英国の新聞社「エコノミスト」が
日本の報道機関に関して、
「正しい現実認識の役に立たない」
と断じています
(邦題「常に権力の側に立ってしか、ものを考えない、日本の報道各社」〔Oct 8th 2012, 4:28-サイト「星の金貨プロジェクト 」所収〕参照/http://kobajun.chips.jp/?p=6770)。
他国の報道機関を褒めるのでなく、
このように
悪しざまにこき下ろすことにつき、
英国新聞社といえど、
社内に相当な抵抗があっただろうと思います。
同じ報道機関なのに
内政干渉なのではという、
引け目を伴ったことでしょう。
しかし、正義感を逆撫でするような
事態を前にして、
そんな引け目を乗り越えて
口を開かざるを得なかったのではないでしょうか。
さて、この良質な英国紙、
エコノミスト紙が断罪をしたのは、
「フクシマの50人」に関してでした。
正式に彼らが政権に認められ、
感謝の言葉を
受け取ったのは、
命を危険にさらしながら
事故に立ち向かったときから起算して
18ヶ月経過後の10月7日でした。
その場にいた
8人の緊急要員のうち、6人までが取材のためその場にいた
テレビカメラに背を向け、
写真に撮られることを拒否したことにつき、
世界トップレベルの記者たちが
驚きました。
日本政府のある職員は、
「もし、この事故が米国だったなら、
『フクシマの50人』は、
紛れもなく英雄です。
大統領によって直接、
ローズガーデン(ホワイトハウスにある庭園)
に招待されたことだろう。」
と語ったといいます。
しかし、現実には、
どこの誰かも分からない状態で
野田元首相と会見したに
過ぎません。
その理由として
広く言われたのは、
作業員たちが
「福島第一原発の事故に関わり合ったことで、その子供たちや孫たちなどがいじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかった」
とする個人事情でした。
しかし、果たして、本当にそうか――。
これにつき、
エコノミスト紙は、
「国有化されたばかりの東京電力が、これ以上評判を落とすことを恐れて、彼らの口を封じている可能性があります」
という指摘をします。
最近の鼻血騒動で
忘れていたこの『フクシマの50人』を
英雄扱いする是非論を
思い出しました。
当時、週刊誌でしたかね、
確かに、
彼らを英雄視することは疑問だと、
根拠を示さず、
疑義を
呈しているものがありました。
「原子力産業を下から支え、現場で運営してきた人間だ。
苦労するのは当たり前。
当人たちも事故を起こしたことを申し訳なく思っている。
その心情を汲むべき」
ということなのかなと、
こちらは、
勝手に理解しました。
しかし、これって、
(今まで飯を食わしてやってきた。
なんであいつ等だけが英雄なのだ?)
という経営者サイドの僻みにとらわれた
上から目線も
混じっていたのではなかったか
と思うようになりました。
飯を食った食わないは、
甘い汁を吸ってきたか否か
という問題に
直結していません。
「今まで飯を食わしてやってきた」
と感じるほうが傲慢ですし、
受くべき報いを
受けていない人間をさしおいて、
彼らの
奮闘を当然視するのは、
結局は、社会に甘えた人間のエゴを
免罪したことになります。
許されざる人間とは、
当時東京電力の会長だった
勝俣恒久氏などを含め
為政者側に立つ人を指すのであって、
事故発生後、
献身的に第一線で事故処理に取り組んだ『フクシマの50人』は、
こうした政治にまで影響を与える
役員層の偽善的姿勢とは
明らかに異なる…
といったようなことが
3年という時の隔たりを通して、
やっと見えてきました(僕の場合ですが)。
『フクシマの50人』は、
国会の証言の場で
自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員であると
言い募っていた勝俣恒久氏等とは
人間の出来が違っていました。
命がけで事故と戦った50人の人々は、
事故を起こし、その収束が進まないことを恥じて、
その身を隠そうとしました。
なるほど政府・官僚が
「現場で命がけで敢然と働いた人々」と、
「後方にあって私利私欲のことばかりを考えていた臆病な人間」
とを区別して扱わなかったがため、
前者の人々が
著しく不利な位置に追いやられてしまったとも言えるのでしょう。
それを放置するのは、
罪です。
公平な市民目線においては、
この2者を混同すべきではなかったという指摘、
今にして、
身につまされるものがあります。
話を
現在に移します。
思うに、
福島の復興を語り、
被災地の風評を云々する者は、
「差別」から
被災地の人間を守っているかのような
口吻ですが、
実際は、保身です。
『フクシマの50人』に
テレビカメラに背を向けさせ、
口封じを図ったように
今、福島県民の置かれている状況を
闇から闇に
隠そうとしているんです。
そういう保身のため逃げ隠れする臆病者と
鼻血の症状を訴え、
正面から放射能の脅威に立ち向かっている人々を
混同してはいけないですね。
<追記>
文章の「て、に、を、は」の修正や
