3月30日付けの朝刊に、父親は「泣いたとき」、母親は「ミルクを飲まなかったとき」
にそれぞれ子供に暴力を振るったことを認めたと、奈良市の児童虐待事件のことが報
じられてあった。忘れられない・・・
戦争中、防空壕の中で赤ちゃんが泣き、兵隊さんに撃ち殺されたか、壕を追い出され
た母親の想いを綴った戦争体験のこと思い出した。
戦争中でもない今の世の中でも、同じような残酷な事件が兵隊さんによってでなく、
他ならぬ親によって引き起こされている!
これは、言い換えたら、家庭が戦場になっているということだな。
さし当たって、悲惨な事件を回避するには、もっともっと、みんながジョーク巧者に
ならなければと思う。大きなストレスを軽減する方策として、笑いが引き起こす作用
を見逃せない。ところで、これに関して、その前に考慮すべきかな、と思う番組が昨
日、あった。NHKの「解体新ショー」だ。赤ちゃんを見て、大人が「可愛い」と感じ、
笑いかける。よく見る光景だ。可愛く感じるのは、自分との類似性を、つたない形で
赤ちゃんが再現するからだという。裏を返せば、「可愛くない」と感じるのは、自分
との類似性を認められないからだ。しかし、何故、類似性がない?
思うに、赤ちゃんが泣いて、何とかしてあげたいという愛情を感じられないのは、親
世代が泣くことを禁じられているからではないか。また、ミルクを飲まなかったから、
といって怒るのは、親世代が他人の好意を拒否する自由を持っていないからではない
か。つまり、親は、子が泣く自由を持っている、あるいは、ミルクを飲まなかったり
することに嫉妬する(?)。根本にそのような心の動きがあるから、子供に類似性を
認められないのではないか。
そう言えば、最近、デパートなんかで寝転びながら泣いている子供をめっきり見なく
なった。親に遠慮しているのだろうか。
「子供は、最強の弱者」(上記番組のコメンテイターがそう言っていた)ならばこそ、
大人の文化をいち早く反映しているのかま知れない。
自由は戦い取るものだ。まず大人が泣く自由を手に入れなくては! 飲みたくないミ
ルクは、飲まなくていいんだよ~♪
ジョークを言う楽しみを手に入れるのはそれからかな?
にそれぞれ子供に暴力を振るったことを認めたと、奈良市の児童虐待事件のことが報
じられてあった。忘れられない・・・
戦争中、防空壕の中で赤ちゃんが泣き、兵隊さんに撃ち殺されたか、壕を追い出され
た母親の想いを綴った戦争体験のこと思い出した。
戦争中でもない今の世の中でも、同じような残酷な事件が兵隊さんによってでなく、
他ならぬ親によって引き起こされている!
これは、言い換えたら、家庭が戦場になっているということだな。
さし当たって、悲惨な事件を回避するには、もっともっと、みんながジョーク巧者に
ならなければと思う。大きなストレスを軽減する方策として、笑いが引き起こす作用
を見逃せない。ところで、これに関して、その前に考慮すべきかな、と思う番組が昨
日、あった。NHKの「解体新ショー」だ。赤ちゃんを見て、大人が「可愛い」と感じ、
笑いかける。よく見る光景だ。可愛く感じるのは、自分との類似性を、つたない形で
赤ちゃんが再現するからだという。裏を返せば、「可愛くない」と感じるのは、自分
との類似性を認められないからだ。しかし、何故、類似性がない?
思うに、赤ちゃんが泣いて、何とかしてあげたいという愛情を感じられないのは、親
世代が泣くことを禁じられているからではないか。また、ミルクを飲まなかったから、
といって怒るのは、親世代が他人の好意を拒否する自由を持っていないからではない
か。つまり、親は、子が泣く自由を持っている、あるいは、ミルクを飲まなかったり
することに嫉妬する(?)。根本にそのような心の動きがあるから、子供に類似性を
認められないのではないか。
そう言えば、最近、デパートなんかで寝転びながら泣いている子供をめっきり見なく
なった。親に遠慮しているのだろうか。
「子供は、最強の弱者」(上記番組のコメンテイターがそう言っていた)ならばこそ、
大人の文化をいち早く反映しているのかま知れない。
自由は戦い取るものだ。まず大人が泣く自由を手に入れなくては! 飲みたくないミ
ルクは、飲まなくていいんだよ~♪
ジョークを言う楽しみを手に入れるのはそれからかな?
そうですね。悪いやつは、悪いやつと割り切りた
いですが、その人の立場で考えたら、憎めない
人って、結構いる気がします。