のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

安倍某の信者に見えるネトウヨは、教祖として安倍某を仰ぎ見ているのか

2015年11月16日 00時00分33秒 | 安倍某とそのお友達
エリック ・C @x__ok さんが

こんなツイート。

――ネトウヨと言うのは新興宗教なのです。しかも実際に自民党系の宗教に入っている人達も多いのだと思います。だいたい靖国にお参りに行くと言う行為は、宗教行為以外の何ものでもないのです。〔20:55 - 2015年11月15日 〕 ――

しかし、これは、

受け入れられないです。

靖国にお参りに行って、お札を受け取る。

それを有難がる

という心情を宗教的なものとして

括れなくはないです。

しかし、それをもって宗教?

冗談よしこちゃん、

と思いますな。

宗教という限りは、教義が必要でしょう。

そもそも、

その教義もなくて宗教というのは、

百年早いです。

日本人は、

せっかちで何でも分ったような顔をしたがるのです。

クリスマスが

我が国に受け入れられているのは、

その影響です。

同じ問題として、

原子力災害の甘い認識があると思います。

福島民友新聞社 みんゆうNet に

「南相馬に"サーフィン五輪"誘致を」という立候補要請を

福島県連盟がしたとニュースで知って驚きました。

☆ 記事URL:http://www.minyu-net.com/news/news/FM20151112-027397.php

あまりにも

放射能の脅威をかるく考えすぎているのです。

この点、

kaz hagiwara(萩原 一彦)@reservologic さんが

冷静な分析をされています。

たとえば、

――「復興をアピール」するには、原子力災害後まだ5年では早すぎる。この手の「アピール」は復興した後でそれを世界に宣言するという類のアピールじゃなくて、アピールをきっかけに復興したいという願望であって、いわば本末転倒。世界からはうちの選手を政治目的に利用しないでくれと言われると思う。〔22:41 - 2015年11月15日 〕――

まだ汚染地下水が海に漏れ出しているという

厳然たる事実があるのに、

夢見る少年であってはいけないでしょう。

外見だけで言えば、

クリスマスを受け入れる軽さがあります。

日本人は、

「祈り」を知らないのかもしれない。

心願成就などしないですよ。

しないと思ってもするのが祈りです。

その気持ちを

出来ない人が同朋に多すぎるように感じます。

たかだか、

5年で復興を語る

気の早さと

中韓に対する歴史認識で

子孫に

謝罪の負担を負わせないという

軽薄さは同根です。

日本人の問題は、

靖国神社への誤った宗教観のあるのではなく、

英霊への敬慕の念のなさにあります。

もし、本気で

慰霊したいのなら、

靖国神社など潰さな駄目です。

あれによって

「玉砕」を押しつけられたのですから。

原発事故からの復興の問題も

すべての原発の廃炉への道筋をつけてから、

見えて来るんじゃないですかね。

子どもみたいにね、

「早よ頂戴、早よ頂戴」で

もし、前進で来たら笑っちゃいますよ。

一億総幼児性あればこそ、

ハロウィンで

盛り上ってしまったのだと思います。

そこを

為政者に利用されている内は、

何も解決しないです。

今の時代の閉塞感の中で

何かを学ぶべき事柄があるとするなら、

国民一人一人がする

政府との距離の取り方です。

それにつき、

kaz hagiwara(萩原 一彦)さんが

なかなかクールな見方を提示されていましたので、

紹介します。

――世の中は「個人の自由を制限して貧富の格差を固定しようとしてそのために国家権力を利用しようとしている人たち」と、「個人それぞれの自由な可能性追求のために助け合い機関としての役割を国家に果たさせようとする人たち」との対立があるだけだと思う。それを宗教や民族の対立に偽装しているだけ。〔13:25 - 2015年11月15日 〕――

標題の問いに即して言えば、

ネトウヨとは、

「個人の自由を制限して貧富の格差を固定しようとしてそのために国家権力を利用しようとしている人たち」

のことです。

安倍某を宗祖とみて帰依しているわけではありません。

だから組織として瓦解し出したとき、

あっという間に

安倍某は、

思い出の底に沈んでしまうでしょう。

最後の行の

「(国家観の対立を)宗教や民族の対立に偽装しているだけ。」

というテーゼには、

そのような脆弱さを補う強権的な対立関係を見え難くしているだけでなく、

とても深い意味が含まれているように感じます。

そこには、

僕が上に述べた

「靖国参拝に宗教的意味がない」

という見方に

通じるものがありそうです。

どこまでも宗教感情の偽装なんです。

だからこそ、

「日本会議」を

バックアップしているのが

“国家”神道系であって、

純然たる神道系は、

距離を置いているでしょ?

宗教組織に

支援されているように見えて、

実は、支援されていないってことです。

創価学会も

今後、益々、距離を置き出すと考えていますが、

この傾向は、

創価学会が宗教団体である限り、

必然と思います。

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