のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

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3 コメント

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ありがとうございます。 (こころ)
2016-08-05 21:39:32
身近な人が次から次と他界したり、病で倒れたりは結構心身にはきますが、今、特別頑張ってる訳ではないてますが、ここで私が頑張らないとと思って、明るくしていくようにしています。

心の籠ったお言葉ありがとうございます。
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☆ こころさんへ (忠太)
2016-08-05 18:57:38
いろいろ体験されたのですね。

南国の風景は、日本ではないという点で、紹介しました。「黄金色やろ」というツイートにも明らかに日本らしからぬものがあるでしょ?

3・11のトラウマ、癒えるまでには相当の時間がかかるでしょう。気長に付き合うしかないですね。新たにトラウマが付け加わっていくことがないように祈るばかりです。
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名刺に纏わる、経団連と東電。 (こころ)
2016-08-05 15:46:36
東日本大震災が起きた年の約2年前に、(それなりの理由あって)夜の仕事を。その時に使用していた私の名刺柄にとても似ていて、当時を懐かしく思い出していました。。(昼と夜と掛け持ちで働いた時期も。)
椰子とか海岸とか夕日が好きでしたので、そのような名刺に。
(311トラウマか、夕日や雲は今はまだ苦手で、綺麗だとは思えなくなってしまい残念な今日このごろですが、この絵は綺麗です。イヤな感じにはなりませんでした。復活できそう。-w)

ここまでは↑余談ですみません。

その新宿のお店で働いていた時に、とあるサラリーマン風の団体さんが来店され、会話の中ではなかなか職業を明かさずでした。
その団体さんが、帰る間際に領収書をきって貰うと言う事でレジへ。
領収書の宛名は経団連でした。
これは別に珍しくはないのですが。

そして、そこから暫くしてあの忌まわしい 311が。。

福一などの件で東電が頭を下げる風景を画面を通して観る事に。
なんと、その東電の謝罪してる人達の中に、あの新宿のお店に来店していた経団連の中にいた方が壇上に居たのです。
みんなグルだと知ったのも遅かりし 311後でした。
(因みに私は三陸沿岸の出身者です。)
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