「公平」とは何かにつき
論じる前に、
似た概念の「中立」の
意味を明確にしよう。
この点の混乱が
「公平」の
恣意的な使用を許しているように思える。
中立の概念につき、
増田聡 @smasuda さんが説得的な
ツイートをされていたので、
紹介する。
――「中立」というのは本来、争いごとの双方を仲介して和解させる交渉者が有効に使うためにある相対的位置です。争いごとを解決する気のない人が「中立」を単にアピールするのは「やる気あんのか」と双方から叱られても仕方ない〔2:25 - 2016年2月18日 〕――
公平性を
この意味で使い、
TVが
政府の垂れ流すままの情報を
発表すればいいというのが政府見解だろう。
この方針に従わない場合、
“停波”もありうるというのだから
穏やかでない。
これに則って、
「視聴者の会」という団体
(実質は、日本会議)が読売新聞に広告を出した。
そんなわけだから、
広告と言っても、いわゆるCMでなく、
「公告」に近い。
すなわち、
政府権力を背景にした恫喝だ
(拙稿「ネトウヨ転倒論法、炸裂! 「ストップ! “全体主義”」だって。おぞましいな」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/ed658cc1172530b50998475beb54aaa5)。
そもそも、放送法に言う
「公平性」とは、
何だったのか――。
戦争中の
「大本営発表」
の弊害を反省して、
放送の
自律性を保つため、
「政府に阿(おもね)るな」
という倫理規定を置いたはずだった。
すなわち、
「公平」とは、
政府に暗示ないしコントロールされるに任せ、予断をもって判断するな
ということであって、
「中立」の要請と無関係だ。
しかるに、
真逆のことが広告という名の下、
主張され、
放送倫理に介入されんとしている。
我々は今こそ、
増田さんの注意される
「中立」
という言葉に込められた意味を
思いだすべきだ。
「中立」的立場には、
こんな特性があると指摘される。
――「私は中立の立場です」という人が「中立だから正しい。中立だから客観的」という顔をしていることがよくある。中立というのは相対的な位置に過ぎず、正しさとも客観性とも本来関係がない、という人類の知恵は忘れられがちです〔2:13 - 2016年2月18日 〕
改めて、言う。
中立であるために、
政府の立場に即して事実を伝えるだけでは、
客観性と無縁だということ、
すなわち、
政府に都合の悪いことは、
「見ても見ないふりをする、聞いても聞かないふりをする、結局、何も言わない」
ことと同じになる。
これでは、
報道にならないのだ。
しっかり肝に銘じておくべきだ。
ちなみに、政府の立場とみなされる表明は、
首相の言動を通じてなされる。
その言動につき、
きっこ @kikko_no_blog さんが
こう断ぜられる。
――総理大臣が自分のフェイスブックで市民デモを「恥ずかしい大人、左翼の皆さん」と罵り、国会では何度注意されても野党の女性議員に対して下品なヤジを飛ばし、週刊誌の記事にはムキになって反論、いまだかつて、これほど精神年齢の低い総理大臣がいただろうか?完全に日本の政治史における汚点である。〔7:10 - 2015年8月25日 〕――
「おぞましい」
という言葉は、
安倍晋三のような人物のために
あるんだろうな。
きっこさんの糾弾がよく納得できる。
問われるべきは、
古舘氏や岸井氏、国谷氏などの
「公平な」
ニュースキャスターの資質でなく、
軽い言葉で
国民を欺く安倍某だ。
たとえば、
まぁー@masakun1025h さんが
――私は、ずっと福島県に住んでいますが、この発言の後、国は何もしていない。
これも今回の選挙で問うべき重要なことです。 〔22:43 - 2014年11月18日 〕――
とツイートされるようなことについて。
また、S_Shmizu @cao58020 さんが発信される
こういう処置について。
――@komatsunotsuma @masakun1025h 安倍晋三は、『消えた年金問題』で、自分の言ったことも忘れ、その4割、3044万件が宙に浮いたままになってるのに、記録回復の申し立てを審査する第三者委員会を廃止した嘘吐きです 〔3:39 - 2015年10月26日 〕――
論じる前に、
似た概念の「中立」の
