小野田少尉の自伝を書いた
ゴーストライタ―、
津田信氏の著書
「幻想の英雄」がネットで読めます。
☆ 記事URL:http://junpay.sakura.ne.jp/index.php?option=com_content&view=category&id=49&Itemid=77
これを読んで、
がらっと小野田少尉のイメージが
変わりました。
「幻想の英雄」
という本を
知るきっかけになったのは、
外教@yuantianlaoshiさんのツイートです。
(えっ、こんな人だったのか)
という意外な情報に
息を飲みました。
そして同時に、
背筋が
寒くなりました。
30年近く、
山の中にこもって、
小野田少尉は、
(敗戦を知らなかったことにして)
島人を殺して
略奪を繰り返していたのですな。
そりゃブラジルに
逃げなければならなくなるはずだわ!!
そんな驚きの
外教さんのツイートを
紹介します。
こんな輩だからこそ、
靖国参拝を
出来たのだと言うこと、
考えずに
おれなかったです。
――小野田寛郎を「日本男児の鏡」「最後の侍」みたいに持ち上げる風潮、本当に気持ち悪い。帰国後はもっぱら右翼の英雄として「従軍慰安婦はただの商行為」とか言い出して右翼論壇に重宝されてた男だね。この人、ルバング島で何の罪もない住民30人以上殺してるからね。敗戦後に。〔0:24 - 2014年1月18日 〕――
――29年間敗戦を知らなかったというのも多分嘘。ラジオで日本の競馬中継聴いてたんだよね。単純に住民への数々の強盗・殺人で死刑になりたくなかっただけだろう。上官の命令がないと戦闘終結できない云々も、まだ戦争中だと思い込んでる純真な軍人を演じて殺人を戦闘行為ということにしただけだと思う。〔0:30 - 2014年1月18日〕――
――awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1291556278/212 …
諜報将校でありながら戦争が敗戦で終わった事実をまともに認識、直視できず何十人もの本来死ななくていいフィリピン人の命を奪った人間じゃないかね。フィリピン側の寛大さに甘えてるよ、この人も日本も。〔0:33 - 2014年1月18日 〕――
――当時、フィリピン軍のある幹部は、日本記者団にこう語っている。「この島では三十人以上の島民が殺され、百人以上の者が傷つけられ、千人以上が財産や収穫物をこわされたり、焼かれたりしている。いずれも一九四五年以降、日本のストラッグラー(残留兵)によってである」(『幻想の英雄』津田信)〔0:36 - 2014年1月18日 〕――
――ルバング島の小塚金七元一等兵がPC(フィリピン国家警察軍)によって射殺された。(略)原因は、島民がとり入れたばかりの陸稲に火をつけたためであった。小塚金七の死体には銃創のほかに無数の傷跡があり、これは、島民たちが長年の恨みをこめて振りおろしたボロ(蛮刀)の跡と見られた。〔0:38 - 2014年1月18日 〕――
――「百人ぐらいかな」私は耳を疑った。すでに一部の新聞、週刊誌は、「旧日本兵によって三十人近い島民が殺された」という島民の談話を記事にしていたが、その三倍以上とは――私は軽い戦慄を覚えた。「百人、全部殺(や)ったの?」「いや、殺したのは三十人ぐらいです」〔0:42 - 2014年1月18日 〕――
――この島民殺傷の話は私だけが聞いたわけではない。(略)その後彼は、編集者たちの前でも繰り返し語るようになった。書かない約束になっていたから、彼は安心してしゃべったのだろうが、繰り返すたびに彼の話は具体性を帯び、こちらが聞きもしないのに細かな状況まで説明するようになった。〔0:45 - 2014年1月18日 〕――
――「こっちには弾に限りがありますからね、一発で一人殺すんじゃもったいない、何とか二人いっぺんに殺す方法はないかと考えました。ドンコーは臆病だから、けっして一人じゃ山に登ってこない。かならず三、四人でくる。だから木かげで待伏せすることにしたんです。そして奴らが(続く)〔0:48 - 2014年1月18日 〕――
――横一列になったところをねらってぶっ放つ。そうすりゃあ一発で二人殺れますからね」もはや明らかに殺人であった。少なくとも戦いではなかった。と言うのは、彼の話を注意深く聞いているうちに、島民たちには殺意がないことがわかったからである。彼らが山に登ってくるのは伐採や果実採取が目的であった〔0:49 - 2014年1月18日 〕――
――旧日本兵が潜んでいる。山に登りながら彼らが銃を撃つのは、あくまでも威嚇射撃であった。わが身を護る手段であった。その証拠に、彼らのほうから仕かけてきたという話は寛郎の口から聞いたことがなかった。「ドンコーに先にみつかるようなヘマはしなかった」というのが彼の自慢の一つであった。〔0:51 - 2014年1月18日 〕――
――では、なぜ、彼は島民たちを射殺したのか。「われわれの占領地域に勝手にはいりこんできたからです。われわれはいずれ島全体を占領するつもりでした」これが小野田寛郎の言い分であった。そして彼は島民たちの威嚇射撃を、「生意気にわれわれを挑発した」と言うのである。(『幻想の英雄』)〔0:52 - 2014年1月18日 〕――
ゴーストライタ―、
津田信氏の著書
「幻想の英雄」がネットで読めます。
☆ 記事URL:http://junpay.sakura.ne.jp/index.php?option=com_content&view=category&id=49&Itemid=77
これを読んで、
がらっと小野田少尉のイメージが
変わりました。
「幻想の英雄」
という本を
知るきっかけになったのは、
外教@yuantianlaoshiさんのツイートです。
(えっ、こんな人だったのか)
という意外な情報に
息を飲みました。
そして同時に、
背筋が
寒くなりました。
30年近く、
山の中にこもって、
小野田少尉は、
(敗戦を知らなかったことにして)
島人を殺して
略奪を繰り返していたのですな。
そりゃブラジルに
逃げなければならなくなるはずだわ!!
