ビデオ・タイム2:31:00から聞いて下さい。
タイトルの
「山井議員が前提としていることはすべて間違っています」
という安倍某の暴言が出た経緯を確認できます。
転載元:サイト「Everyone says I love you !」の記事「安倍首相「私が総理大臣としてあり得ないとこう言っているんですから間違いない」←それが一番危ない(笑)」*http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/b275e9ed3c63f24b8fd522a8f163d3a5
この言い切り、
他人の存在を認めない
幼児級の
レッテル貼りですな。
山井議員を殺す
と言ってるのじゃないですよ。
議会制民主主義を破壊する暴言だと言ってます。
衆院予算委員会の
裁定で削除になったと伝え聞きます。
しかし、とんでもない暴言ならばこそ記録に残すべきです。
臭い物に蓋感覚で
残すには忍びなかったということでしょうか。
世間では、
捨て台詞と言います。
転載元:同上
転載元:同上
という風に追い詰められ、
つい本心がでたということでしょうか。
思うに、
嘘の上手い人にとって、
議論の前提になるものはないんでしょうな。
安倍某は、
「わたしが総理大臣である。それを前提に考えたら、誤謬はないというべき」
という話に終始しています。
この人が指摘する前提は、
「総理大臣」
という肩書に過ぎなく、なるほどこれだけでは、
そりゃそうだと言うしかありません。
しかし、総理大臣ならばこそ、誤謬があると言うべきなのです。
だって、
「為政者は権力を濫用する」ものだからです。
それが前提です。
安倍某は、
この論理を断じて認めたくないのですな。
しかし、他方で、
その上で、
権力を濫用しようとしているわけです。
そのために、
どうしても法文を曖昧にして
何とでも解釈できるようにしてます。
法文にならない内は、
物も言いようで自由に詭弁を弄し、誤魔化せると考えているのですな。
往々、前提は、信念の別称です。
これあるからこそ、
人は、
二枚舌にならず、
支離滅裂になることを恥じます。
これに反し、
安倍某には何の前提、信念もないからこそ、
広島では「非核3原則」に触れず、
長崎では触れるという
投機的な、すなわち、博打打的な
表現の変更ができるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます