」という表現にする…
そうなって欲しいという
いかがわしい動機しか感じないのは、
僕だけだろうか。
――うわー。アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止 http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51390- … 〔8:26 - 2015年1月19日 〕――
リンクされているサイト「iran Japanese Radio」を訪問すると、
耳慣れない
「独立系右翼」って言葉に出くわした。
週刊文春が映画を観もしないでイチャモンをつけているようだ。
独立系と言うのは、
そういう週刊誌に刺戟されて
賛成、反対の態度を決する浮ついた層の意味なのだろうか。
ちなみに、
上掲サイトに
「様々なブログやサイト上で、大々的にこの映画への反対を示しています」
という指摘があったので、
検索して、
感情的な反発を紹介している
サイトを見つけた。
「NewSpere」の記事だ。
そこに
「残忍な戦争犯罪を描写」というタイトルの下、
―― 原作では、捕虜収容所の目を覆う惨状が描写されており、英テレグラフ紙は、日本の愛国主義者たちがそれを否定していると述べる。特に、捕虜が「殴りつけられ、焼かれ、刺され、棒で殴打されて死に至り、撃たれ、首を切られ、人体実験中に殺され、人食いの風習から生きたまま食われた」という描写に憤慨していると伝えている。――
とあった。
☆ 記事URL:http://newsphere.jp/national/20141213-2/
しかし、「焼かれ、刺され、棒で殴打されて死に至り、
撃たれ、首を切られ、人体実験中に殺され、人食いの風習から生きたまま食われた」
というシーンはなさそうだ。
(拙稿「アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』って、どんな映画?」参照)。
☆ 記事URL:http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/b8fe8c83e1247e57022d3cd13a1b5215
映画を見た町山智浩氏が明言されておられるように
原作に
「戦争で捕まった捕虜たちは、日本で医学的実験での過程で殺されたり、儀式としての食人で食われた。生きたまま」
という解説が一文あるということで、
魔女狩りのような
過剰な反応をした週刊文春に責任があるということなんだろうな。
確かに、
「生きたまま」
というのは、
間違いとは思います。
しかし、よく分らないまま、筆が滑るということもある。
そういう誤解に基づく部分は、
国際的な交流を通じて克服していけばいいのだ。
原作にある
この箇所のみを根拠にして
優れた映画を葬ってしまうのは、
日本が
文明国として
未開だと自ら自白したにも等しい。
この種の反応が
どれほど自虐的な結末を招くか、
文春や新潮、
産経の記者諸子は考えたことがあるのだろうか。
強制的に
何事かを押しつければ
反対のモノが必ず返って来る。
必ず、だ。
人間の世界ってそういうものだ。
戦前にはそれを解しないお粗末があった。
戦後は、それを反省するところから始まったはずなのだが――。
つくづく
「独立系右翼」などという
造語をした者の悪知恵にはうんざりする。
在特会系の団体と言えば、
ああ、あの子ども集団かという反応をされるのを
見越して、
得体の知れなさを強調しているのだろう。
このやり方って、
かなり卑怯な言論弾圧だよ。
ちなみに、
冒頭のiran Japanese Radioというサイトが
掲げている
「アンジェリーナ・ジョリー監督の映画『アンブロークン』の日本公開が禁止 」
というタイトルにある「禁止」という表現、
本文を読めば、
「自己規制」と同義語だと分かる。
ならば、なぜ、「自主規制」と表記しないのか。
あるいは、「中止」で充分じゃないか。
わざわざ「自己検閲」という用語に言い換え、
挙句には、
「禁止」という表現にする…
そうなって欲しいという
いかがわしい動機しか感じないのは、
僕だけだろうか。
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