bunzo@BunzoKotake さんのツイート。
――教育勅語や帝国憲法の天皇を倫理の源泉とする思想は、役所→地域→会社→学校→家庭と、ミニ天皇制を持ち込み、「理由もない抑圧」を再生産する。「抑圧の移譲」。
それにNOと言ったのが、現行憲法の「個人の尊厳」という原理だが、自民党や日本会議は、ここから「個人」を削除しようとしている。〔9:19 - 2017年2月23日 〕—―
第三者から上から目線で
「犬を飼うな」やら
「中国語を勉強するな」などと
恣意的に
注文が出される。
一方で、
子どもの養育の責任は一切、家庭にあると言いながら、
このような
上から目線の第3者の指図に
従わないと、
学校現場で我が子が干される
という戦前・戦中さながらの教育理念で
安倍政権は、
家庭内に侵入しようとしている。
その弊害が
まさに「抑圧の移譲」と言われるものの中身だろう。
学校でインチキを働き、
ずるい学生だった安倍晋三は、
他人に
嘘を押し付けたいだけだと思われる。
とんでもない
屑としか言いようのない人間だ。
段々とそれがはっきりとして来た。
こんなおっさんに
自分を奪われてはいけない。
ところで、
我々は、
この問題を考えるに当たって、
塚本幼稚園の
「教育勅語」暗唱の問題は、
かの幼稚園特有のことであるから、
親学を論ずる際、
あるいは、
教育支援法を論ずる際、
言及するのは
間違っていると早とちりしないことだ。
上西小百合議員が
こんな情報提供をしている。
――森友学園問題を「報道ステーション」でやっていた。何故変な方向に持っていくんだろう。国政・大阪の維新と大阪公明の問題なのに。来週の会見前に一つだけフライングします。塚本幼稚園の「教育勅語」について〝だけは〟自民党の大阪府連からやってみないかと持ちかけられたと学園広報は語っています。〔22:38 - 2017年2月23日 〕—―
塚本幼稚園の
「教育勅語」の暗唱が
自民党からの要求であることからすれば、
親学は、
内的な必然性の問題として、
「教育勅語」と
結びつくことを自ら自白したにも等しい。
だから親学の拒否は、
親には
子育ての仕方を学ぶメリットはないのかと言った
レベルでの議論に応じる必要はない。
そのものずばり、
「教育勅語」の復活を是とするか非とするかの
問題だ。
教育勅語の根本にあるのは、
「皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト」という
神話だ。
ここから
八紘一宇だの天壌無窮だのの
荒唐無稽な
天皇の礼賛、押しつけが始まる。
その悲劇的な帰結を
我々は、
第二次大戦を通して味わった。
そのことを
よく噛みしめてみることが必要だ。
――教育勅語や帝国憲法の天皇を倫理の源泉とする思想は、役所→地域→会社→学校→家庭と、ミニ天皇制を持ち込み、「理由もない抑圧」を再生産する。「抑圧の移譲」。
それにNOと言ったのが、現行憲法の「個人の尊厳」という原理だが、自民党や日本会議は、ここから「個人」を削除しようとしている。〔9:19 - 2017年2月23日 〕—―
第三者から上から目線で
「犬を飼うな」やら
「中国語を勉強するな」などと
恣意的に
注文が出される。
一方で、
子どもの養育の責任は一切、家庭にあると言いながら、
このような
上から目線の第3者の指図に
従わないと、
学校現場で我が子が干される
という戦前・戦中さながらの教育理念で
安倍政権は、
家庭内に侵入しようとしている。
その弊害が
まさに「抑圧の移譲」と言われるものの中身だろう。
学校でインチキを働き、
ずるい学生だった安倍晋三は、
他人に
嘘を押し付けたいだけだと思われる。
とんでもない
屑としか言いようのない人間だ。
段々とそれがはっきりとして来た。
こんなおっさんに
自分を奪われてはいけない。
ところで、
我々は、
この問題を考えるに当たって、
塚本幼稚園の
「教育勅語」暗唱の問題は、
かの幼稚園特有のことであるから、
親学を論ずる際、
あるいは、
教育支援法を論ずる際、
言及するのは
間違っていると早とちりしないことだ。
上西小百合議員が
こんな情報提供をしている。
――森友学園問題を「報道ステーション」でやっていた。何故変な方向に持っていくんだろう。国政・大阪の維新と大阪公明の問題なのに。来週の会見前に一つだけフライングします。塚本幼稚園の「教育勅語」について〝だけは〟自民党の大阪府連からやってみないかと持ちかけられたと学園広報は語っています。〔22:38 - 2017年2月23日 〕—―
塚本幼稚園の
「教育勅語」の暗唱が
自民党からの要求であることからすれば、
親学は、
内的な必然性の問題として、
「教育勅語」と
結びつくことを自ら自白したにも等しい。
だから親学の拒否は、
親には
子育ての仕方を学ぶメリットはないのかと言った
レベルでの議論に応じる必要はない。
そのものずばり、
「教育勅語」の復活を是とするか非とするかの
問題だ。
教育勅語の根本にあるのは、
「皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト」という
神話だ。
ここから
八紘一宇だの天壌無窮だのの
荒唐無稽な
天皇の礼賛、押しつけが始まる。
その悲劇的な帰結を
我々は、
第二次大戦を通して味わった。
そのことを
よく噛みしめてみることが必要だ。
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