のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

水木しげるさんが2011年3月20日、NYTに寄稿した画 ~ 見ていない現場を見る精神

2016年03月12日 12時21分00秒 | 自然災害



画像転載元の庄司昌彦, Masahiko Shoji @mshoujiさんが

――頑張ろう、前を向こう、と声を掛け合っている時に、水木しげる氏はこの絵を描き、ニューヨークタイムズに掲載した。津波に飲み込まれた方々の側に立ち、そうした方々の無念さや残した人への思いを強く込めた、恐ろしいほど力のある絵だと思う。〔12:43 - 2016年3月11日 〕 ――

とツイート していた。

しかし、この絵が描かれた2011年3月当時、

作品を受容する柔らかさを

日本人は持っていなかったと思う。

かくいう僕も

鑑賞する余裕を持ち合わせていなかった。

水木さんは、

勝れた漫画家であると同時に、

きっとプロデューサーとしても一流なんだと思うのだ。

彼は、

この絵は、

日本の新聞社に寄稿しても、

“没”に近い扱いを受けるだろうと見抜いた方から、

NYTを相手に選んだのだろう。

無駄な努力をしないという点で、

彼のプロデューサーとしての眼力に敬意を表したい。

他方で、

災害から5年経って、

やっとその余裕ができた自分を振返って、

なぜ、受付られないのか、

考えた。

それは、

目に見えるものしか信じない

誤った科学主義の結果だろうなと自省する。

自分の内的世界も含めて、

「見えないものは存在しない」

という俗物根性が日本を覆ってしまっている。

そんな国民的な心性を

重々承知して、

我々は、今、

津波で命を落した人と共に

原発のため

亡くなった方々に思いを馳せる必要があるんじゃないか。

「誰も亡くなって“いない”」

と断言したがる人は、もちろん、いる。

しかし、

隠蔽が「特定秘密」の名の下に

保護されている

現状を鑑みたとき、

“いる”という前提で考えるのが合理的だ。

放射能の

影響についても同じことが言える。

間もなく降板させられる古舘氏がこんな話をしていた。

チェルノブイリの医師たちを取材して、

スタッフが叱られたとのことだ。

「日本のマスコミはいつも同じことばかり聴きに来る」と。

なぜ、チェルノブイリの

医師たちを怒らせる結果になるのか――。

「放射能の影響は“ない”」

という潜在的な立場を脱し切れないからだろう。

“ある”

という前提でものを考える度胸がないんだな、つまりは。


転載元:きむらゆい @yuiyuiyui11 さんのツイート〔9:34 - 2016年3月12日







話が

逸れちゃうけど、

一言だけ

付け加えさせてもらいたい。

それは、

不正選挙についてだ。

「証拠をもって犯罪が暴露されるまではコメントしない」、

それが多くの人の態度だ。

しかし、

それでは、手遅れになってしまうだろう。

僕が実名を明かしたのは、

何とか

同志を増やしたという気持ちからだった。

「モラル・サポート」

という言葉がある。

仏教の

布施の一種である「顔施」に似ている。

「顔施」は、

笑顔を示すだけでも

慈悲の顕現として認められるということだ。

これを、

「モラル・サポート」に当てはめれば、

腐敗や堕落は、

“ある”という想定で考え、

モラルの劣化を食い止める志向と言えるだろう。

イスラム教に造詣のある人が

かつて、イスラム教の教義に則って、

こう言っていた。

「我々は、

魔が差して悪いことをするんじゃない。

いつも魔が差している我々が悪事を働かないのは、

日々、気を抜かず

自分の行動を見張っているからだ」と。

なるほどなと、

いたく関心したのを覚えている。

実際、

選挙結果を操作するような

悪魔の術に長けようとする人間がいる。

また、不幸なことに、

そういう操作をする力を現代人は手に入れてしまっている。

その力は、

日本の良さをすべて破壊する。

罪を暴露することより、

罪を犯させないようにすることが肝心ではないか。

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