のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

エートス(ETHOS)伝道師の役割

2014年03月14日 23時07分45秒 | 原子力発電
IAEAへの批判として

突出しているのは、

チェルノブイリ原発事故の過小評価の問題です。

これについて、

ここに

抗議なさっている御三方の

写真があります。



首から

看板をぶら下げています。

こんな格好、

誰だってしたくないです。

世間の耳目を集めるため止むを得ず

してらっしゃいます。

ただ突っ立って

無言で看板に人々の目を向ける

抗議方法を

ヴィジ―(Vigil)と言うそうです。

左から、ミッシェル・フェルネックス さん、

ウラディミール・チェルトコフ監督、

クリス・バズビー博士。

こういう場合、

末尾につく敬称に助けられますね。

監督とくれば、

野球かなと思う人いるでしょうけど、

映画監督を連想して下さい。

博士は、

科学者です。

ちょっとこの人の職業は何だろう?

と思わせる、

ミッシェル・フェルネックス さんは

お医者さんです。

「『終わりのない惨劇――チェルノブイリの教訓から』」という書物を

著わされたようです。

WHOは、

IAEAとグルになって、

大きな惨劇を

小さく見せようとしました。

その逆の、

小さなことを大きく言う場合は、

日本語表現として、

“針小棒大”などという

言い方があります。

たとえば、

デート1回で

「僕は、実は、女性にもて過ぎ」

という宣伝をすれば、

針小棒大です。

これと反対のパターンを何と表現すればいいでしょう。

案外にないです。

自慢話してこのパターンは

それだけ希少ということでしょうか。

しかし、原発と関わった現在、

「針小棒大」の逆の意味を使う慣用句に

不足する程度には

氾濫してます。

オリンピックを東京に招致するため、

安倍某が

世界に向けたお言葉

「アンダーコントロール(Under Control)」、

あれも針小棒大の逆なんですよ。

「汚染水、ほんのわずか出てます。

シルク・フェンスで防いでいますから大丈夫!!」

という小袈裟で――大袈裟でなく――控えめな言い方が過ぎて、

我慢ならんでしょ?

(大きな出来事を些細なことみたいに言うな)

それで、

表現を造ります。

「アンダーコントロール(Under Control)」の

の頭文字をとって、

UCはどうでしょう?

そんでもって、

日本語的に撥音・長音の大サービス。

「うっしー」はどうです?

もう一個「し」をおまけにつけて

もってけドロボー、

楽しい造語

“うっしっし”ができました。

この言葉、

安倍某にお似合いですね。

いつもにやけていらっしゃるし、

密かに、彼を

「ウッシ―さん」と呼びましょうかね。

さて、安倍某の話を

もっとしてたいですけど、

止めときます。

別に、話題にしたい人がいるからです。

(ウッシッシ―)と

にやにやする癖のある人にもいろいろあって、

泣いた直後に、

笑い出す人がいます。

なぜ、笑えるのだろう?

芝居でもなきゃ、

気持ちの切り替えって

そんな簡単にできるもんじゃない――

と思います。

これ、芝居と考えたら

すっかり納得です。

しかし、日常の世界で

こんな面倒ができるのは

詐欺師だからじゃないですか――。

これは、

僕の経験知が教える

アラームです。

このアラーム音で

(近づかない方がよい)