そんな驚きの
外教さんのツイートを
紹介します。
こんな輩だからこそ、
靖国参拝を
出来たのだと言うこと、
考えずに
おれなかったです。
――小野田寛郎を「日本男児の鏡」「最後の侍」みたいに持ち上げる風潮、本当に気持ち悪い。帰国後はもっぱら右翼の英雄として「従軍慰安婦はただの商行為」とか言い出して右翼論壇に重宝されてた男だね。この人、ルバング島で何の罪もない住民30人以上殺してるからね。敗戦後に。〔0:24 - 2014年1月18日 〕――
――29年間敗戦を知らなかったというのも多分嘘。ラジオで日本の競馬中継聴いてたんだよね。単純に住民への数々の強盗・殺人で死刑になりたくなかっただけだろう。上官の命令がないと戦闘終結できない云々も、まだ戦争中だと思い込んでる純真な軍人を演じて殺人を戦闘行為ということにしただけだと思う。〔0:30 - 2014年1月18日〕――
――awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1291556278/212 …
諜報将校でありながら戦争が敗戦で終わった事実をまともに認識、直視できず何十人もの本来死ななくていいフィリピン人の命を奪った人間じゃないかね。フィリピン側の寛大さに甘えてるよ、この人も日本も。〔0:33 - 2014年1月18日 〕――
――当時、フィリピン軍のある幹部は、日本記者団にこう語っている。「この島では三十人以上の島民が殺され、百人以上の者が傷つけられ、千人以上が財産や収穫物をこわされたり、焼かれたりしている。いずれも一九四五年以降、日本のストラッグラー(残留兵)によってである」(『幻想の英雄』津田信)〔0:36 - 2014年1月18日 〕――
――ルバング島の小塚金七元一等兵がPC(フィリピン国家警察軍)によって射殺された。(略)原因は、島民がとり入れたばかりの陸稲に火をつけたためであった。小塚金七の死体には銃創のほかに無数の傷跡があり、これは、島民たちが長年の恨みをこめて振りおろしたボロ(蛮刀)の跡と見られた。〔0:38 - 2014年1月18日 〕――
――「百人ぐらいかな」私は耳を疑った。すでに一部の新聞、週刊誌は、「旧日本兵によって三十人近い島民が殺された」という島民の談話を記事にしていたが、その三倍以上とは――私は軽い戦慄を覚えた。「百人、全部殺(や)ったの?」「いや、殺したのは三十人ぐらいです」〔0:42 - 2014年1月18日 〕――
――この島民殺傷の話は私だけが聞いたわけではない。(略)その後彼は、編集者たちの前でも繰り返し語るようになった。書かない約束になっていたから、彼は安心してしゃべったのだろうが、繰り返すたびに彼の話は具体性を帯び、こちらが聞きもしないのに細かな状況まで説明するようになった。〔0:45 - 2014年1月18日 〕――
――「こっちには弾に限りがありますからね、一発で一人殺すんじゃもったいない、何とか二人いっぺんに殺す方法はないかと考えました。ドンコーは臆病だから、けっして一人じゃ山に登ってこない。かならず三、四人でくる。だから木かげで待伏せすることにしたんです。そして奴らが(続く)〔0:48 - 2014年1月18日 〕――
――横一列になったところをねらってぶっ放つ。そうすりゃあ一発で二人殺れますからね」もはや明らかに殺人であった。少なくとも戦いではなかった。と言うのは、彼の話を注意深く聞いているうちに、島民たちには殺意がないことがわかったからである。彼らが山に登ってくるのは伐採や果実採取が目的であった〔0:49 - 2014年1月18日 〕――
――旧日本兵が潜んでいる。山に登りながら彼らが銃を撃つのは、あくまでも威嚇射撃であった。わが身を護る手段であった。その証拠に、彼らのほうから仕かけてきたという話は寛郎の口から聞いたことがなかった。「ドンコーに先にみつかるようなヘマはしなかった」というのが彼の自慢の一つであった。〔0:51 - 2014年1月18日 〕――
――では、なぜ、彼は島民たちを射殺したのか。「われわれの占領地域に勝手にはいりこんできたからです。われわれはいずれ島全体を占領するつもりでした」これが小野田寛郎の言い分であった。そして彼は島民たちの威嚇射撃を、「生意気にわれわれを挑発した」と言うのである。(『幻想の英雄』)〔0:52 - 2014年1月18日 〕――
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