加筆をしました。
日本の報道機関に関して、
「正しい現実認識の役に立たない」
と断じています
(邦題「常に権力の側に立ってしか、ものを考えない、日本の報道各社」〔Oct 8th 2012, 4:28-サイト「星の金貨プロジェクト 」所収〕参照/http://kobajun.chips.jp/?p=6770)。
他国の報道機関を褒めるのでなく、
このように
悪しざまにこき下ろすことにつき、
英国新聞社といえど、
社内に相当な抵抗があっただろうと思います。
同じ報道機関なのに
内政干渉なのではという、
引け目を伴ったことでしょう。
しかし、正義感を逆撫でするような
事態を前にして、
そんな引け目を乗り越えて
口を開かざるを得なかったのではないでしょうか。
さて、この良質な英国紙、
エコノミスト紙が断罪をしたのは、
「フクシマの50人」に関してでした。
正式に彼らが政権に認められ、
感謝の言葉を
受け取ったのは、
命を危険にさらしながら
事故に立ち向かったときから起算して
18ヶ月経過後の10月7日でした。
その場にいた
8人の緊急要員のうち、6人までが取材のためその場にいた
テレビカメラに背を向け、
写真に撮られることを拒否したことにつき、
世界トップレベルの記者たちが
驚きました。
日本政府のある職員は、
「もし、この事故が米国だったなら、
『フクシマの50人』は、
紛れもなく英雄です。
大統領によって直接、
ローズガーデン(ホワイトハウスにある庭園)
に招待されたことだろう。」
と語ったといいます。
しかし、現実には、
どこの誰かも分からない状態で
野田元首相と会見したに
過ぎません。
その理由として
広く言われたのは、
作業員たちが
「福島第一原発の事故に関わり合ったことで、その子供たちや孫たちなどがいじめの対象になることを恐れ、自分たちの名を明かしたくなかった」
とする個人事情でした。
しかし、果たして、本当にそうか――。
これにつき、
エコノミスト紙は、
「国有化されたばかりの東京電力が、これ以上評判を落とすことを恐れて、彼らの口を封じている可能性があります」
という指摘をします。
最近の鼻血騒動で
忘れていたこの『フクシマの50人』を
英雄扱いする是非論を
思い出しました。
当時、週刊誌でしたかね、
確かに、
彼らを英雄視することは疑問だと、
根拠を示さず、
疑義を
呈しているものがありました。
「原子力産業を下から支え、現場で運営してきた人間だ。
苦労するのは当たり前。
当人たちも事故を起こしたことを申し訳なく思っている。
その心情を汲むべき」
ということなのかなと、
こちらは、
勝手に理解しました。
しかし、これって、
(今まで飯を食わしてやってきた。
なんであいつ等だけが英雄なのだ?)
という経営者サイドの僻みにとらわれた
上から目線も
混じっていたのではなかったか
と思うようになりました。
飯を食った食わないは、
甘い汁を吸ってきたか否か
という問題に
直結していません。
「今まで飯を食わしてやってきた」
と感じるほうが傲慢ですし、
受くべき報いを
受けていない人間をさしおいて、
彼らの
奮闘を当然視するのは、
結局は、社会に甘えた人間のエゴを
免罪したことになります。
許されざる人間とは、
当時東京電力の会長だった
勝俣恒久氏などを含め
為政者側に立つ人を指すのであって、
事故発生後、
献身的に第一線で事故処理に取り組んだ『フクシマの50人』は、
こうした政治にまで影響を与える
役員層の偽善的姿勢とは
明らかに異なる…
といったようなことが
3年という時の隔たりを通して、
やっと見えてきました(僕の場合ですが)。
『フクシマの50人』は、
国会の証言の場で
自分は悪くない、悪いのは自分以外の全員であると
言い募っていた勝俣恒久氏等とは
人間の出来が違っていました。
命がけで事故と戦った50人の人々は、
事故を起こし、その収束が進まないことを恥じて、
その身を隠そうとしました。
なるほど政府・官僚が
「現場で命がけで敢然と働いた人々」と、
「後方にあって私利私欲のことばかりを考えていた臆病な人間」
とを区別して扱わなかったがため、
前者の人々が
著しく不利な位置に追いやられてしまったとも言えるのでしょう。
それを放置するのは、
罪です。
公平な市民目線においては、
この2者を混同すべきではなかったという指摘、
今にして、
身につまされるものがあります。
話を
現在に移します。
思うに、
福島の復興を語り、
被災地の風評を云々する者は、
「差別」から
被災地の人間を守っているかのような
口吻ですが、
実際は、保身です。
『フクシマの50人』に
テレビカメラに背を向けさせ、
口封じを図ったように
今、福島県民の置かれている状況を
闇から闇に
隠そうとしているんです。
そういう保身のため逃げ隠れする臆病者と
鼻血の症状を訴え、
正面から放射能の脅威に立ち向かっている人々を
混同してはいけないですね。
<追記>
文章の「て、に、を、は」の修正や
加筆をしました。
5月16日17時
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