意味を明確にしよう。
この点の混乱が
「公平」の
恣意的な使用を許しているように思える。
中立の概念につき、
増田聡 @smasuda さんが説得的な
ツイートをされていたので、
紹介する。
――「中立」というのは本来、争いごとの双方を仲介して和解させる交渉者が有効に使うためにある相対的位置です。争いごとを解決する気のない人が「中立」を単にアピールするのは「やる気あんのか」と双方から叱られても仕方ない〔2:25 - 2016年2月18日 〕――
公平性を
この意味で使い、
TVが
政府の垂れ流すままの情報を
発表すればいいというのが政府見解だろう。
この方針に従わない場合、
“停波”もありうるというのだから
穏やかでない。
これに則って、
「視聴者の会」という団体
(実質は、日本会議)が読売新聞に広告を出した。
そんなわけだから、
広告と言っても、いわゆるCMでなく、
「公告」に近い。
すなわち、
政府権力を背景にした恫喝だ
(拙稿「ネトウヨ転倒論法、炸裂! 「ストップ! “全体主義”」だって。おぞましいな」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/ed658cc1172530b50998475beb54aaa5)。
そもそも、放送法に言う
「公平性」とは、
何だったのか――。
戦争中の
「大本営発表」
の弊害を反省して、
放送の
自律性を保つため、
「政府に阿(おもね)るな」
という倫理規定を置いたはずだった。
すなわち、
「公平」とは、
政府に暗示ないしコントロールされるに任せ、予断をもって判断するな
ということであって、
「中立」の要請と無関係だ。
しかるに、
真逆のことが広告という名の下、
主張され、
放送倫理に介入されんとしている。
我々は今こそ、
増田さんの注意される
「中立」
という言葉に込められた意味を
思いだすべきだ。
「中立」的立場には、
こんな特性があると指摘される。
――「私は中立の立場です」という人が「中立だから正しい。中立だから客観的」という顔をしていることがよくある。中立というのは相対的な位置に過ぎず、正しさとも客観性とも本来関係がない、という人類の知恵は忘れられがちです〔2:13 - 2016年2月18日 〕
改めて、言う。
中立であるために、
政府の立場に即して事実を伝えるだけでは、
客観性と無縁だということ、
すなわち、
政府に都合の悪いことは、
「見ても見ないふりをする、聞いても聞かないふりをする、結局、何も言わない」
ことと同じになる。
これでは、
報道にならないのだ。
しっかり肝に銘じておくべきだ。
ちなみに、政府の立場とみなされる表明は、
首相の言動を通じてなされる。
その言動につき、
きっこ @kikko_no_blog さんが
こう断ぜられる。
――総理大臣が自分のフェイスブックで市民デモを「恥ずかしい大人、左翼の皆さん」と罵り、国会では何度注意されても野党の女性議員に対して下品なヤジを飛ばし、週刊誌の記事にはムキになって反論、いまだかつて、これほど精神年齢の低い総理大臣がいただろうか?完全に日本の政治史における汚点である。〔7:10 - 2015年8月25日 〕――
「おぞましい」
という言葉は、
安倍晋三のような人物のために
あるんだろうな。
きっこさんの糾弾がよく納得できる。
問われるべきは、
古舘氏や岸井氏、国谷氏などの
「公平な」
ニュースキャスターの資質でなく、
軽い言葉で
国民を欺く安倍某だ。
たとえば、
まぁー@masakun1025h さんが
――私は、ずっと福島県に住んでいますが、この発言の後、国は何もしていない。
これも今回の選挙で問うべき重要なことです。 〔22:43 - 2014年11月18日 〕――
とツイートされるようなことについて。
また、S_Shmizu @cao58020 さんが発信される
こういう処置について。
――@komatsunotsuma @masakun1025h 安倍晋三は、『消えた年金問題』で、自分の言ったことも忘れ、その4割、3044万件が宙に浮いたままになってるのに、記録回復の申し立てを審査する第三者委員会を廃止した嘘吐きです 〔3:39 - 2015年10月26日 〕――
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