のんきに介護

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沖縄タイムス / 「陸海軍、基地で沖縄二分 戦後の米史料」転載

2012年11月09日 17時46分57秒 | Weblog
アフリカ諸国が

地形を無視して

直線で区切られたいたりします。

それが植民地時代の

名残です。

そういう場所、

日本にもあったのだということが

今回、見つかった

資料を見て納得できました。

下に、転載しておきます。

住んでる人間を考慮せず、

アメリカ軍の都合だけでスイカを切るように

東西が分断されてます。

捨て置くのか…

もし、捨て置けば

棄民です。

そこを忘れず、

一歩を踏み出す必要があります。

「勇気は伝染する」

ということを信じて

正しいと思う道を歩みたいです。

<資料>

「陸海軍、基地で沖縄二分 戦後の米史料」

   沖縄タイムス(2012年11月9日 09時45分)

リンク

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典拠:1945年7月30日の日付が入った沖縄本島中南部の地図には、中南部の真ん中に縦の線が引かれ、東半分は海軍、西半分には陸軍の基地建設計画が示されていた(林教授提供)


 1945年から55年の間に作成された米軍の基地建設計画史料を関東学院大の林博史教授(現代史)が米ワシントンの米国立公文書館で発見した。8日までに沖縄タイムスの取材で分かった。45年7月の史料から、米軍が戦争中から沖縄本島中南部を縦に二分し、陸軍は西側半分、海軍は東側半分を基地を建設する範囲と決め、戦後、独自に基地建設計画を立てていたことが分かった。

 46年10月に陸軍が作製した図面には「戦後計画 恒久基地計画配置図」と記され、米軍が終戦後の早い時期に、沖縄に恒久的な基地建設を計画していたことも分かった。

 林教授は「沖縄の基地の原型を示す図面だ。そこに住んでいる人々のことを考えずに各軍が勝手に図面を引いていたことが分かる」と話している。

 沖縄戦後の米軍の基地建設計画を示す史料は少なく、戦後史研究の貴重な史料となりそうだ。


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