のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

人間関係では、作用より反作用が決定的に重要だよ。たとえば、差別などに関連して

2018年02月13日 14時03分19秒 | 日本文化論
津田大介‏@tsudaさんのツイート。

――最近のネットの炎上は全部そうだけど、差別の問題は「する側に差別意識があるかどうか」という話ではなく「受け取る側がどう感じるか」が要諦なのに、ネットだと前者ばかりクローズアップされるため、読者にそのリテラシーが身に付かない。学校教育で幼い頃から粘り強くやらない限り無理なんだろうな。〔11:00 - 2018年2月13日 〕――

作用と反作用を対比して考え、

「反作用は怪しからん」とばかりに

声を抑圧する。

大日本帝国時代の統治の特徴だ。

戦後、

政府の政策に

社会保険の考え方が取り込まれた。

しかし、

その場合の約束事項は、

政府は、

保険会社と同じ注意義務が求められるということ。

当初は、

義務を履行していた政府も

今は、

まるで封建時代の年貢の一種であるかのような扱いになっている。

すなわち、保険料を取り立てるだけ取り立てておいて、

保険年金は

政府の裁量で自由に給付額が決められるとするかのような

傲慢な態度が見て取れる。

この点、

にっきょうさん‏ @nikkyosanさんが

こんなツイート。

――< #共産党の年金政策超訳 10>
「消えた年金」や
「年金未払い」の大本には

国民の年金受給権を
守る気が無い

「取り立て至上主義」という
年金行政の体質があるよ

年金・社会保障は
国民の権利

行政は国民の権利を守る
という原則を、上から下まで
徹底して年金行政を正すよ〔14:00 - 2018年2月13日 〕――

人格権というのは、

本来、国民の側にあるものだ。

それだけ、

自分の身に即して享受する利益は侵害されやすい。

どうやってそれを守るか――。

最初のツイートは、

差別される側に気を配れと言っている。

二つ目は、

政府と国民との関係においては信頼関係を命とせよ。

行政の存在理由は、

約束した通りの給付をすることにある

ということを教えている。

さて、三つ目は、

孫崎 享‏
@magosaki_ukeruさんのツイート。

――安倍政権に批判的な発言をするソーシアル・メディアに対しては、単に炎上させるという誰でも出来る手段を超えて、通常の人の持ち合えない技術を持って、攻撃しているようです。少なくとも私にはそれが該当しています。〔23:17 - 2018年2月12日 〕――

今、国は、

恥も外聞もなく、

「個人の尊重」(憲法第13条参照)という考え方に

あられもなく対抗しようとしている。

三浦某の口にした

「スリーピーセル」の考え方は、

国民を寝かしつけた状態に維持したい

為政者の

願望がダダ洩れしたものだ。

それは、

「スリーピーセル」の裏返しの状態にある

物言う国民を

テロリスト呼ばわりする洗脳として表面化したと言っていい。

今一度、

「作用VS反作用」は、

あって当然の自然な人間関係の法則だということ、

確認しよう。

社会関係は、それを構成する諸個人のため存在する。

政府のため

国民に沈黙を強いるように

その関係を利用してはいけない。

小田嶋隆
@tako_ashiさんが

政府中心に知識を振り回す

“知識人”を戒めるようにこんなツイート。

――知識人は、単に知識を持っている人ではなくて、知識の使い方を知っている人間であるべきなのであって、自分の知識(だと本人が思っているもの)を無思慮に垂れ流す知識人は、相手かまわず包丁を振り回したがる包丁人と同じく、社会から隔離した方が良い〔7:33 - 2018年2月13日 〕――

小田嶋さんのような人格円満な方が

「社会から隔離した方が良い」とまで言っている。

三浦某のような

「自分の知識(だと本人が思っているもの)を無思慮に垂れ流す知識人」の危険性、

重大性をもっと多くの人が気づくべきだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