という判断をします、

実際、そのような特技を持った

詐欺師と何人かと巡り合ったことがあります。

もちろん、

例外がないとは言わないです。

ただ、そん人と出会ったことがありません、

さて、それでは、

今日は、

ビデオを見ながらが

そんなアラーム音が鳴りっぱなしになった

女性の講演を

紹介します。

ビデオに登場します。

お楽しみです。

じっくり時間かけてご確認下さい。

では、ビデオにご注目下さい。

「福島を見捨てない」

というメッセージを伝える場面(50:20~参照)で、

涙声になります

(そしてここで涙声になるのは、

何とも象徴的です)。

その後、笑い出します。

ビデオは、

サイト「カレイドスコープ 」の記事、

「エートスが来てから重症患者数は原発事故直後の10倍に」に

あったものを持ってきました。

☆ 記事URL:http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1498.html



このビデオの狙いは、

「自分の判断によって、

横断歩道、赤信号でも渡れまっせ」

とでも言うべき内容です。

「エートス」

という放射能汚染地域に

住むコツが

いくつか解説されています。

人気映画

『マトリックス』を題材にして、

挑戦的に

「『マトリックス』の世界に満足するか」

ということを問われたりします。

満足すると言う人は、

臆病者として

『マトリックス』の住人です。

あなたは、救世主にならないという烙印を

押されます。

なかなか魅力的なお話ですな。

日和見主義者として

寝転がってればいいのです。

興奮しますね。

ただ、この話、実は、出発点において

インチキがあります。

もし、あなたが

マトリックスを拒絶したとします。

一体、そこから出て何をするのでしょうか。

指示されるのは、

まずは、次の二つのルールに従うことです。

ルールその一は、専門家が提示する情報への無条件な信用です。

この評価については、

そんなことは無いだろうと言われる方、

多いと思います。

しかし、そんなこと、あるんです。

さらっと流されますが、

ビデオタイム、40:14あたりからの講演に注意して下さい。

判断の基準(共有知)は、専門家に与えてもらうという内容の説明があります。

ここで、依存してしまったら、

主体的な判断と言ったって、それは、専門家の判断そのものです。

しかも、その専門家の判断は、

「福島の事故は終わっていない。40年かけてきれいにするというが、不可能だ。これから300年以上、土地も人も食物も汚染されたままだ」

とするヘレン・カルディコット博士らの立場

(【内部被曝を防ぐN95マスク必要!!】@k2cyan さんのツイート〔22:43 - 2014年3月16日〕参照)

とは異なる、

原子力村の見解と軌を一にした、

汚染されたその地に住めるとする方たちの立場です。

社会的な判断だから

理論的でなければならないと言うけれど、

理論的であろうとすればするほど、

中身が専門家に依存する形になるざるを得ないでしょう。

その場合、専門家の質を問うべきなのに、

そこが有耶無耶になってます。

放射能に関しては、

真偽が決してる問題は少ないのです。

ということは、

理論的には

何も言えないことが多いはずです。

そこに触れられていないのは

偽善じゃないでしょうか。

ルールその二は、そういう問題をひとまず措いて、

自分を信じて決断しろということです。

根拠は、往々、それが正しいから、

と仰います

(ビデオタイム19:00~参照)。

無責任極まりない提案です。

専門家から情報をもらう

(という前提。しかし、実際は、何も頂けない――)。

「放射能を怖がるのは、放射能より怖い」

という判断の大枠の下に、

あなたは自己責任で

「安全 or 危険」の判断をせよと言うわけです。

その責任を、研究の名において

引き受けられるなら、あなたは専門家です。

ただ、専門家になることは求められない。

「実用性」の観点から言って

必要じゃないからと。

この論点、他の例で考えましょう。

専門的知識が求められる現場は他にもあるからです。

たとえば、法廷。

そこで生活、すなわち、正当な権利をスムーズに

主張するには、

手続き規定にも精通した法律の専門家でなければ、

右往左往するのが落ちです。

汚染地域

――ここを生活の本拠地として

認めた場合のエートス・プロジェクトの現場――においても同じです。

植物学と放射性物質の関係を知る研究者でなければ、

自由に動けないです。

この講演会の主である女性を信じる前に、

次の格言を思い出して下さい。

「学問に王道なし」。

ここが「エートス現場だ」と指定されるところに

自己統御の場があると認めること

(ルールその一の適用)。

次には、単に「そこに住んでいたい」という願望を

「切実な状況に置かれたら、真剣に考えて合理的な判断を下す」

という大前提の下、

人類の英知のごとく受け入れる(ルールその二の適用)ことができれば、

福島の汚染地域で

自己統御を保ちつつ生活できます、

ということなんです。

この説が

一見、正しく見えるのは、

「切実な状況に置かれたら、真剣に考えて合理的な判断を下す」

という人間理解です。

これ、はっきり言って、完壁な嘘です。

借金取りから逃げて家に帰ったら、

やくざが追いかけてきて

「おっさん、指詰めろ」

と玄関で喚き散らしてるところ想像してみて下さい。

もしですよ、ミニ原子炉を

居間で稼働させてたら、

「これ、メルトダウンさせよか」などと

考えるのが

人間じゃないでしょうか。

感覚は、

その人を欺くように造られているのです。

自分を信じるのは、

多くの場合、正しいです。

しかし、場合によっては、自分が自分を裏切ります。

僕の文章って、

どこかふざけているような印象を与えるかもしれないです。

しかし、本当のことです。

別の例をあげましょう。

死に直面したとき、

喉の渇きを感じることがあるようです。

しかし、喉を潤せば、

死が待っている事態と僕の話は

似てます。

最後に、上掲サイト「カレイドスコープ」の

「エートスが来てから重症患者数は原発事故直後の10倍に」という

指摘の意味を嚙み締めること、お勧めします。

上に解説した

ルール一、二の出鱈目さが

生んだ悲劇と思いますよ。

すなわち、

本ブログの記事タイトル、

「エートス(ETHOS)伝道師の役割」とは何か

という核心に関連した

問題です。

悲劇は、

人々の思考停止が招いた結末です。

すなわち、

「エートス(ETHOS)伝道師の役割」とは、

「福島を見捨てられない」

という習性を利用して

人々を

思考停止に陥れるところから

始まります。

終着駅は、

そんな人々を

何とか汚染地帯に住まわせ、

“統御感”

に浸っていられるようにする

夢の世界です。

エートス(ETHOS)伝道師とは、

そのようにして、

住民に

汚染地帯からの脱出を不能にさせる、

洗脳を行う人と

考えていいでしょう。

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